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嗤うノウゼンカズラ-プロローグ

 この世界は総じてわりとクソなところが多いと思う。
 例えば、両親が蒸発するとか。例えば、蒸発した両親がアホみたいな額面の借金の連帯保証人になっていたとか。例えば、残された子どもが、その借金をこつこつ返済しているとか。例えば、子どもの妹が病気で、治療のために多額の金が必要だということとか。
 まあ、世の中にはそんなクソを、全て背負って生きる青年も存在する。哀れにも、可哀想なことに。

「まあ、それでもオレは元気に過ごせてるだけありがたいよなあ」

 彼、山崎アランは、かき上げているのに時折落ちてくる黒い前髪をかき上げ直しながら、リュックサックの中身を改めながら、回想にふける。
 両親が蒸発して早いものでもう六年が経つ。あちこちに頭を下げることも、気に入らないことを飲み下して大人になることにも慣れてしまった、哀れな大学二年生だ。
 世間では大学生の夏休みなんて、好きに過ごす学生が多いだろう。彼も例年ならばバイトを掛け持ち、最低限の単位を取得して卒業して金を稼ぐ予定を確認しているところだった。
 そんな彼が、長年考えていたある計画のために、二週間の休暇をバイト先にもらい(彼にとって、そんな長い時間休むことは未だかつてありえなかった)一人旅に出るのだ。
 中学高校と事情を説明して働かせてもらい、借金だ治療だ、と消えるなか、わずかばかりに残った金を貯めに貯めてできた貯金。それを使い果たして、やっとのことで手に入れた一枚の旅行のチケット。
 正直妹を病院につっこんでいるのに一人だけ旅行に行く、というのは激しく彼は気がかりなのだけれども、この旅行に妹を連れて行くわけにはいかない。
 この旅行で、アランは一か八かの大博打に出るのだ。賭けられるものといえば、彼自身の人生と命ぐらいしかないのだけれど。

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 アランはわずかに詰めた下着と、替えの服程度が入ったリュックサックを背負って飛行機に乗っていた。
 静かに飛ぶ鉄の鳥は、徐々に高度を下げていて、目的地が見えてきている。きれいな円形の人工島。その端にちょこっと飛び出してみるのが飛行機や船の離発着場なのだろう。アナウンスに続いて、高度を下げていく飛行機。目的地である、この島の名前はトランペッター・バーナード島。故トランペッター氏が私財を投じて作らせた島……らしい。
 らしい、というのは、この島はいろいろとあるのだ。日本語と英語が公用語であるとか、様々な国々との折衝によって、一種の独立国家とも呼べる特別地区だとか。区画が五つに分かれているとか、最低限の住民税と呼ばれる島民管理のための手数料を支払さえすれば、他の税金を支払うかは自由であるとか。
 そんないろいろと特殊な島にアランが訪れたのには理由がある。それは、馬鹿らしい噂話と一周するのは簡単だが、首が常に回らないアランには垂らされたか細い救いの糸に見えた。

 ――生存権のない旅行者が、第四区域で連続一週間生き残れば莫大な富が与えられる。

 馬鹿げた話だが、それが彼がこの島に来た理由だった。基本的に、旅行者は生存権と呼ばれる殺されない権利を与えられるらしいが、百人に一人の割合でそれがない旅行者がいるらしい。その人物が第四区域と呼ばれる場所で一週間生き延びるだけで莫大な金額が手に入るというのだ。
 実際、動画サイトでチャレンジ配信だったり、稀に生き延びた人のインタビュー動画があったりする(もっとも、アラン自身はチャレンジ配信は見ていないが。なぜなら、だいたい途中からグロ動画になるからだ。そして彼はグロやスプラッターがてんでだめである)のだから、富が得られるのは事実なのだろう。
 とにかく莫大な金さえあれば、蒸発した両親が残していった借金も、妹の病気もなんとかできるかもしれない――そんなことを考えながら、アランは空港についた飛行機から降りる。問題は、自分が生存権がない客に選ばれるかどうかだが、そこは最悪権利の有無が確認される際に相談してみよう、とアランはリュックサックの肩紐と、メガネの位置を直しながら考える。
 空港の到着ゲートを潜り、アランは周囲を伺う。大きなガラス張りの、いたってシンプルで平凡な空港だ。こんな平和で平凡なところで一週間のサバイバルチャレンジなど、本当にあるとは思えないほどだ。大きな工場と思われる建物が遠くにたくさん見えて、よくある工業地帯を思わせる。
 リュックサック片手に、アランは空港に島内案内の大きなマップを見上げる。空港は島を五分割(といっても、大きい順に第四、第一、第二、第三、第五だった。観光地域が一番大きいのは、外貨獲得とかあるんだろうとアランは考える)したうちの第三区域にあるらしく、そこからバスに揺られて二十分のところに目的の場所――サバイバルチャレンジである、第四区域があるらしい。
 それにしたって、滑走路の向こう側に工場が立ち並ぶのは、なかなか合理的すぎるのではないだろうかとアランは思う。人々の輸送と物資の輸送を一箇所に集約するためなのだろう。まだ空港が観光エリアでもある第四区域に近いのがせめてもの救いだ。
 場所を確認し、頬を軽く叩いて気合を入れ直すアラン。少しずれた細身のフレームのメガネを直して、バス乗り場に向かう。第三区域は原則歩いての移動を禁じられているらしく、施設から施設の移動はバスらしい。そういうことで、アランはバスターミナルに向かう。

「めちゃくちゃ広いなあ……ええと、第四区域のバスは……っと」
 
 だだっ広く、白で統一されたバスターミナルは、整然と人々が並んでおり、フラッシュと呼ばれる異能や、作物などの研究施設などが並ぶ第一区域、アカデミック施設が並ぶ第二区域に向かう人々が列をなしている。第三区域内でも、食料工場などの施設に向かうらしい人々が並んでいたりするし、住宅街である(第三区域で働く人々が強制的に収容されているらしく、工場に向かう人々の声が聞こえてきた。バスの本数がどうのこうのと、色々と大変そうだ)第五区域に向かう人々の列も見える。当然ながら、観光地である第四区域にも人々は並んでおり、アランもその列に混ざる。
 滑り込んできたバスに乗り込み、揺られ揺られていく。前の席に座れたから見えたのだが、ビルや工場が立ち並ぶ灰色の第三区域の向こう側から、徐々に見えてくる巨大な白い壁。城壁みたいだ、と思うアラン。到着を告げるアナウンスとともに、降りていく乗客と一緒にアランも降車する。第四区域管理所とそっけなく書かれた看板を通り過ぎて、アランは第四区域に入るための手続きをするために、受付カウンターの列に並ぶのだった。

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 白いパーカーを着たアランを写すように、天井に設置されている監視カメラが視線を移動させる。拡大してもなお鮮明に見えるそれは、相当金と技術がかかっているのがわかる。やや照明が落とされた、白地に金の装飾が施されたその部屋には、老若男女が十名ほど座っていた。ぴしりと背筋を伸ばした、口ひげをたっぷり蓄えた老人が口を開く。それを引き金に、素材の良いものを使っている服を着ている青年や、スーツ姿の壮年の男が口を開く。

「今回の遊戯はどれに賭ける」
「オレはあの筋肉だな。総合格闘技の世界チャンピオンなんだろ?」
「表の世界での話だろ。退役軍人のほうがまだ見込みがあるだろ」
「そろそろ千人に一度が現れてもいい頃合いでは? それを見つけたほうが早いのでは」
「我々が組んだとはいえ、我々がそれを知ってはつまらんからなあ」

 今回訪れた旅行者の中で、選ばれた生存権のない旅行者が、名前と顔写真を一覧にされて巨大なモニターに表示されている。彼らは生存権のない旅行者が生存するかどうか、それを楽しみにしている高額納税者のなかでも、さらに一握りの、高額な納税を行っている人々だった。
 あーでもない、こーでもない、お前の選んだやつはすぐに死にそうだ。そんなやり取りをしているなか、真っ赤なルージュを引いた、赤い髪の女があたくしはこれ、と一人の青年を指で指す。周りはしん、と水を打ったように静かになり、そして沸き立つ。それこそありえないだろう、と。

「ただの大学生だろう。多少のフラッシュは持っているようだが」
「それこそ、ゲートくぐってすぐどかん! だろ」
「ミネアさまらしからぬ賭けでは?」
「だからこそ、じゃない。何も持たない彼が生き延びたら面白くってよ!」

 ミネアと呼ばれた真っ赤な女は体にまとったドレスをひらり、と舞うように手を伸ばして宣言する。堂々とした彼女の振る舞いに動揺した数名が、あるかもしれない、と賛同するほどには堂々としていた。
 あたくし、彼が持っていると信じているわ、というだけ言って、ミネアは部屋をあとにする。それを引き金にしたように、三々五々に部屋の人々も部屋をあとにするのだった。

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