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【メモ|花粉症】概ね、人間以外はアレルギー

◯メモ

高慢な秒針の音が乾いた部屋に響き、廊下へ伝い、川の字に敷かれた、尖った肩や骨盤が畳とぶつかりあい、ある空間(といっても、拡がっているというよりもむしろ、ただ感覚の与奪のために便宜的に用意され、可視化されただけであるような空間)を占める眠気に窮屈さを与え、この眠気が占める場所そのものは残したままに、空間が明滅して、ついには何もなくなってしまうのだが、不愉快で、すでに入浴の直後から噴き出る汗と、べとついた軟膏が混じりあって、少しでも力をかけて引っ張れば、ちょうど白身魚のように千切れてしまいそうなほどぶよぶよしていて、コットンの白い半袖のシャツは襟元や脇の部分が黄ばみ、くたくたになっており、人体を象るように散ってしまった綿に寝転んで、この薄すぎる布団の上方の拡がる不必要な猶予に、とはいえ規則的にこだましていて、

 と、メモしていたのだが、明らかにTwitterの文字制限をオーバーしていた。メールの下書きにメモを溜めるのにハマっているが、ツイートにすることもあるし、ある程度長くなりそうだと思うとGoogleドキュメントを使ったり、紙に書き殴ることもあり……、羅列すればもっとある。散逸している。散逸自体にはそれほど問題を感じていない。散逸するのは場所がいっぱい欲しいからで、noteも場所とする。こうしてメモ帳に書くようなことを公開するのは、作る欲望を満たしかねないので、抵抗がかなりある。あらゆることを書くと思うし、とはいえ日記はほとんど何にも書かないので、日記にはならないと思うが。今のところはどうでもいい。

◯花粉症

 苦痛を推し量る場合、「一日は二十四時間」で使われているような意味での時間がとても重要であって、すると花粉症こそが人生における挫折の最も主要な原因なのではないかと考えていた。要するに、杉が悪い。
 「苦痛を推し量る」が、苦痛の質を推し量るや、苦痛の量を推し量ると変換されて読まれることが多いと想定してはいるものの、では苦痛におけるパラメータは何かとなれば、こうした意味での時間が話として出てくることはあまりないと考えていた。
 考えていた、と二度過去形を使ったのは、そのように確かに考えていたのはまだ学生と労働者の間、無職の期間だったからだ。いまはどうか?いまは花粉症と似た状態にあり、それを考える余裕はない。違う考えを持っている気もするし、まだ同じような気もする。
 花粉症と抑うつはかなり似通った症状を呈する。鼻呼吸ができずに、あるいは鼻の奥の壁を伝って喉まで鼻水が垂れ、喉の状態が酷くなる。寝つきが悪くなり、眠りが浅くなる。倦怠感、こいつはなんでなのかわからんが、花粉症は総合的な結果として倦怠感を与える。外出が億劫になる。ティッシュを持ち歩きながら、(すでにどうでもよくなっている患者も多いだろうが)鼻をかむという醜い行為を繰り返さなければならない。ティッシュを忘れると、衣服のどこかで何度も拭くか、マスクの下で垂らし、挙句の果てには唇の上にまできた冷たいそいつを舐めとる……。
 目は、かゆい。特に納得していない瞼の状態がさらに納得できなくなる。鼻の孔の回りは乾燥し、何もかものノリが悪化し、皮ふは白くめくれ上がる。あるいは切れて赤くなる。また、そうした具体的な見た目や行動の変化により醜くなり、自己肯定感が低下し、不安が募り、近しい人間以外に会うハードルが極端に上がる。くわえて、概ね、人間以外はアレルギー。花粉症である私を案じてかけられる言葉はたいてい憎い。憎いか、あるいは耳に入っていない。耳も遠くなるのだ。集中力が低下している。もういいよ。
 もう帰る。もうどうでもいいってば。特になし。頭をもたげて、OKサインを掲げる。
 花粉症の苦痛はあまりにも長い。花粉症はやはり、スピリチュアルや陰謀論と関係がある。回復の原因が意味不明すぎるうえに、薬は効いたんだか効いてないんだかわからず、民間療法だか、特に根拠もないような方法を試行し、たまたま改善の時期が重なろうものなら……、この積み重ねがあなたを神秘主義にする。掃除のコツは、さっさと眠り、さっさと起きることだ。
 肩は、邪魔だ。喫煙者の特徴は横歩きにある。喫煙室に一刻もはやく入るために、扉の開度が最小の状態に、身体を横にして突っ込むのだ。あるいは人とすれ違うために。壁の隅も、柱も、応用の結果として、すれ違う対象と化す。エレベータの扉もあるいは。ただでさえ醜い肉体は、洗練された醜い動作を獲得する。動作は浸透し、習慣となり、醜さは最高潮に達する。そして悲惨なほど長い時間、生きてあり続ける。
 耳は存在を忘れているくらいがちょうどいい。ほじるかほじらないかの選択肢を与えないでほしい。この話で言えば、私はヘソの存在をほとんど意識していない。鍛錬によるものだ。

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