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2023/01/13 共感と憧憬、そして運命


キャラクターを好きになる理由は大体共感と憧憬の二つだよね、とかつて俺のフォロワーは言った。そんなざっくり分けられるわけないやろ!と自分の好きな人物たちに思いを馳せてみたところ、割とそうかもしれねえ…とかつての俺は思った。いつからかこの言葉が忘れられずにいる。

最近前者で好きになった人物と言えば…暁山瑞希以外に誰がいるだろうか。2022年は暁山瑞希さんの年だったと言っても過言ではないほど暁山瑞希さんのことばかり考えていた気がする。この人が抱える問題の表面的な部分には全く共感の余地はないんだが、悩みの種を素因数分解していくと思わず涙がポロポロと零れてきてしまうほど共通項を見つけてしまい、感情移入してしまう。瑞希を象徴するセリフに「ボクはボクでいたいだけなのに」というものがあるんだけど、結局俺はここにどうしようもなく共感し、悲しいほどの強さを見てしまった。
自分の趣味嗜好を公にするのって結構怖いことだと思う。他人から「何が面白いの?笑」と言われたら昔の俺は立ち直れなかった。彼女は他人から心無い言葉を投げつけられても自分であることをやめないし、やめられない。自分を手放せばすぐそこに安寧があるはずなのに。行き場の分かり切った憤りを感情のままに解き放つことも出来ず、胸に堆積していく鬱屈とした絶望感を背負いながらモラトリアムを歩んでいく暁山瑞希。彼女を早く救ってくれ。そして俺も救って。

後者で好きになった人物と言えば、まあ桐谷遥さんでしょうという感じ。

手前味噌!ここで書き切ってしまった感はある。自分の過去を全て受け止めて歩んでいく誠実な背中に惚れないわけがないだろうが。

キャラクターを好きになる理由は大体共感と憧憬の二つだよね、とかつて俺のフォロワーは言った。だが、ごく稀に例外が存在する。

それが桃井愛莉だ。

張り裂けそうなほど高鳴る心臓、激しく膨張と収縮を繰り返す肺、出番を待ち焦がれる灼熱の筋肉、獣のように血走る眼球、全身が彼女から目を離すなと訴える。気づけば目で追っている。気づけば彼女の姿が頭に浮かんでいる。気づけば気づけば気づけば。何度桃井愛莉と過ごした学生時代を妄想しただろうか。僕と対角線の位置に座る桃色の君。昼一番の古典ではさすがの君も眠そうに欠伸を噛み殺している。寝ている生徒もいるんじゃないかしらと言いたげにゆったりと首を回す桃井。教室をぐるりと見まわす視線の先には当然、君を見つめる僕がいる。気まずさから思わず目を逸らす。赤く熱を持つ頬を自覚しながら観念してもう一度目をやった先には、教師の目を盗むように脇の下から控えめに手を振る桃井。逞しさと可愛さが奇跡的なバランスで同居する笑顔に呆けていると、彼女は怪訝そうに目を細めていた。前後の表情のギャップにようやく僕の体は時を取り戻す。何でもないという意思表示を込めて軽く手を横に振ると、返ってきたのは天使の微笑み。何事もなかったかのようにノートに向き直る彼女とは正反対に僕の心臓は熱く脈打っていて、自身が彼女に抱いていた淡い感情の正体をようやく理解する。あああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!なんなんだこの少女は。なぜ好きになったのかわからない。でもどうしようもなく好きなんだ。なんなんだこの感情は。正体はなんなんだ。なにもかもわからない。
こうなったらおしまいです。だってこれは運命だから。後に残るのは理性を置き去りにして感情だけで肉体を突き動かす衝動的な恋だけ。俺は恋の魔人。あーあ、人生終わっちゃった。全部桃井のせいなんだからね。今年はこれで流行語大賞狙っていきます。

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