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Aさんの話

 私がAさんと会ったのは、まだ一年目の新米教師のときだった。私は産休先生として二学期から江戸川区の中学校に赴任した。そして、一年生の国語を担当することになった。彼女はすぐに目にとまった。他の女子生徒とは少し違っていた。中学生にしては、世の中をずいぶん冷めた目で見ているような気がした。世間一般の言葉で言うと「つっぱった」生徒だった。しかし、彼女は国語の授業はとても真面目に受けてくれた。自分から話しかけてくれることもあった。漢字練習の宿題もきちんと提出してくれた。
 

 あるとき同じ学年の先生が、私にこんなことを言った。「Aは国語の授業だけはきちんと受けてるみたいだね。私の授業なんてノートも取らないしボーッとして外ばっかり見てるよ。まったくしょうがないね。」彼女の国語以外の授業態度はすこぶる悪かった。
 

 赴任して数か月が経った頃、私は彼女の担任の先生に「Aさんのお母さんが『娘が、知らない男性と写っている写真を机に飾っているんですが。』と心配していたんだけど心当たりない?」と尋ねられた。「うーん」と考えたわたしの脳裏に、あるできごとが浮かんだ。そういえば高尾山に遠足に行ったとき、彼女に頼まれて二人で写真を撮ったっけ。
 

 こんなこともあった。ある土曜日の放課後、私が職員室で仕事をしていると、女子生徒がやってきた。「Aさんが教室で先生を待っているから来てほしい。」という。教室へ向かう道すがら、その生徒は「Aさんが先生にお弁当を作ってきているみたいだから食べてあげて。」と話してくれた。教室に着くと、Aさんが手を後ろに組んでモジモジしている。用件を聞いても要領を得ない。二言三言たわいもない話しをして、私は期待が外れてちょっとがっかりしながら職員室に戻った。
 

 あるときは校則違反を繰り返し、授業も真面目に聞かない不良少女。またあるときは、真剣なまなざしで学習に取り組み、淡い恋に憧れる可愛らしい少女。どちらの顔が本当の彼女なのか。
 

 彼女は、他の先生が考えているほど悪い生徒ではなかった。少なくとも私の前では違っていた。「先生たちは、私のことをダメな生徒だと思っている。」彼女は、そんなことを敏感に感じ取ってしまう繊細な感性を持った少女だったのではないだろうか。彼女がつっぱるにはそれなりの理由があった。彼女には父親がいなかった。淋しい彼女の気持ちを、我々教師が十分理解してあげることができなかったことが悔やまれる。
 

 大人になる過程で親や先生に反抗するのは、正常な発達をしている証拠である。反抗期は大人になるための大切な準備期間である。なぜ、学校の先生、あるいは親になってしまうと、反抗が罪であるかのように子どもたちを怒鳴り散らしてしまうのか。自分も通ってきた道なのに…。もし、私が再びAさんのような生徒に会うことがあったら、今度はもっと「想像力」をはたらかせて、彼等の気持ちを分かってあげたい。認めてあげたい。
 

 最近では毎月のように、いじめられた末に死を選択する子どもたちのニュースを耳にする。何とも痛ましく、そして憤りを感じる。彼等のそばにいた大人たちは何もできなかったのだろうか。昨年の夏、我が子をいじめが原因の自殺によって失った父親が、いじめっ子や先生に復讐するドラマがあった。やりすぎだと非難の声があった。しかし、現実は…。

 私が彼女と別れて二年が過ぎて、卒業式に招かれた。でも体育館に彼女の姿はなかった。二年生になって間もなく学校に来なくなり、今は行方不明だと元同僚の先生が教えてくれた。Aさんは今43歳になっているはずである。私は元気で生きていることを信じている。

学校教育には矛盾がいっぱい!