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A君との出会い

 私がA君と会ったのは、大学一年の夏だった。彼は中学二年生だった。講義が終り日も西に傾きかけたある日の夕方、登録しておいた家庭教師センターからの紹介で、大宮駅から歩いて十分ほどの彼の家を訪問した。玄関を入って一番奥に彼の部屋があった。ドアを開けると、机に向かって一人の少年が座っていた。会話は、こちらからの問い掛けに小さな声で二言三言答える程度。消極的でおとなしい少年というのが私が受けた第一印象だった。お母さんはとても社交的な方で、初対面の私にも気さくに話しかけてくれた。それがとても対照的だったのを記憶している。
 

 勉強を教え始めて、私はびっくりした。かけ算九九が満足に言えない。七の段あたりまでいくと必ずつっかえてしまう。アルファベットも全部書けない。特に小文字は書ける文字の方が少なかった。お母さんに聞くと、学校では「いじめ」もあるという。当時はやっていたスチール製の筆箱を、いつも潰されて帰ってくるとのことだった。その頃の彼は、誰の目から見ても、いわゆる「落ちこぼれ」の生徒だった。
 

 彼は努力家だった。とても真面目な性格で、出した宿題はほとんど忘れなかった。次第に彼の方から質問も出るようになった。一年半があっというまに過ぎた。しかし、彼の学習の遅れを十分に取り返すには少し短すぎた。彼は、年子のお兄さんが通っている高校を始めとして何校かを受験した。しかし、結果はすべて不合格。お母さんお父さん、そして本人との話し合いの結果、一年浪人して再挑戦することになった。最後は彼の決断だった。

 もう一人友人を頼んで週四日の家庭教師と自宅学習。十五才の彼にとっては辛かったであろう一年間をなんとか乗り切った。そして翌年、お兄さんも通う第一志望の私立高校に見事合格を果たした。この経験は、後の彼に大きな自信をもたらすことになったと思う。

 高校に入学してからしばらくして、彼は英語に興味を持ち始めた。頼まれて参考書や問題集を届けたり、電話で質問されることもしばしばあった。彼は人が変わったように英語の勉強に打ち込んだ。学校の帰りに英会話学校にも通った。さらに、高校三年の夏休みには周囲の心配をよそに、一か月間カナダにホームステイ。雄大な自然に囲まれて、また、沢山の人々とも知り合って、カナダに魅せられて帰ってきた。
 

 卒業後、家業の土建業を手伝いながらさらに勉強を続けた。そうしてためたお金を元手に、昨年五月再びカナダへ。今度は二年間、専門学校に通って英語の勉強をするという。 今年の夏休み、私は彼とカナダをレンタカーで巡る計画を立てた。バンクーバー、カムループス、バンフ、カルガリー、ジャスパーと回って再びバンクーバーに。全行程3500Kmを九日間で走破した。カナダで再会した彼は十年前とは見違えるほど頼もしい青年になっていた。宿の交渉はほとんど彼に任せた。フロントに駆け寄って、臆することなく英語で話しかける彼を見て、私は人間の可能性の素晴らしさを感じた。
 

 この旅を通して、私も彼と同様に、カナダの人々の暖かさや、カナディアンロッキーの雄々しさにすっかり魅せられてしまった。
 

 十年前の彼を見て、誰が今日の彼の姿を想像できただろうか。彼は、高校受験を乗り越えた経験と「英語の勉強」という人生の目的を見付けられたことで変身した。人間は誰にでも無限の可能性がある。それは誰にも分からない。たとえ本人にさえも。

 私は、教師として、子どもの可能性を常に見つめ、子どもたちが自らの可能性を開発するための援助を続けていきたいと心から思う。彼との出会いはとても大切なことを教えてくれた。

学校教育には矛盾がいっぱい!