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食わず嫌いと多様性

多様性。今はダイバーシティという言葉も一般に使われるようになりましたね。
以前にJ-WAVEで西村宏道さんがお話をされていたのを聞いて、「あ、これだ!」と思う事があり、そこを少し掘り下げてみたいと思います。

【ハイヒールを履いた僧侶】

ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、西村宏道さんは世界的なメイクアップアーチストであり、浄土宗の僧侶であり、LGBTQ人権活動家、でもあります。LGBTQの当事者としての一面も持たれており、ハイヒールを履いた僧侶、という別名もある方です。
アメリカに渡りメイクアップアーティストとして花開き、ミス・ユニバース世界大会でもメイクを担当。それがなぜ僧侶になったのか?
元々は実家がお寺である、というのが僧侶になる直接のきっかけとのこと。
しかし、もともとは、いくつかの理由で僧侶になることが嫌だったとのこと。
「セーラームーンやプリンセスにあこがれている自分が髪を剃るなんて嫌だと思っていた。」
「周囲にはお寺を継いでお坊さんになるんだよね、と言われていたことが、自分の未来を決められるようで嫌だった」
ご両親からは実家を継ぐようにとは言われなかったものの、「僧侶は嫌い」ということに対しては、お母様からこのようなことを言われたとのことです。
「モーツァルトがもし嫌いというのであれば、モーツァルトの曲をちゃんと勉強して自分で弾いて、それでどこがどう嫌いって言えなければ偏見というか、意味のない批判なんだよ。」
その言葉を聞いて、仏教のことを食わず嫌いでなんか嫌だなと思っていた自分に気づき、本当に勉強してみたうえで、どうなるのかを見てみないといけないと思って。それで修業に参加したとのことです。それをきっかけに、今僧侶を続けているのだとか。
このお話を聞いて、特に西村さんのお母様の言葉に強く共感してしまいました。

【経験したこともないのに嫌い?】

見た目や先入観で「いやだ、嫌い」ということって日常でもとても多いケースだと思います。
かく言う私も、中学入学直後に一時期イジメられかけたことがありました。
その理由は「何となくまじめそうで目立っていたから。」
私の中学は、約200人の全校生徒のうち、約150人が同じ小学校出身で、私の小学校出身者は6人というかなり特殊な勢力図を持つ学校でした。
遠距離通学しているくせに、新入生の中で一番背が高く、新入生代表として入学式で挨拶をした ⇒感じ悪い奴
だったようで、クラスのガラの悪い男子生徒何人かから嫌がらせを受けたのですが、これは私のキャラが浸透するとともにほどなく収束しました。
「笹井って、なんでそんな鼻血でるん??」
私は小さいころに鼻の手術をした関係で、鼻血を出しやすい体質でした。
中学入学後も、授業中、給食時間中など、時も場所もわきまえず鼻血を出したので、「鼻血キャラ」のイメージが定着し、そのおかげで”感じ悪さ”が払拭されたのでした。。。
鼻血キャラ、それはそれで微妙なポジションではありましたが。。。

閑話休題。

多様性(ダイバーシティ)の問題は、「いかに多様性を受け入れられる社会を作るか。」と言い換えられる訳で、その実現のためには、「理解もせずに嫌いという」ことからの脱却が大切だと思います。
つまりは、「きちんと学び、深く理解し、そのうえで問題提起する」というマインドセットがとても重要だと思うのです。
理解することで、ネガティブなイメージが自分の思い込みであったことに気づくことができる。
実際に、西村さんの仏教に対する経験もそうだったようです。

【浄土宗での教え:みんなが平等に救われる】

仏教の戒律の中には、着飾ってはいけない、ダンスを見たり、音楽を聴いたり、高いベッドに寝てはいけない、などというものがあり、そういった作法が自分には合わないと感じていた西村さんですが、尊敬する僧侶の先生に相談したところ、このように答えていただいたといいます。

「教えの後に作法ができたもので、大事なのはみんなが平等に救われますよという法然上人の教えなのですよ。」

結果的に、仏教の寛容さ、伝統や慣習にとらわれず本当に大事なことをやればよい、という考えに触れたことで、自分らしくありながら僧侶を続ける道を選ばれたとのことでした。

この話を聞いて気付いたのですが、実は「ダイバーシティを認める世の中を目指す」ことが浄土宗の教えなのですね。。。戒律などでガチガチの世界かと思っていたので、かなり驚きでした。

所謂、破戒僧と呼ばれる人たちがいて(先日の一休さんもそういう位置づけらしいです)、そういう人たちは仏教の中では異端という位置づけだと思っていたのですが、必ずしもそうではないのかもしれませんね。

【最後に】

私は、フランス系の会社にいることもあり、異なる文化背景を持つ人たちと日常的に仕事をすることで、多様性を受け入れられるようになってきた、と自分では思っていましたが、その反面、日本人に対してはどこかしら「日本人だから」というバイアスをかけて、知らず知らずのうちにある程度の同一性を期待してしまっているところがあるかもしれないな、と思うようになりました。

「きちんと理解するために必要な行動をする」、ことから始めたいと思います。

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