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ウィズ、ナイトスケープ 1_3 レインボーローズの蕾

 翌朝、出勤早々にヨハンから呼び出されるソフィーと香奈子。なんだろうか、とミーティングルームに向かうと、無言で一枚の紙を渡される。ソフィーがそれを受け取り、香奈子が覗き込む。そこには男の顔写真と生育歴。得意とする魔法に職業が記載されている、個人情報の塊だった。いいとこの大学だー、と香奈子が感心しながら読んでいると、昨日の夕飯時に速報が流されていた火災についても記載されている。

「この人がやったんですか? 昨日の火災」
「魔法的痕跡と監視カメラ、ヒサラ残渣調査の結果割り出された。実際、捜査官がこいつに声をかけたら、明らかに異常な挙動を見せて逃亡したらしい。逃亡先は二番街の解体工事中の雑居ビルだ」
「なるほどね。そりゃあ、とっ捕まえてお話聞かせてもらおう、ってなるわな」
「あれ? でも、捜査官が話しかけるところまでいったんでしたら、そのまま逮捕できたんじゃ?」

 意気揚々としているソフィーに、香奈子が疑問を呈する。たしかに逃亡先までわかっているのだから、逮捕は容易いはずである。そんな彼女に、ヨハンは、ふんと鼻を鳴らしてからタブレットを操作する。ミーティングルームに置かれていたプロジェクターが、タブレットの指示を受けて、映像をホワイトボードに映し出す。それは雑居ビル内の映像のようだ。
 画質は荒いが、よくよくみればコンクリートだろう剥き出しの床が黒く濡れている。どうやってこんな映像を入手しているんだ、と香奈子が不思議に思っていると、ソフィーが死なば諸共ってやつかい、と呆れる。そういうことだ、とヨハンは頷く。

「ガソリンか何か、撒いてるんですか?」
「ガソリンに液体の誘爆剤だよ。こいつの所属先、化学機関だから、原材料さえ手に入れば、合成するのは簡単だろうさ。得意魔法もおあつらえ向きに合成系だ」
「出力は低めのようだが、液体ならどうとでも持ち運べるからな。ちなみに、捜査官がこの男にいる場所に突入した時点で、こいつは爆死する覚悟がある、と声明を出したそうだ」
「うわぁ……」
「内部がわかってるなら、転移系魔法で拘束すればいいんじゃないかい? 捜査係にもいるだろうに」
「残念ながら、捜査係の転移系魔法使いは別の捜査に出払っているか、先のショッピングモール爆弾騒ぎで入院中らしい。呼び寄せるにも、時間がかかるとよ」
「あらま。そりゃあ、アタシらにお鉢が回ってくるってか」

 ソフィーがなるほど、と頷いて香奈子をみる。香奈子は急に言い渡された内容に、心臓をばくばくさせながら、ソフィーを見る。緊張しまくりの彼女に、ソフィーはにかっと笑ってやる。はじめては誰だって緊張するものさ、と言いながら、ちょっと脂肪が乗った香奈子の背中をぺちぺち叩いてやる。痛いですってぇ、と痛がってないそぶりでそんなことを言いながら、香奈子はひとりで捕縛に行くわけじゃないんだ、と安心する。
 ヨハンから解体工事中の雑居ビルの図面を渡された香奈子は、死体だけでも回収できれば御の字だ、と励ましているのか、そうでないのか――おそらく励ましているのであろう言葉にはい、と頷く。
 ミーティングルームをあとにしたソフィーと香奈子は、相談スペースとなっている応接セットに向かう。うーん、と唸りながら香奈子は、精度を高めたいからギリギリまで近くに行ってから転移したいです、とソフィーに言う。

「まあ、相手が爆発しない程度に近づいてからの転移ってのはいいよ。距離があると、座標とのずれが大きくなるんだろう? アタシだって、胴体が真っ二つみたいな転移事故は困るしね」
「はい。で、大体この辺に転移予定です。真ん中なら、端っこよりも、相手がどこにいても取り押さえやすいかなって」
「いいね。隠れてこそこそ登場しないって言うのは、アタシも大好きだ」
「ですよね! で、どうやってとっ捕まえるましょうか……移動まではすんなりできると思うんですけど……」
「アタシが痺れさせて、鎮静バングルつける。これでどうだい」

 いつもアタシはこうやって取り押さえているよ、とソフィーが両腕を組んで力強い笑みを見せてやれば、いける気がしてきました、と香奈子も鼻息荒くふんふんと頷く。備品棚からバングルを四つ取ったソフィーは、二つを香奈子に渡す。オレンジ色のパンツに、ウェストポーチをつけたソフィーは、ポーチの中にバングルと応急手当て用のスプレー式の傷薬を放り込む。
 香奈子も同じようにウェストポーチに、同じようにスプレー式の傷薬と鎮静バングルを入れると、マニュアルには防護用シールドも入れておいた方がいいと書いてあったのを思い出して、シールドの置かれている方を見る。そこには小型のシールドを出力できるものから、大型のシールドを出力できるものまで準備されている。よりどりみどりのそれに、どれを持っていこうか迷っていると、ニクラスが昨日の放火犯と対峙するなら、おすすめはこれかな、と布製の備品を引っ張り出して、香奈子に渡す。

「なんですか? それ」
「防炎魔法と誘爆無効の魔法糸で作られた防護ケープさ。訓練だと、防炎魔法のケープは使ったことがあるんじゃないかい? あれに、誘爆剤をぶっかけられても燃えなくなりますよ、っていう魔法加工がされているものだよ。今回の犯人、合成系の魔法が得意なんだろう? だったら、これを着用した方がいいと思うよ」
「たしかに! ニクラスさん、ありがとうございます!」
「ついでに、これも持っていきなよ香奈子ちゃん」

 そう言って瀬田が防護用品棚から取り出して渡したのはバングルだった。火炎魔法に反応して水属性のシールドを発生させるものだ。隣を見ればソフィーもそれを装着している。同じように腕にバングルをつけ、ケープをかぶった香奈子に、ケープの色が違えば赤ずきんちゃんだねえ、と瀬田がからからと笑う。からかわないでくださいよ、と笑う香奈子の表情からは、緊張の色はすっかり抜けている。いい意味でガス抜きを瀬田とニクラスがさせたのだろう。
 いってきまーす、と香奈子が言えば、吉報待ってな、とソフィーが香奈子の隣で言う。気をつけて、と口々に応援の言葉をかけてくれるメンバーの見送りの言葉を背に受けて、ソフィーと香奈子は魔法特務課をあとにする。
 エレベーターに乗って一階に向かい、エントランスホールを抜けて外に出る。二番街方面は、本部のあるオフィスビルから車を使えば五分もかからない。解体工事中の雑居ビル、といえばあの辺りでは一件しかない。香奈子がソフィーに二番街の近くまで転送魔法で移動するか尋ねると、移動で無駄に魔力を使うのは好きじゃない、と返ってくる。いざというときにオーバーヒートしてクールダウンが必要、なんてことになれば目も当てられないと返ってくる。その言葉に、それはそうだと香奈子は自分の発言を反省する。
 ソフィーが共用バイクに跨ると、アンタはタンデムは慣れているかい、と言いながらバイクのエンジンをかける。これから慣れます、という香奈子の返事にけらけら笑いながら、ソフィーはヘルメットを香奈子に投げて渡す。自分もヘルメットを被った彼女は、香奈子にしっかり捕まってないと振り落とすよ、と忠告をする。
 その忠告通り、しっかりとソフィーにしがみつく香奈子。しっかりと捕まっていることを確認するや否や、バイクは速度をあげていく。左右の建物が、後ろへ後ろへと流れていくのを見ながら、香奈子は緊急事態とはいえトばしすぎじゃないか、と不安になる。
 そんな不安などつゆ知らないソフィーは、器用にもすべての赤信号を回避して二番街に向かってバイクを走らせる。若者の街として人気のある二番街で、現在解体中の雑居ビルはどのあたりだ、とソフィーがいえば、バスターミナル併設のターミナル駅ビルデパート裏に入ったところです、と香奈子は声を張り上げて返事をする。オタク向けショップがたくさん入っていた場所かい、とソフィーが再度尋ねると、その二つ奥にいったところです、と香奈子は大声で返事をする。了解したよ、とソフィーがいえば、バイクはターミナルビルの裏に向かって走っていく。
 相変わらず赤信号に捕まらないようにバイクを飛ばしていくソフィーに、運転がうまいのか、信号が変わるタイミングを熟知しているのか、どちらにしても凄いな、と香奈子は感心する。感心しながらも、心臓は犯人がいる場所に近づいているというだけでドキドキして早鐘を打っている。いくら訓練を積んだとしても、訓練である。実際の犯行現場や戦闘行為ではない。ある程度力量が分かっている相手との戦闘訓練など、実際の、どんな攻撃がされるか分からない現場に比べればぬるま湯のようなものだ。改めて香奈子は自分が配属された部署の過酷さを感じ取る。
 そりゃあボス・ヨハンの圧力じゃなくても新人は辞めちゃうよ、と彼女が思っている間に現場に到着する。すでに捜査員たちがスタンバイしており、こちらに敬礼で挨拶をする。ソフィーと香奈子も敬礼で返事をし、ソフィーが相手はまだ動きを見せていないか確認をする。

「はい。まだ動きはありません。ただ、可燃性の液体の臭いが、到着した時よりも強くしますので、こちらが行動すれば確実に自死を遂げるつもりかと」
「なるほどね。どこまでだったら、あいつは動かなかったんだい」
「あちらのメガホンを持った捜査員がいるあたりまでは、取り立てて目立った行動をしませんでした。現在も投降を要請していますが、反応がありません」
「そうかい……香奈子、突入するよ」
「は、はい!」
「目標を無力化させたら無線を入れる」
「はい。ご武運を」

 ソフィーに呼ばれた香奈子は、上擦った返事をする。それを揶揄うような発言もなく、ソフィーと捜査員はお互いに頷く。
 香奈子はメガホンを持った捜査員の近くに立つと、ソフィーの腕を掴む。そのまま目を閉じると、図面を頭の中で展開する。正確に、自分と自分が腕を掴んでいるソフィーが五体満足で転移できるように、頭の中で自分が部屋のどこに立っているかイメージをする。ミーティングルームで見た二次元の図面と、プロジェクターの映像が重なり、イメージとなる。
 自分たちが部屋にいるイメージが確固たるものになると、香奈子は転移魔法を展開する。びゅ、と勢いのある風が彼女を中心に吹き抜け、街路樹の葉を揺らす。つむじ風が吹き抜け切ったあと、ソフィーと香奈子は可燃性の液体の臭いが充満した、薄暗いコンクリートの一室の、中空に転移が完了していた。

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