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#002 昭和初期の菱屋町商店街


「大津の銀座 菱屋町」絵葉書 全景

 #001とセットで手に入れた写真絵葉書です。
タイトルは「大津の銀座 菱屋町(大津市名勝)」
 「大津の銀座」というフレーズが、なんとも昭和的ですが、当時は銀座という言葉に負けない、県下を代表する商店街でした。

お店の様子

 お店の名前を拾ってみると、右手前から「辻久文具店」、「今堀時計店」、「西澤洋品店」。その次がおそらく「かねよ」。いくつか置いて「シマダ」のかばん屋さんが見えます。左側は「丹後屋洋品店」、「石本時計店」。向こうは靴屋さんだと思いますが、店名は見えません。
 こうしたお店の並びや山の様子から、写真は菱屋町の東の入口、つまり電車道から商店街に入ってしばらく行ったところから、西方向に撮影されたものだとわかります。
 写真が撮影された当時と比べて、今も営業されているお店はありますが、読み取れる範囲のお店は別なお店になっているのは商店街ならではかもしれません。

通りの細部

建物やデコレーション

 次に細部の鑑賞。建物は、ほとんどが町家だと思いますが、通りに面した部分をビルのようにフラットにして店名を目立つように掲げる、いわゆる看板建築で建てられています。こうした建て方は、後述するアーケードの雨仕舞いにも有効です。タイル貼りでどのお店も高級感が漂います。
 通りへのアピールは、張り出した看板がちらほら見えますが、軒から旗や幟をせり出させています。一方で店先はショーケースが溝ぎりぎりまでせり出しているものの、留め置かれる自転車以外は整然としていて、商店街のルールが徹底されていることが推測されます。正面からみたお店の様子がわかると、もっと面白いのですが、この絵葉書ではこのくらいでしょうか。

アーケードの様子

アーケード

 この絵葉書の一番の見どころはアーケードです。
 あえてアーケードと書きましたが、『図説 大津の歴史』や『新修 大津市史』などでは、昭和30年(1955)に市内初の試みとして、総工費一千万をかけてアーケードを設置したとあります。とはいえ写真は昭和10年代なので、これは市史でいうアーケードではありません。【参考】大津市歴史博物館の古写真
 他の戦前の写真にも写っていますが、いつ作られたかは謎ですが、昭和になると菱屋町商店街には鉄で骨組みをした覆いが設けられました。写真を見ると、通りの両側に柱を立てて梁で渡す構造で、中央には街灯を設置しています。また、写真では奥の方にだけ覆いが出ていますが、よく見ると通りの脇にひもがあり、たぐると布がせり出す様になっていたようです。日覆いなのは確かですが、雨でも対応できたのかが自信がありませんが、これもアーケードといっても良い構造物だと思います。
 この戦前のアーケードは、戦中に金属供出で撤去されたといいます。いずれにせよ、戦前戦後にそれぞれこんな立派な構造物を作るのですから、商店街が賑わいをみせていたことがわかります

アーケードの蛇足

 大津市内でいえば、ナカマチ商店街のうち、丸屋町は昭和50年に、長等商店街もその後設置して現在にいたります。また、アーケードつながりで言えば、大津市歴史博物館の古写真に明治時代の大津・柳町の魚市場の写真として、通りの軒同士に棒(竹?)を渡す、日よけが写っています。今日の話の流れでいえば、確認できる市内最初のアーケードは、柳町といえるかもしれません。


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