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環境が健康を蝕む現実を変えたいと思っている医療職11年目の終わり頃・・

健康とは何だろうか・・?

僕が理学療法士になって、数年が経過した頃から漠然と考えてきた問いである。

WHOには定義がある。
世界保健機関憲章前文 (日本WHO協会仮訳)より引用すると

健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。
  
(〜中略〜) 
子供の健やかな成長は、基本的に大切なことです。
そして、変化の激しい種々の環境に順応しながら生きていける力を身につけることが、この成長のために不可欠です。
健康を完全に達成するためには、医学、心理学や関連する学問の恩恵をすべての人々に広げることが不可欠です。一般の市民が確かな見解をもって積極的に協力することは、人々の健康を向上させていくうえで最も重要なことです。
(以下略)

まぁよく分からない。けれど、書かれているのは
「健康って単純に病気じゃないとかそういうことだけじゃないんだよ」っていうこと。
「子供の成長は、環境に適応しながら生きて行く力を身につけることだよ」
「健康の達成のためには、みんなの力が大切だよ」

っていうこと。

もう何が何だかよく分からない。

そこで今回からシリーズで、僕の考える「健康とはなんだろうか」という雑感を綴ってみようと思う。読んでいただくとWHOの定義についても納得できるようになるかな?


健康と病気

WHOの定義では「健康ってのは、病気ではないとか、弱っていないとかいうことではなく・・・」と書かれている。

つまり「病気でない=健康」ではないということだ。この意見には僕も大賛成である。
だって疾患を抱えていても幸せを感じながら生きている人はいるし、そう言った人を「不健康だ」などとは微塵も思わない。

逆に病気でなくても、常に不平不満を抱えて生きている人を見て「健康そうだね!」とも思わない。

つまりWHOの定義に賛同する形であるが、単純に「病気でない」とか「弱っていない」とかそういうことじゃなくて、心理的なあり方とか社会的な役割というものが「その人らしい人生」を作り上げていて、幸せを感じながら生きている人は「健康そうだ」と僕は思うのである。

そこで健康とは何か?を個人的意見で一言で表すならば「主体的に生きている状態」であると現時点では定義したい。

だから病気を抱えていても、その病気を受け入れ上手く付き合いながら自分らしく生きている人は「健康である」と感じるし、いくら肉体は弱っていなくとも自分の人生に不満を持ちながら生きている人は不健康であると感じる。


先日、POSTというリハメディアの吉藤オリィさんのインタビュー記事でこのような言葉が書かれていた。

障害とは何かというと、自分のやりたいという意思に対して、どうしても自分の力だけでは乗り越えることができないハードルが存在している状態です
(POSTインタビュー記事より引用)

このオリィさんの「障がい」の定義は僕の中ではしっくりくる。
だけど先ほども言ったように、「障がいを抱えているかどうか?」と「健康かどうか?」は直接的にイコールではないのだ。
「障がいを抱えている=不健康」ではない
「健康な人は障がいを抱えていない」わけではない

障がいを抱えながらも健康な人もいるし、障がいを抱えていなくても不健康な人はいる。

大切なことはやっぱり、自分自身が今の状況・立ち位置を受け入れた上で、自分の人生を主体的に生きていくということが、健康的であると思うのです。


主体的に生きるとは、自分の人生の選択を自らが責任を持って決定しているということ。自らが立ち位置や状況を把握し、進むべき道を自分で決定し、人生を歩んでいるということであると思うのです。

なにか目の前に困難や不幸が舞い起こった際に「これも自分で選んだ道であり、挑戦だ」と向き合うか「なぜこんなことになるんだ。社会が悪いからこんな目に遭わなければならないのだ」と不満を口にするか?

そんな思考回路の違いが「健康かそうでないか」という一つの基準にもなるのではないかと考える。障がいを抱えていても健康な人はいます。

であるならば、その違いは何によって生じるのか?それがこの記事のシリーズの中身である。


健康の社会決定要因

健康の社会決定要因(Social Determinants of Health=SDH)という言葉を聞いたことのある人は、あまり多くないかもしれない。

医学生の教育モデル・コア・カリキュラムでも、最近になり「SDHを概説できる」という学習目標が設定された。日本では比較的新しい概念であるようにも思えるが、実は結構古くから研究報告は多い。

このSDHとはどういうことかというと、健康に影響する個々の肉体レベルの要素のことではなく、健康に影響する社会因子のことを指す。

肉体レベルの要素:遺伝子、細胞、筋肉、関節など

社会因子:社会経済状況、国家の状況、地域環境、学歴、所得など

以前までは健康には生物学的な問題ばかりが着目されていた。
2型糖尿病になるのはインスリンの問題であり食事の不摂生が原因の一つ。なので自己責任であるというような意見も以前から散見される。「生活習慣病」という名称がそもそもの誤解を強化するワードなのです。

しかしこのSDHの概念が広まれば、その誤解は少なくなっていくのではないかとも思う。それほどに、健康には「社会的因子」が根深く関わっているということがわかってきているのです。

例えば上の例でみていくと、

2型糖尿病というのは、確かに高血糖状態が続くことで起こる疾患でもあり、食事の不摂生の影響は大きい。

いつもお菓子ばかり食べている。
野菜を食べずに炭水化物ばかり食べている。

そんな生活習慣の人が糖尿病になったら、皆さんは「自己責任」と思うでしょうか?

正直に言いますが、以前の私はそう思っていました。自分は健康に気をつけて野菜を食べたり、間食を減らしている。それを尻目に「そんなに食事を気にしてつまらなくない?」などと言われるような経験もあった。
そんなことを言われるのは気持ちの良いものではないし、自分としてはそういった「生活習慣病にかかるのは自己責任だろう」と思っていた。甘いものを常に口に入れ続けているような人が糖尿病なり、何かしら病気になっても「自分の行動が招いた結果だ」と考えていたのです。

だけど、最近はそう思いません。

「健康とは何か?」

冒頭にもあげたこの問いを常に持ち続けたことで、色々なことが分かってきて繋がってきたから。

今の例であげたように、
・いつもお菓子ばかり食べている
・野菜を食べずに炭水化物ばかり食べている

そういった人の、こうした行動は何によってもたらされているのか?という社会背景までを想像するようになったからです。


貧困と寿命の関係

SDHでは、特に"経済状況"や"社会的立場"と健康との関係が世界各国から報告されている。

例えばアメリカでは1992年に50代・60代だった富裕層は、2014年時点でもまだ4分の3が生存していた。しかし貧困層の生存者は半分をわずかに上回る程度だったというような報告がある。

イギリスではホワイトホール研究という有名な報告がある。公務員を対象に、職種の階級の違い(管理職、専門職、事務職、その他)が健康に及ぼす影響を長期に渡って調べた研究報告である。
この報告によると、職種の地位と死亡率に関して、有意な相関を認めたということが分かったのである。現役時代には3.12倍も、そして引退後であっても1.86倍も、職階の低い群の死亡率が高い群と比べて高かったという。

海外だけの話ではない。日本でも様々な報告がある。

生活困窮世帯の子どもは虫歯や肥満が多かったり、また所得の低い人ほど喫煙率も高く糖尿病や高血圧に罹患しているということ。野菜摂取量が少なく、炭水化物を多く摂っているということ。検診の未受診やワクチンの未接種などが多いことなどが分かっている。

東京23区で見ても、世田谷、目黒、杉並、港区などのいわゆる西部の「山手地区」と葛飾、荒川、江東、足立などの東部の地域では、西部の地域の方が世帯年収は高く寿命も長いことが分かっており、西高東低と言われている。

これは一体どういうことなのだろうか?

なぜ低所得者や貧困だと健康が損なわれるのだろうか?

単純に考えて、上記の報告にもあるように
・検診の未受診
・ワクチンの未接種
これらは直接的に病気の発見・治療開始の遅れや、予防に直接的に関与する。貧困によってこういった部分にかけられるお金が少ないということ。

・炭水化物が多く野菜摂取が少ない
・生活習慣病が多い
これらは少ない出費でエネルギー源となる低価格高カロリーの食事を優先した結果、ファストフードなどが増えて肉体的な健康を脅かすことに繋がるのではないだろうか。

よく勘違いされているけれど、肥満は贅沢病ではありません。
貧困層にこそ肥満は多い。ファストフードや加工食品などの低価格低栄養高カロリーの食事を続けたことによって肥満になることが多いのです。

このように、生活習慣病などは表面的には「自己責任」のように思われてしまうかもしれませんが、その社会的背景を考えると「社会格差」が生んだ結果とも言えるかもしれません。

寿命を全うしない死亡の原因の割合は
・生物学的要因は30%
・生活環境が40%
・医療制度や社会状況が残りの30%
というような報告もあります。それほどまでに環境要因というのは大きいのです。

生活習慣の形成は家庭環境や成育歴にも左右されます。食事で言えば、嗜好は幼少期の食体験に大きく依存します。幼少期から低価格低栄養高カロリーのファストフードや加工食品ばかりを食べていたら、その嗜好は大人になっても続くことが多いのです。


そして何よりも「物事に対する向き合い方」というのは、幼少期からの環境の影響が大きいといわれています。幼少期の体験は脳に構造的変化をもたらすほど重大であり、この問題がその後の人生の様々な面において多岐に渡って影響があると僕は思うのです。


子どもの貧困問題
それは単純に不摂生な食事やワクチン未接種などの問題に止まりません。

この記事の前半に書いた文章

なにか目の前に困難や不幸が舞い起こった際に「これも自分で選んだ道であり、挑戦だ」と向き合うか「なぜこんなことになるんだ。社会が悪いからこんな目に遭わなければならないのだ」と不満を口にするか?
そんな違いが「健康かそうでないか」という一つの基準にもなるのではないかと考える。
であるならば、その違いは何によって生じるのか?

こういった物事の捉え方にも多大な影響を及ぼしかねないのが、子どもの貧困問題です。

では具体的に子どもの貧困はどういった問題を引き起こしてしまうのでしょう?どんな構造で幼少期の経験が大人になってからの健康に影響するのでしょう?
長くなりましたので、このあたりの話はまた次回以降の記事で書きたいと思います。

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