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「世界」そのものが好きになるっていう話

新作ポケモンのシールドを買った。初代以来だから実に23年ぶりだ。ちなみに初代は青をやっていた。「金・銀」〜「サン・ムーン」に出てきたポケモンはまるまる分からないし、追加されたシステムも理解できるか不安だった。初代の151匹以外に馴染みがあるのは、アニメに出てきたソーナンスぐらいだ。流行るからといって買って、すぐ飽きてしまうことだけは避けたかった。けれど、それは杞憂だったと、発売から間もない今に思い知ることになる。

電車の車内広告でポケモンのCMが流れていた。初代から最新のポケモンが、それをプレイする少年少女の元に集まってくるCMだ。このCMを見た時に「あ、うちのポケモンに会いたいな」と思ったのだ。この感覚は「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」にハマっていた頃に似ている。

SwitchのPR映像を見て一目惚れをして、なんとか発売日に購入した。一緒に購入したソフトがゼルダだった。しばらくゲームから離れていた僕にとって、PS2以来(10年以上振り)の据え置き型ゲーム機だ。買ったはいいがやる時間がない、すぐ飽きるということにならないか不安だった。しかしそれもまた、杞憂であった。

前述の「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」はゲーム性としてはシンプルだし、難易度もちょうどいい(と言っても序盤は何度も死んだ)。グラフィック面でもPS4やXboxのような高性能ゲーム機のゲームと比べると見劣りする。けれど、それで十分だった。

ゼルダをプレイし始めてから数日経った時にふと「あぁ、ハイラルに帰りたい」と思ったのだ。「ダンジョンを攻略したい」ではなく「ガノンを倒したい」でもなくだ。あの世界に行って、空気を感じたいと思うようになったのだ。ゲームではなく、ゼルダの世界そのものが好きになっていた。そうなると、もはや飽きるということがなくなるわけだ。

ゲーム性よりも、その世界を好きになるということ。そんな世界を創り出す人たちに、心から感服する。僕もそんな風に、他の人に好かれるような世界を創り出したい。創り出すのだ。

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