見出し画像

「語り継ごう!」 今日は76年前の「終戦記念日」 憲法20条の政教分離における「政」とは国家と地方自治体を含むすべての公権力機関のこと➠ 自民党の閣僚などの参拝は、コロナ禍など関係なく、今年も当たり前のように参拝が行われ「反省の言葉」は言わない 理不尽さ!

「語り継ごう!」 今日は76年前の「終戦記念日」 憲法20条の政教分離における「政」とは国家と地方自治体を含むすべての公権力機関のこと 自民党の閣僚などの参拝は、コロナ禍など関係なく、今年も当たり前のように参拝が行われ「反省の言葉」は言わない 理不尽さ!】(※画像注意)
 本日は76年前の「終戦記念日」である。全国戦没者追悼式が挙行されている。 終戦の定義は諸説あるが、昭和天皇が昭和20年の正午からラジオで放送された玉音放送により、「前日に決まったポツダム宣言受諾及び日本の降伏」が国民に公表された日である。
 帝国政府が軍に武装放棄と連合軍への投降命令を発し、連合国もそれを受け戦闘を止めた」その日とされる。
 私は、「終戦」ではなく「敗戦記念日」と思っている。
▼昭和天皇の前日に決まったポツダム宣言受諾及び日本の降伏」がラジオで全国に知らされた。

画像1

画像5


【私たちの国の歴史の転換と、新生日本の成り立ちの原理を噛みしめ考えなければならない日でもある】
 しかし、私は、例年8月15日は、戦後長く続く「保守政権とそれを支える勢力の復古の願望をアピールする日」となっているのが現実に、怒りと危機感を禁じえない。 
 戦前の「大日本帝国憲法」(明治23年の施行)の中で国民に「「天皇を神」と奉り、戦前から「日本国は天皇の国」ということを国民の洗脳して利用し、戦中では特にこの思想を全国民に植え付けたのである。
 靖国神社とは軍部がつくった「天皇の神社」であり、「軍国神社」であり、「侵略の神社」である。 A旧戦犯も合祀されている祭神は、天皇が唱道する戦争で、天皇の将兵として戦い、天皇のために命を捧げた人物の霊が祀られている。
 これを英霊として尊崇する「靖国の思想」とは、天皇も戦争も侵略も美化するものにほかならない。その象徴が、靖国神社への政府要人(自民党)の参拝でもあろう。

画像2


【憲法20条の政教分離における「政」とは国家と地方自治体を含むすべての公権力機関のことで、「教」とは形式上は宗教一般のことである】
 政治権力と分離を求められている宗教とは、何よりも天皇の祖先を神とし天皇自身を現人神とする荒唐無稽な「天皇教」(国家神道)を意味するものである。 政府の要人議員らが、「天皇教」(国家神道)の軍国主義を象徴する靖国との関わりを持ってはならないのは言うまでもない。
 にもかかわらず、自民党のタカ派(右翼的)安倍政権も菅政権も、折りはあり、隙があれば、靖国に参拝したくて仕方がないのだ。
 これは、日本国憲法の理念を理解しようという姿勢がないからだけではなく、支持勢力が右派に偏っているからなのだ。
 彼らの決まり言葉は「彼(A級戦犯を含む軍人)らの犠牲があって今がある」であるが、確かにそれは事実であるが、この他にも、戦死者は全国の空襲や艦砲射撃や、沖縄など民間人が沢山いるのだ。 そのことを置いて、靖国だけを参拝するのはおかしい。
 どう見ても、「靖国は軍事主義を象徴」するものであり、公人があからさまに参拝するのは、憲法からみても合理的ではない。

【首相の靖国神社参拝、なぜ問題になるのか】
 いまさらだが、靖国神社は明治維新翌年の1869年、新政府軍と旧幕府勢力が戦った戊辰戦争の犠牲者を悼むために東京に建てられた。
 現在では日清、日露、第二次世界大戦などの戦争で犠牲になった軍人ら約247万人がまつられている。戦前は陸軍省と海軍省が共同管理し、国家神道の柱になったが、戦後は「国家神道の廃止」に伴い、靖国は一般の宗教法人になっている。
◆「政教分離」と「A級戦犯の合祀」
 そもそも、政治、政府要人の参拝をめぐっては2つの大きな論点がある。
 1つ目は憲法が定める「政教分離」の原則に反するからで、憲法20条は政府や地方公共団体が宗教活動に関与することを禁止している。つまり、靖国神社という一宗教法人に政府要人など公人である政治家が参拝することは宗教活動に当たるからである。
 1975年、三木武夫首相は首相として初めて終戦記念日に靖国を参拝した。終戦記念日という特別な日だけに注目された。
 この時は「私人」として公用車を使わず、玉串料を私費で払っている。私的参拝なら憲法上の問題はないという判断である。
 そして、中曽根康弘首相は85年、宗教色を薄めての「公式参拝」に踏み切ったのである。
この参拝が注目を集めた結果、2つ目の論点が浮上する。
 2つ目の論点とはーー
「A級戦犯の合祀」。 A級戦犯とは、太平洋戦争を指導し、極東国際軍事裁判(東京裁判)で重大戦争犯罪人として起訴された人のこと。 靖国神社は78年、A級戦犯28人のうち東条英機元首相ら14人をまつりっている。 
 247万人のうちわずか14人であるが、A級戦犯を合祀した神社を首相が参拝するのは「侵略戦争を正当化する」と、日本国内は元より、中国や韓国が反発し始め、こうしてた中曽根首相の公式参拝以来、首相や閣僚による靖国参拝は外交問題にもなっており、国益を損っている。海外は今もその目を光らせている。

さて今年はどうだろうかーー。
【自民党の閣僚などの参拝は、コロナ禍など関係なく、今年も当たり前のように参拝が行われた】
 
8月13日午前、西村康稔経済再生相が靖国神社を参拝した。 西村と言えば、「新型コロナウイルス感染症対策担当大臣」。
 3日に参拝した岸信夫氏は、安倍晋三の実弟で現職の防衛大臣である。
軍国神社に防衛大臣の参拝だから、これは穏やかでない。
 きょうは小泉進次郎環境相と萩生田光一文部科学相、井上信治科学技術担当相、3閣僚。このほか、自民党の高市早苗前総務相、鷲尾英一郎外務副大臣、佐藤正久外交部会長、古屋圭司元国家公安委員長、稲田朋美元防衛相らが個別に靖国神社を参拝した。
 また安倍元首相も参拝している。安倍氏は首相在任中の2013年12月26日に靖国を参拝し、中国や韓国が反発し、米国も「失望している」との声明を出した。安倍氏はその後、20年9月までの在任中に参拝は行わなかった。首相退任後は参拝している。
 菅義偉首相は玉串料を納めたといい、首相周辺は「私人の立場で私費で奉納と聞いてる」と説明している。
また、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は尾辻秀久会長(自民党)らが代表して靖国神社を参拝した。
 このほか、自民党の高市早苗前総務相、鷲尾英一郎外務副大臣、佐藤正久外交部会長、古屋圭司元国家公安委員長、稲田朋美元防衛相らが個別に靖国神社を参拝した。

画像7

画像8

画像6



【菅政権の閣僚はすべてコロナ対策に関係している、ここまでのコロナ対策の失敗に大きな責任をもつべき立場の閣僚だ】

 報道によると、西村は8月12日新型コロナの感染拡大の事態に、記者団の取材に対して「お盆の季節になっているが、ぜひとも自宅で家族でステイホームでお願いをしたい」と話していた。「国民には、自宅を出るな、ステイホームを実行せよ」といいつつ、「オレは別だ」と思ったのか「靖国はこの限りあらず」と思ったか。
 菅義偉首相も、国民への自粛行動を求める首相である。
いずれにせよ、これもコロナ感染問題では国民に対する説得力を失う行為である。
 そして、直ぐに韓国外務省は「深い失望と遺憾の意を表する」とのコメントを発表した。

【参拝後の決まり文句の中は「反省の弁がない」事がなく、侵略先への謝罪の言葉もない】

 これら、大勢の自民党閣僚や議員らは記者の質問で、「国民のために戦って命を落とされた方々に対して尊崇の念を表するとともに、哀悼の誠を捧げた。また不戦の誓い、国民の命と平和な暮らしを守り抜くという決意を新たにした」趣旨の発言をしている。いつもの弁解の決まり文句だが、とうてい納得しがたい。
 注目してほしいのは、「この言葉には反省の弁がない」ことである。 
 無益で悲惨な戦争を起こしたことについての反省は語られない。国家が国民の命を奪ったことへの悔恨の弁が欠けている。 また侵略先の民衆の厖大な被害への謝罪の念が見えない。
 「国民のために戦って命を落とされた方」は、間違いだろう。飽くまでも『君(天皇)のため国のため』に戦ったとされているのだ。
「尊崇の念を表する」が根本の間違いである。「尊崇」は「皇軍」と結びついてのことなのだから。「哀悼の誠」は、誤った国策の犠牲となったこととに対してでなくてはごまかしに過ぎない。そして「不戦の誓い」「恒久平和への誓いをしてきた」も不自然極まりない。
 そもそも、靖国の境内は、不戦の誓いにふさわしいところではない。
特に、岸防衛大臣の「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」とは、「軍備を増強して次の戦争では勝つ」と聞こえてくる。

【安倍政権下では、憲法に違反する法律を強行に成立させている。「官邸」の「内閣法制局」の人事を一新したらから出来た】
 「特定国家機密法」「集団的自衛権を実行できる「安保法」、そして戦前戦中の「国家治安維持法」とソックリな「共謀罪」などである。
 これら法案は、普通なら国家に提出などできる法案ではない。方の番人と言われる「内閣法制局」が、あからさまに違憲の法案であるこれら法案をイエスと言うはずがないのだ。
 だが、安倍総理は「内閣人事局」の人事入れ替えで、この「内閣法制局」の人事を、自分の意に沿う人間に一新したのだ。
 安倍によってつくられた自民党の意に沿う「官邸」が出来上がっている。
菅総理は、それを受け継いでいる。
 非常に「独裁的な手法」であるし、ここまで権力を集中させてはろくな事はない。

画像9


【戦争体験者が、いなくなった時こそこういう人間らが政治に関わっていると、危険である。同じ間違いを繰り返す可能性が高くなる】
 従って、我々は「戦争体験者」や「戦争の悲惨さ」を伝える、多くのことを性格に学び、後世、若い人に伝えなけば、必ず風化してしまう。
 「歴史は繰り返す」という言葉があるが、人間は愚かである。
時間が経過すると、悲惨だった過去の反省すべき重要なことさえも忘れて行く。

画像9

画像10

画像3

画像11


【私の父は、今生きていれば110歳であるが、満州事変から太平洋戦争まで、青春をすべて戦争に捧げた】
 軍人検査で、「甲種合格」になり陸軍工兵隊で伍長から軍曹になった。
身体に、玉の当たった傷跡が4箇所あった。でも、なんとか死なずに奇跡的に帰還したのだ。だから、私という人間がこの世に存在している。
 大事な、アルバムや日記などはすべて東日本大震災の津波ですべてが亡くなったが、その悲惨な話は何度も聴いているし、家に残った母は、一人であの酷い食料不足のなかで生き抜いた。
 今日の敗戦の日で、あの話し思い出し「戦争は絶対にやってはいけない」と心を当たらにする次第である。

#終戦記念日 #敗戦記念日 #靖国神社 #菅首相 #自民党閣僚ら参拝    #反省の言葉なし #外交問題 #風化させてはならない  










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?