2月25日子豚の夢を見る

電子レンジのなかになぜか子豚が5匹いて、暴れている。どこから入ってきたのだろう、判然としない。規則正しくその5匹はSS→S→M→L→LLみたいな感じで大きさがちゃんと異なっていて、妻が片手でつまみ出しては、僕はそれを受け取って外に逃がす。
そんな夢を見た。

今日は朝起きたら9時だった。疲れは取れていないのだが、あまりに遅くまで寝ていてしまって、唖然とする。妻も一緒。子どもたちもどうやら8時半くらいまでは寝ていたようで、インフルエンザによって家族の体力が奪われたままなのかもしれない。

今日も1日中何もしない。何も起きない。
そもそも今日は存外に激しい雨が降っていて、長女はインフル+期末テスト直前なので、家族で出掛けられる感じでもない。

午後からは妻が最近習い始めたフラダンスに出掛ける。僕はその間、シーオブスターズをやったり、本を読んだり、子供の相手をしたりする。

夕方は少しだけ出掛ける。長女以外の4人で、食材を買ったり、ガチャガチャをみたりした。先週今週と子どもたちに何もしてあげられていないので、来週くらいはどこかに連れて行ってあげないと、流石にまずいだろう。子どもたちが、勝手に友達と遊びに行ってくれるような感じならば、もう親も好き勝手に出掛けたり、家でだらだらしていたりできるのだけど、そういう感じには我が家はなかなかにならない。コロナ禍の影響、というのもなんとなくあるような気がする。気兼ねなく、子供だけで遊ぶ、というのが少し成り立ちにくい雰囲気が、なんとなくあるような気がする。

妻からは毎日PTAに関しての相談を受ける。会長がのらりくらりしていて、はっきりした意見も出してくれず、まとめてもくれなくて困っている様子。

思うに、LINEで多数の意見をまとめたりするのは非常に向いていないのだろう。色々なPTAの役員の意見をみさせてもらったけど、とにかく要点がわかりにくいし、つかみにくい。スマートフォンの横幅(テキストが収まる分量)は、ビジネス的なものとは相性が悪いんだろう。

買い物から帰ってきて、カミキリに行く。
フェードではなく、ツーブロックっぽくしてほしかったのに、結局フェードっぽくなってしまった。

だらだらと適当に読んでいた文月悠光「臆病な詩人、街へ出る」を読み終えた。
臆病、というよりかはある種の鈍感に、もしくは経験値の低さ、思い込みの強さを感じた。しかし、文章で表出される/できる部分など、その人の固有性のごく僅かであって、だからこんな本を読んでも、この人がどういう人かなんていうのは良くわからない。結局のところ。

ただ、あとがきには「当時書かれたこの連載の文章を読んで、なんとぐだぐだ考えているのだと思った」みたいなことが書かれていたが、むしろ僕にはあまり考えてない感じが伝わってきていて、そこもまた受け取り方が違うのだと感じた。

そこに書かれていることだけで、その人の事がわかった、などと思うのはとても危険だ。とくに、その人に実際に会ったことがある場合にはよりそうなるのだろう。

何年かぶりにあった人に「相変わらず変わらないね」とか言われて、とても気持ち悪くなったことを思い出したが、ずっと毎日みたいに変わるし、自分が言語化できることなど、ほんの僅かで、しかも感情に繋がる部分は言語化が難しいことだから、言語化された一部をもってその人の人となりを分かったと思うのは危ないことだと、この本を読みながら考えていた。

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