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山登りの思い出


山の麓まで辿り着くと、辺りは自然に囲まれた。
冷気を孕んだ秋の風が吹いた。
木々のざわめきと小鳥のさえずる声が響き渡る中で、澄み切った空気を目いっぱいに吸い込むと頭の中が冴え渡っていくのを感じる。

僕にとっては二年半ぶりの二度目の登山だった。前回登頂した山より高さも難易度も低いとのことだが、それでも山に入るときの心持ちはドキドキとワクワクが募る。

麓の小さな駐車場で山登りの準備を済ませ、僕と高校時代からの友人二名(計三名)の一向は、冒険に出る旅人のような心境で山道に足を踏み入れた。

高い森林に陽の光が遮られた山道は薄暗かった。

血脈のような木の根がトラップのごとく地面のあちこちから隆起している。足を取られないよう注意しながら、僕たちは落ち葉の積もる小道を進んだ。

「もののけ姫みたい」

目の前の光景をそう形容した友人の言葉に、僕は足元に向けていた注意を前方へ向けた。

表皮に苔の生えた巨大な木が立ち並ぶ空間の中に、緩やかに水が流れる沢があった。

木々の隙間から陽の光が木漏れ日となって差し込んでいる様子は、確かにシシガミ様とは言わないまでもヤックルの一匹くらいは潜んでいそうな神々しさを僕たちに感じさせた。

流れる沢の音に心が清められていくのを感じながら、僕たちは頂上を目指した。途中、雑木に潜むトカゲの背に触れ、サワガニを手のひらに乗せた。普段は虫も爬虫類も苦手な僕が手袋越しとはいえ、触れてみる気になったことが不思議だった。

何度か休憩を挟みながら、僕たちは徐々に険しくなっていく山道を登った。
ロープや鎖を握りしめ、斜面を登らなければいけない難所に差し掛かった。だが、以前の山登りの経験によって僕たちは怯むことなく進んだ。なにより、前回の僕は普段使いのウォーキングシューズを履いて山に挑むという無謀ぶりだったが、今回はきちんとトレッキングシューズを用意して挑んだのだ。足の滑りそうな、半ば崖のような斜面も思い切って登ることができた。


途中、下ってくる登山者とすれ違う度に挨拶を交わし、ちょっとした会話による交流を重ねた。いつもは他人に対して閉じ気味な自分も、積極的に挨拶する気になるのだから、これまた妙なものだと僕は思った。あの感覚は一体なんなのだろうか。

 頂上手前に立ちはだかるラスボス的な斜面を這いあがると、青空がグッと近づくのを感じた。スペースの決して広くない山頂の中央に埋まるように鎮座する岩に先を行っていた友人が立ち、後ろに続いて僕もその岩の上に立った。

先程まで高い木々に遮蔽されていた周囲の視界が、一気に開けた。

遠くに浮かぶ雲と目線の高さが同じ位置にあった。視線を少し下げると、そこには紅葉の混じる色鮮やかな緑が悠然と広がっている。陽の光を含んだ空気を、僕は肺がいっぱいになるまで吸い込んだ。

高い位置から見下ろすと、密集する木々の頭頂部は濃い立体感を帯びていて、マリモのような印象を僕に与えた。触れるとなんだかモコモコしてそうな、そんな気がする。

背後を振り返ってみると、大きな工場を中心に据えた街並が一望できた。

人工物と雄大な自然のコントラストを一望できる局地で、登頂の達成感と疲労感に包まれながら、僕たちは一息つくことにした。

友人の一人が煙草を吹かし、山登りに長けたもう一人の友人は休む間も僅か、キャンプ用のシングルバーナーをリュックから取り出してお湯を沸かしてくれた。

静寂の落ちる山頂にバーナー特有の小気味良い点火音が響く。

友人はリュックに忍ばせていた2リットルのペットボトルを取り出し、バーナーの上に乗せた鍋の中に水を注いだ。実に手際の良いその動作に、僕は感心させられながら、ただただ見つめていた。

青空に浮かぶ太陽が、近かった。
 
11月半ばとは思えない強い日差しを受けながら、僕たちは各々持参したカップ麺をリュックから取り出し、封を開けて手頃な岩場の上に置いた。

注ぐ湯が沸くのを待つ時間が穏やかに流れた。

湯をカップに注いでから発生する3分の待ち時間、僕たちはほとんど言葉を交わすこともなく、眼下に広がる自然と人工物の混じる景色に思いを馳せた。

日差しに焼かれる首筋の裏側がジリジリと熱を帯びるのを感じた。
ときおり吹く風が程よい冷気をはらんでいて肌に心地いい冷たさをもたらす。
霞む景色の向こう、東西に走る高速道路をミニカーのようなサイズの車が忙しなく行き交っている。

平日の午前だった。

僕たちは、山の頂上で日常から解放された。
先行きの見えない未来の不安も、上手くいかない人間関係も、誰かに認められたいと思う気持ちも、理想とは程遠く感じられる自分の現実も、何もかも、すべてがちっぽけなことのように思えた。

何者かになることを強要されず、また何者かにならなければいけないという強迫観念に支配されない一瞬が、自然の雄大さと共に心地よく流れていた。

そんなことを感じた次の瞬間、僕はカップ麺の時間を図っていないことに気がついて、うっかり時計を確認していた。

時間を図ろうとした僕に、残った湯でウインナーをボイルしていた友人が「だいたい、感覚でええやろ」と告げた。
僕はすぐにその言葉に習うことにした。こういう時、自分の生真面目な一面は野暮でしかない。

三人揃って硬めの麺を好む僕たちは、3分よりも少し早いタイミングでそれぞれカップ麺の蓋を開いた。

山頂の風に吹かれた味噌とバターの濃厚な香りが、僕の食欲を加速させた。

友人はボイルしたウインナーをそれぞれのカップ麺に取り分けてくれた。割り箸を二つに割り、少し硬めに仕上がったカップの中身をかき混ぜる。まずはスープに浮かぶウインナーを箸で掴んで口に含む。

ボイルされたウインナーは、僕の想像通り確かな歯ごたえを残してジュワッと肉汁を溢れさせた。同時に味噌バターの味が口の中にじんわりと広がる。ただただ、旨い。

味噌バター味のウインナーを咀嚼しながら、僕はすぐさま麺に箸を伸ばした。麺をほぐしながら割箸でつかみ、カップの中で二、三回ほど上下させながら息を吹きかけて冷ます。味噌バターの湯気が、空に向かって流れていく。

ズズズッと音を立てながら、一気に啜りあげた。

スープを絡めた硬めの麺が口の中で旨味を爆発させた。
熱さに少しむせながらも、僕は続けざまにスープを一口飲み、ウインナーに歯を立ててもう一度麺を啜った。
そこからしばらくは箸が止まらず、同じ動作を繰り返した。

気がつくとカップの中身はもう残り半分になっていた。
ふと我に返った僕は鮭おにぎりのラップを剥がして、なだらかな三角の頂点にかぶりつく。冷めても美味しさをキープするよう少し硬めに炊かれたご飯を口に含んだままラーメンのスープを口に含むと、米の一粒一粒が口の中でパラパラと解け、味噌のコクとバターの香りを残して溶けるように消えた。

澄み渡った青空と雄大な自然の緑に囲まれて食べるラーメンおにぎりは、僕の人生で最高のラーメンおにぎりになった。

僕は味噌とバターの出会いに感謝し、麺とおにぎりの出会いに感謝し、山との出会いに感謝し、友人二人との出会いに感謝した。

空腹を満たすと僕たちは食後のデザートにみたらし団子を一本ずつ食べ、友人の沸かしてくれたコーヒーを飲み、チョコパイに舌鼓を打った。

そして、僕は恋愛についてのくだらない自論を述べた。

これは、大いに失敗だった。

登頂後の明鏡止水とも言える心持ちの中でわざわざ持ち出すような話ではなかったなと、僕は下山する最中もしばらく反省し続けた。

渦巻く邪念と蓄積する膝への疲労によって、幾度か斜面を滑りそうになったり、枯れ葉に足を取られて危うく転びそうになりながらも、どうにか三人とも無事に山の麓へと戻ることができた。

駐車場で軽く着替えを済ませて、友人の車で最寄り駅へと送ってもらい、僕たちはまた会おうと口にして、秋の終わりの緩やかな陽の光の元、別れを告げた。

初めて訪れる見慣れない駅のホームに立ち尽くして、西の山に沈む夕陽の光を浴びているとなぜだか懐かしい気持ちになった。

その日は家に帰ってからもなんとなく現実感のない不思議な心持ちのまま、僕の一日は終わりを迎えた。


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