父親になるメリット~ 人生に与える影響①色々な本を読むようになる
ここからは、私は一番書きたかった「人生に与える影響」について書いていきます。
子どもが生まれることで、私はとても人生が変わったと思っています。
それは、根本的な人間性が変わるとか、神聖な人間になるとか、何か起業するほどにアイデア豊富になったとか、そういうことではありません。きっとなかにはそういう方もいらっしゃると思いますし、実際に子育て関係のコンサルタントやライター、学者として新たなキャリアを見つけられた方もいらっしゃると思います。
私の場合には、極私的に、ものの考え方が変わったというか、抽象的なものいいになりますが、子どもが生まれたことで、より人生に対して深く潜れるようになった気がしています。
「色々な本を読むようになる」
子供が生まれ、僕の人生に大きな変化があったと思うことのまず1つ目は「色々な本を読むようになる」です。これは私にとってとても大きな変化でした。私は子どもが生まれる前から、読書が好きでした。しかし、子どもが生まれる前まで、殆ど小説しか読みませんでした。新書も読むことも、ビジネス書を読むこともありませんでした。当然、専門書を読むこともありませんでした。もっと言えば、新聞も殆ど読みませんでした。日本に今、何が起きているかなんて社会人なのに殆ど分かっていませんでした。頭の中にあるのは、文学や音楽、映画のことばかりでした。
なぜ色々な本を読むようになったのか
子どもが生まれるとなぜ色々な本を読むようになったのか、まずそれは子育てのことが全く分からなかったからでした。
私は友人のなかでも一番始めに結婚し、一番始めに子どもが生まれました。だから身近な人から子育てについて聞くチャンスが無かったため、本から学ぶ以外にありませんでした。そのうちに、妻(子供からすれば母親)の凄さ・素晴らしさを目の当たりにするうちに、自分の親としての無力さを痛感するようになりました。残念ながら、日常生活において、私ができることなど、正直殆どありませんでした。休日を除けば、一日数時間しか家におらず、その時間も特に子どもが小さいときにできることは、妻の補助以外にありません。おむつを替えるとか、お湯を沸かしてミルクを作るとか、そんなことはできても、だっこしてうまく寝かしつけることもほとんどできないし、沐浴もうまくできませんでした。
赤ちゃんのころは、子どもは恐らくとても鋭敏な感覚を有していて、少しでも心地悪いと泣いて自己表現をするため、私がすることなすこと、心地悪かったのでしょう、良く泣かれていました。長女が少しずつ大きくなり、自分で色んなことをやろうとするのですが、なぜ長女がそんな「簡単」なことができないのか、なぜ失敗するのか、正直本当に分からなくて怒ってばかりでした(何で服をうまく脱げないのか、お茶をコップに注ぐときにこぼしてしまうのか、など)。
今考えればできなくて当然なのですが、本当に当時は分からなかったんです。例えば、こういうエピソードもあります。長女が初めて寝返りをしたとき、妻は動画を撮っていて、その声が本当に嬉しそうでした。それは、毎日一緒に長女いて、泣くことしかできなかった娘が少しずつ自分で動くようになり、今までは床ずれや後頭部が絶壁にならないようにと妻がしていた寝返りを、なんと自分でできるようになったからです。
それは、今ならば私も頭でも心でも分かります。しかし、当時私はその素晴らしさ、大きな成長の一歩をちゃんと理解できませんでした。仕事から帰ってきて、妻から嬉しそうにその動画を見せられたとき、凄いねー、頑張ったんだね、という声は出ましたが、心では、初めての寝返りがそんなに凄いことなのかな、と思っていました。今思い出すと胸が詰まります。長女をもっと褒めてあげればよかった。よくやったね、頑張ったね、と言ってあげればよかった。
話が脱線しました。とにかく、私は自分が親として無力であること、そしてうまく父親になり切れていないということが分かり、子育てに関する本を読み始めました。
子供に対して自分ができることとは何か
そして、自分が子どもに対してできることは何なのかを考えるようになり、自分にできることの一つは教養を与える(と言うと、とても偉そうになってしまいますが)ことなのではないか、という考えに至りました。私は、国語と英語の学力だけで大学受験を乗り切ったので、理科や社会が壊滅的でした。子どもに何を聞かれても、すべて答えられるようになろうと決めた私は、まずは歴史の本から読むようになりました。実際のところ、今でも歴史については殆ど分かっていないのですが、やはり戦争についてはちゃんと説明できるようになっておきたいと考えたので、戦前戦後については複数の本を読んだことで少しばかりは理解できるようになりました。
また、子どもの、凄く素直で素朴な質問(例えば、空はなぜ青いのか、とか、風はどうして吹くのか)にも答えられるようになりたいと思い、子ども向けの百科事典を読んだり、雑学の本を読んだりもしました。これから自分の子ども達がどの様な世界を生きていくことになるのか、何が求められる社会となっていくのか、そんなことを考えるうちに、政治や経済、社会学や哲学など、専門書レベルの書物は読めませんが、色々な本を読むようになりました。教育論の本も複数読んだと思います。食事・食物に関する本も読んだし、美術に関する本も読みました。コミュニケーションや話し方に関する本も読んだし、ビジネス書も読むようになりました。KINDLE UNLIMITEDをフル活用しています。
そして、色々な本を読むようになった
つまり、小説しか読まなかった私は、子どもが生まれてから色々な本を読むようになったのです。自分のことだけ考えていて良いのだったら、小説だけを読んで、その世界に拘泥して、社会と自分のずれていることを、ある意味では「意識高い系」として誇りに感じて生きていけばよかったのだと思います。しかし、子どもが生まれると否が応でも自分以外のことを考えるようになり、その為のヒントが欲しくなって、関連する文献を読むようになりました。それによって、また考えが深まっていき、大袈裟かもしれないですが、世界が広がりました。
いつ本を読んでいるのか
ちなみに、私がいつ本を読んでいるのかと言えば、通勤時の電車の中です。朝は座って1時間、乗り換えてから15分位、帰りは殆ど立って帰ってきますが大体1時間ほど、毎日合計で2時間くらい何かしらの本を読んでいます。お昼時間に本を読むことも多いです。いつも3冊くらいの本とKINDLEを持参していて、メインで読む本に飽きたり、集中できなかったら、それ以外の本かKINDLEでダウンロードした本を読んでいます。
私は、セレンディピティという言葉というか、現象がとても好きで、ある意味それに立ち会うために生きているような気がします。「偶然知」として訳されているセレンディピティは、一生懸命に何か物事に取り組んでいたら、それに直接関係ないことが発見されたり、解決されたりすることです。私も色々な本を同時に読んでいると、勝手にその本たちが共鳴しているような感覚に陥り、全然関係のない内容の書物のはずなのにどこかでヒントとなって、私の理解を進めてくれるようなそんなことが度々起きます。
子どもが生まれなかったら、私は恐らく今でも、そして死ぬまで小説しか読んでいなかったでしょう。私は子どもが生まれて、色々な本を読むようになりました。これは、本当に大きなメリットです。
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