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心の歯車

 最近の自動車はAT(オートマチック・トランスミッション)車が多くなり、MT(マニュアル・トランスミッション)車は少なくなった。オジサンをターゲットに絞った4ドアセダンなどでは、始めからMTの設定のない車も多い。車好きの方々はご存じかと思うが、MT車には、「自分が車を操っているんだ」という実感と、楽しさがある。最適であると思われるギアを自ら選んで操作する。車ではそれに応じてトランスミッションの歯車が切り替わり、加速、減速を行うのである。
 さて、私は人の心にも、車と同様、目に見えない歯車があると思う。これはなかなかATとはいかずに、MTトランスミッションのようである。車と同様、自分で最適のギアを選んでやらないと、たちまち心の中がギクシャクしてしまう。例えば、仕事に疲れて少し休みたいと思うとき、つまり、心の中の上り坂を登らねばならぬとき、自らに鞭打つがごとく、ギアをトップに入れてしまったらどうだろうか。実際の車なら、いくらアクセルを踏んでもスピードが上がらなくなる。へたをすると、エンジンが止まってしまうかもしれない。これを生身の人間に置き換えてみると、過労でダウンしてしまう場合もあるだろうし、度重なれば、さらに重大な事態すら招きかねない。
 我々の人生には、平坦な直線道路、曲がりくねった上り坂、緩やかな下り坂……様々な道がある。自分の心のエンジンの性能、ガソリンの残量をいつも確認しつつ、最適のギアで快適な人生のドライブを楽しみたいものである。

学校教育には矛盾がいっぱい!