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1_2 レインボーローズの蕾

 事務仕事と関連各所への挨拶回り――これはラファエルが付き合ってくれた――を済ませ、交代で出社してきたメンバーと入れ替わりで香奈子とソフィーは勤怠タイムカードを打刻する。まずアンタの荷物を片付けないとね、と言ったソフィーに、先日まで荷物をぎっちぎちに入れた段ボールとまた格闘するのか、と香奈子は大きなため息を吐く。そんな彼女にソフィーは、幸せがウサギみたいに逃げ出しそうなため息だねえ、と笑う。

「だって、段ボールたくさん詰めたんですよ。服とか、服とか」
「服ばっかりじゃん。まあ、明日に響かない程度に手伝ってやるよ」
「ああー、助かります、助かります……神様仏様ソフィー様ー」
「なんだい、拝んだって何もでやしないよ」
「ええー。でも、助かるのは事実ですし」
「部屋が散らかってちゃ、アタシが気になるってのもあるんだよ」

 そんなやりとりをしながら、二人は寮に戻る。寮のエントランスホールに立つと、あそこが食堂、こっちのエレベーターから四階の角部屋がアタシらの部屋、とソフィーが指差しながら案内をする。リラクゼーションルームは夜十時までしか開いてないから気をつけな、と言いながら二人はエレベーターに乗り込む。
 部屋に戻ると、扉の前に百サイズの段ボールが四つほど届けられている。食堂で食事を摂る前に先に片付けをしようと、段ボールを部屋に移動させる。部屋の中は白い壁材にフローリング。両側の壁に一台ずつ寄せられたシングルベッド。ソフィー側なのだろう、向かって左手側は、整えられていない鮮やかな黄色の寝具に、ダークブラウンのパソコンデスクと椅子のセット。開けっぱなしのクローゼットには、ハンガーに引っ掛けられた服が詰め込まれており、衣替え用だろう衣装ケースも覗いている。意外にも、服自体は多くの種類を持ち合わせていないらしく、今も着ている黒いハイネックシャツにオレンジのスキニーパンツが数着かけられている。どうやら、お気に入りのコーディネートらしい。
 こざっぱりした室内を見た香奈子は、今からこの部屋を荒らすのか、と小さく呟く。そんな彼女にクローゼットの扉を閉めたソフィーが、アンタは部屋を分割したほうが都合がいいかい、と尋ねてくる。

「え? 部屋を分割? どうやって?」
「ラグの終端を境界線に見立てて、こっからそっちには入らない、とかそういう風にしてたんだよ。前のやつは結構そこらへん気にしててさぁ、簡易パーテーションも持ち込んでたね」
「あー、一人の時間を大事にしたい人かどうかってやつですね。わたしは別に気にしないんで! 引き篭もりたくなったら、布団にくるまり出すので、その時だけ放ってもらえたら大丈夫です」
「オッケー。覚えとくわ」

 じゃあ、まずは段ボール開けて行くかね。
 ソフィーが一つ目の段ボールのガムテープを剥がしはじめてから、ゴミ袋いるじゃん、と手を止める。ベッド下から引っ張り出した底の浅いボックスから、ゴミ袋を取り出すとそこに剥がしたガムテープを放り込む。段ボールを開けると、そこにはいっているのは衣類だった。香奈子が好んで着るよもぎ色をしたハイネックの服や、くすみベージュ系のシャツを取り出したソフィーは、これは全部服ならハンガーはどこにいれたんだい、と尋ねる。ハンガー確かこの箱だったような、と言いながら香奈子は一番近くにあった段ボール箱を開封する。
 香奈子が開けた段ボールから取り出したハンガーを渡されたソフィーは、しかたないねえ、と苦笑しながら服をハンガーにかけていく。組み立て式の棚と格闘している香奈子に、服全部クローゼットにいれておくよ、とソフィーはハンガーにかかった服を持ち上げて立ち上がる。お願いしまーすと、電動ドライバー片手に棚を組み立てていた香奈子は、棚をベッドの隣に置くと、そこに本や充電器、デジタルフォトスタンドを置く。デジタルフォトスタンドの電源を入れるか迷った香奈子は、まあいいか、と段ボールを潰す。
 季節ものの服の入った衣装ケースや、ペールグリーン色の寝具を整えている間に、随分と日が暮れて、もうすっかり夜と言ってもいい時間だった。いい加減晩ごはんにしようか、とソフィーが提案すると、そうします、と香奈子は大合唱を繰り返し始めた腹をさすりながら頷く。

「お腹ぺっこぺこですよぉ。今日は何があるかな」
「アタシも。あー、でも今めっちゃラーメンの気分なんだよねえ」
「ラーメンいいですよねえ。あー、話してたら食べたくなってきちゃった」
「食べに行くかい? このへん、おいしいラーメン屋はこの間閉店したけど」
「潰れちゃってるんですか……」
「おじいちゃん店主だったからね……」
「あー……それじゃあ仕方ないかぁ」

 じゃあ今日は寮のラーメンで我慢するしかないですね。
 そう笑った香奈子に、寮のラーメンも悪かないしね、とソフィーは肩をすくめる。二人が一階の食堂に向かうと、夕食をとりに来た職員たちや、リラクゼーションルームに向かったり、自室に向かう職員がいた。彼らの波を縫って、二人は今日の夕食と書かれたポップの貼られたホワイトボードを見る。そこに書かれているのは、今日の寮で提供される夕食のメニュー表だった。これは訓練生の寮と変わらないんだな、と思いながら香奈子はしげしげとホワイトボードを見る。
 日替わり定食は生姜焼き、麺類は醤油ラーメン、丼ものは麻婆丼、毎日定番カレーライス、小皿はポテトサラダ、デザートは杏仁豆腐と書かれている。また生姜焼きはなあ、と香奈子は丼ものの食券を買う。ラーメンがあってラッキー、と言いながらソフィーは麺類の食券を買う。それぞれ配膳カウンターで食券を渡して――当然、二人揃って大盛りにしてほしいと注文したメインの到着を待つ間に、二人はトレイにデザートの杏仁豆腐とポテトサラダの小皿を取る。
 すぐに用意されたラーメンと麻婆丼をそれぞれトレイに乗せると、二人は空いている席を探す。ちょうど入れ違いに空席になったテーブルに着くと、ふたりは、いただきます、と食前の挨拶をして夕食に口をつける。山と盛られた麻婆豆腐と白米をかき込みながら、おいしー、と香奈子は満足げに笑う。腹減ってるから余計にね、とソフィーもずるずるとラーメンを啜る。薄っぺらいチャーシューを頬張りながら、やっぱりこのぐらい食べないとね、と頷く彼女に、最低ラインですよねえ、と香奈子も頷く。
 がつがつ、と二人が食事を食べていると、つけっぱなしのテレビの映像が変わる。先ほどまで流れていたニュース映像から、左上に赤地に白文字で中継、とライブ映像に切り替わったのだ。音声はつけられていないため、字幕が表示されている。その字幕には、速報と書かれている。どうやら、火災があったらしく、赤い消防車がホースを伸ばして水と消火剤を勢いよく出している。
 消火剤をぶちまかれ、水や消火の魔法を得意とする魔法使いたちが作業にあたってるが、火の勢いは弱まるところを知らない。物騒ですよね、と麻婆丼最後の一口を口に運んだ香奈子に、メンマをしゃくしゃくと齧っていたソフィーがあれは魔道具使ってそうだね、と冷静に言う。

「ガソリンに火炎魔法と……ええと」
「精製系か、合成系の魔法使いも噛んでそうだねぇ。なんにせよ、明日はこれの話題だろうねえ」
「大人しく逮捕されてくれたら、一番いいんですけどねえ」
「無理だろうね。だいたい、こういう規模のでかいことをやるやつらは、大人しく捕まってくれないんだよ」
「やっぱり、そうなんですねえ。それこそ、無効化シールドとか、鎮静バングル壊れちゃう感じです?」
「まあ、そうだね」

 アンタもそのネタ引っ張るねえ、とソフィーは苦笑する。彼女が捕縛の際に物を壊すことが多い、とニクラスが言ったことを指しているのだろう。これでも新人だった頃よりは、ずっと少なくなってるんだよ、と胸を張る彼女に、香奈子はそういや、と杏仁豆腐に舌鼓を打ちながら口を開く。

「ソフィーさんって、得意魔法なんですか?」
「ん? ああ、言ってなかったね。アタシは雷系の魔法が得意でね。静電気からなんでもござれ、ってやつ」
「うわー、何気にすごく便利な魔法だ」

 スマホの充電もできたりするんですか、と香奈子が尋ねれば、当たり前っしょ、と返ってくる。いいなー、と杏仁豆腐を平らげた香奈子は、本当に羨ましそうに言うものだから、ソフィーも人間モバイルバッテリー、なんて実家じゃ言われていたよ、と軽口を叩く。
 食べ終わった食器類をトレイにまとめると、二人は食器返却口にトレイごと食器を片付ける。そのままエレベーターホールに向かう彼女たちは、雑談を続ける。香奈子が訓練生の寮はユニットバスだけでした、と言うと、ここは一応大浴場もあるよ、とソフィーが言う。それを聞いた香奈子は、本当ですか、と嬉しそうにする。

「あとで入りに行くかい」
「もっちろんです! あ、背中は流しませんよ!」
「期待してないから安心しな」
「ちょっとは期待してくれてもいいんじゃないですか? そこは」
「アタシはそういう古い習慣は好きじゃないんでね」
「あー、たしかにソフィーさんってそういうの好きじゃなさそうですよね」
「アンタも分かってきたじゃないかい」

 ぱすん、と香奈子の背中を叩いて、ソフィーはやってきたエレベーターに乗るものだから、香奈子は痛くもないくせに、あいたたた、と言いながら一緒にエレベーターに乗るのだった。

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