多機種音ゲーマーになるまでの熱い自分語り(中学時代~高校時代)

noteを初めて書くので自己紹介はちゃんとやりたいと思います。
音ゲー歴3年程度のにわか音ゲーマーを自称しているささらです。
プレイしている機種は長寿bemani機種でもあるポップン、弐寺、SDVXの3機種を主に嗜んでいます。
自分の実力については言及するほどのものでもないのでここでは省きます。

中学時代~社会人になった今の今までありとあらゆる別方面に特化した沢山の音ゲーマーに囲まれて育った環境ということもあり、音ゲーをやらないという選択肢は存在しなかったと思います。
逆に音ゲーが多数の友人関係を結び付けてくれたことには感謝しかありません。




さてさてさーて!!
ブログってのはよォ…いくらでも自分語りしてGoodって場所なんだろ…?
俺は承認欲求と開示欲求がバグっているのでこういう書き物ができる機会は存分に活用するしかねえぇ!!!!!

というわけでまずは自分の音ゲーとの出会いについて話していきたいと思います。

まず最初にことわっておきます。 自己紹介の所で音ゲー歴3年と書きましたが、

あれは嘘だ。

めちゃめちゃ嘘をつきました。ごめんなさい。

というのも私が最初に音ゲーに触れた機会は、2015~2016年頃に爆発的な人気を誇った「Deemo」というゲームが最初でした。
この時に初めて音ゲーに触れたので歴としては8年程になるでしょうか。

Rayarkの音楽ゲームとしては「Cytus」に続き2作目となる本作はピアノをモチーフにしている。
ピアノ楽曲を中心にさまざまなジャンルの楽曲が多数配信されており、
シンプルなルールと操作でピアノを弾いているような感覚を得ることができるゲーム性が特徴。
(一部Wikipediaから抜粋)

当時自分はまだ中学生であり一切音楽ゲームには触ったことがなかったものの、このゲームの流行り具合は常軌を逸していました。
周りの友達はみんなやっていたし、話題は「Deemoのなんの曲が好き?」で一色でした。(当時の私はVeritasと答えていた)
自分も当時からゲーマーを名乗ってはいたのでもちろん「楽しませてくれるんだろうな?」という気概でビッグウェーブに乗ることを決意。
これが音ゲーとの出会いとなりました。(まぁその前に太鼓の達人とかちょくちょくやったことはあったけどね!)

もちろんその時はAPやらフルコンボを狙っていこうというモチベや気概もなかったので「譜面叩くの楽し~」ぐらいの感覚でプレイしていたのですが…
(今思うと"譜面叩くのが楽しい"という感覚が今の私を沼に陥れた一因になった気がする)
とはいえまだまだ音ゲーマ―としては上澄みも上澄みなライト層です。
この時の地力としては初期楽曲のDream(Hard Lv8)をフルコンしたのが最高スコアだった気がします。

(これが97%乗るぐらいの実力)

当時の自分は割とこの程度の地力で満足していましたが、すでに友人間ではDeemoでは飽き足らずゲーセンに足を運ぶなど音ゲー沼に浸かり始めていた人もちらほら見られました。
(CHUNITHM AIRで虹レ取っていたり、SINOBUZ 7段に苦しめられていたり…)
キミ達ホントに中学生?

そんな友人達に囲まれていたこともあり中学時代の私のジョブは「ほんのちょっと色んな音ゲーに詳しいにわか」となっていました。

そんなこんなで中学校も卒業し、次の舞台の高校生活へ進んでいきます。

高校時代、多機種音ゲー勢との初邂逅

当時の私は音ゲーと呼ぶには怪しい「ピアノタイル」というゲームにはまっていました。

ピアノタイル2。4レーンに別れ上から流れてくる黒いタイルをただ淡々と押す。
それだけのゲーム。一度でも誤タップしてしまうと失敗扱いとなり最初からやり直しとなる。
演奏が続けば続くほどタイルの速度が速くなる為ある意味一番地力のみを必要とする音ゲー。

ピアノタイルは明確な目的意識を持たずリズムゲーをやっていた僕にとって「譜面を叩くだけで楽しい」という部分ががっちりハマって狂うほどにプレイしていた記憶があります。

そんなボケっとリズムゲーを楽しんでいた当時の僕でしたが、高校入学後に知り合った音ゲーマーは僕の音ゲー観をガラリと変える人となるのでした。

多機種音ゲーマ―との初邂逅

その人の名前は「M」。(仮称)
今の音ゲーマーとしての自分を作り上げた第一人者にして私が勝手に師匠だと思っている人です。
当時その人との話題の繋がりは「バンドリ!ガールズバンドパーティ!」というキャラ音ゲーでした。

ガルパ*は2016年後期に急速に発達しソシャゲの一時代を築いたゲーム。
ソシャゲでなおキャラ音ゲーという人を選びがちなコンテンツでありながら当時としては、
非常に高いクオリティの譜面、キャラ造形、オリジナル楽曲で絶大な人気を博した。
2016年のライト音ゲー界隈はガルパかDeemoかの二択だった程。

*(バンドリ!ガールズバンドパーティ!の略)

M君は音ゲーに対する目標意識が高く、当時ガルパで最高難易度であった「六兆年と一夜物語」のAPを目指すなど、M君の音ゲーの取り組み方からはAP(理論値)の概念や、レート制度などを知る機会があり、音ゲーのやりこみの文化に一部踏み込めたのかなと思います。
(音ゲー沼への第一歩)

加えてM君は多機種音ゲー勢でもあって、ゲーセンに向かっては太鼓、チュウニ、オンゲキを軽々こなす手腕は、出会ってきた音ゲーマ―の中で初めて憧の的になる存在でした。
高1後期~高3前期までは誰しも手を染める人生最高の娯楽「スマブラ」をやり込み過ぎていてその間音ゲーはからっきしでした。

高校3年後半から、M君に「maimaiやるから付き合え」と言われたのをきっかけにmaimaiを少しだけ触るように。

maimaiでらっくす。
多分M君がmaimaiやるって言ったのは新バージョン新筐体になったからか!
と今更ながら。


その間もM君は弐寺やBMS、ボルテと次々と触って全機種制覇の足掛かりを掴んでいました。彼は手際が良すぎます。
(コントローラ―買ったりもしてた)

高校生活も終わり、という段階の時自分はそれなりにゲーセンに通うようにはなっていたと思います。(通学路にクラブセガがあったのがデカかった)

都内のとあるクラブセガ。
都内なのでわかる人にはわかる。


そのころにはmaimaiも譜面認識力も上がりExpert譜面なら楽しんでできるというぐらいにはやり込んでいました。(レート9000~10000くらい)

ミラk……M君のゲーセンでのプレイを眺めているだけだった僕にとって筐体でプレイする音ゲーが楽しいと思えたのはまた一つ前進だったのかなと思います。
とはいえね!?まだ!まだライト層ですよ!なめてもらっちゃ困ります。
当時の僕とガチ勢など比ぶべくもないでしょう。
(といいつつも音ゲー沼にはさらに一歩足を踏み入れた)

ここまでで私のジョブはM君の多機種勢としての知識や経験も糧となり「色んな音ゲーを満遍なく知ってるだけのにわか」になれました。

高校も卒業し、M君との惜しむ別れも特に無いままボケっと冬休みに突入するわけですが、ここで私の音ゲー人生最大の転機がやってくることになります。

次の専門時代からが私の音ゲー歴カウントの始まりとなる、数々の音ゲープレイヤーとの出会いに当てられて脳を焼かれ、音ゲー沼に肩まで浸かり込む羽目になったエピソードとなります。

今回はここまで、多分いつか専門時代の話も語りたいなぁと思っています。
(自分語りは書いてるだけでも気持ちよくなれるので)

それでは次は冬休みから専門時代のエピソードで。


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