久々に書いてみる

年初に「今年は毎日、日記を書く」ことを目標に掲げましたが仕事が忙しくなり挫折し、
一回途切れてしまうとそれまで抱いていた日記を書くテンションや緊張感が一気になくなり、数ヶ月も書かないでいました。

今も仕事は忙しいままで、職場の周りを見渡しても自分に仕事が集中している状態で、「なんで他の人にもっと仕事を振ってくれないんだー!不公平だー!ふんがー!」と思ったりもしていますが、もうこれは怒っても仕方がないので、とにかくこれは修行なのだと日々の仕事をこなしています。

今日は文化の日で休日なのに出張で、今新千歳空港で昼食を食べています。空港は沢山の人がいて、国内外からの旅行の人がたくさんいます。昼食を食べるにもどこもかしこも並んでいる状態。 

これからまた、毎日ではなくとも少しずつ、メモのように日記を更新していきたいと改めて思っています。

先日、「アノマリー(異常)」という小説を読み終えた僕は、今日飛行機に乗りながら、その小説の出来事について考えていました。その小説では、ある飛行機に乗っていた乗客が、乱気流に巻き込まれた後に、普通に着陸したことに加えて、三ヶ月後にもう一度着陸します。普通に着陸した自分に加え、何故が三ヶ月後にもうひとりの全く同じ自分を乗せた飛行機が着陸して、この地球上に同じ自分が二人いる、という異常な状態について書かれた本です。

ここではもうひとりの自分との向き合い方や関わり方が複数の人数を通じて書かれていて、双子として仲良くする人、仲違いする人、殺してしまう人、など様々な形で描かれます。

僕ならばどうするのだろうか、と飛行機に乗りながら考えていました。できるならば、双子のように自分と仲良くしたいと思いつつ、それは現実的では無いのだろうと。それは自分の家族は一つしかない中で、家族を分かち合うことは難しいからだと思ったからです。たとえ自分どうしてあっても物理的にそんなことは出来得ないのだろうと。そこで僕は恐らく、もう一人の自分に家族を譲る気がします。お互いがお互いの自分に譲り合う。そして、3ヶ月遅れてきた自分が、一人で生きることになると思います。理由は、連続したか断絶した期間があるか、その一点で決めるはずです。そこにしか理由を見いだせないだろうから。

飛行機でコルトレーンを聞いていると、自分のこれまでの大したことのない人生がとてもドラマチックに反芻されます。死ぬ前の走馬灯のように。飛行機に乗ると、いつもチェットベイカーかコルトレーンを聞いて、自分のこれまでの人生を反芻し、折り畳んでいく感覚のなかを泳ぎます。夕暮れ時の夕日を浴びる機内の中でならなおのこと。恐らく飛行機のなかは僕にとっては死ぬことに近い環境なのではないかとふと思いました。

それでは、これから会議のために移動します。

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