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「僕は歌う、青空とコーラと君のために」@劇団ヒトハダ旗揚げ公演 観劇感想

こうした観劇ブログを立ち上げておきながら謙遜でも何でもなく、舞台を拝見して感じたことを言葉に落とすことが苦手です。自身の感覚としては感じたことの20%くらいしか言葉に出来ないし、尚且つ、その文章自体も変だったりするので(さらに半減)、もし読んで下さる方がいらっしゃいましたら、伝わったものの10倍くらい心に響く舞台だったと想像して頂けましたら幸いです。


キャスト・スタッフ陣の抜粋です。
「僕は歌う、青空とコーラと君のために」
 脚本・演出 :鄭義信
 出演    :大鶴佐助(ハッピー)
       :浅野雅博(ロッキー)
       :尾上寛之(ゴールド)
       :櫻井章喜(ファッティ―)
       :梅沢昌代(ジーナ)
 ピアニスト :佐藤拓馬(シュガー)


『あらすじ』
とあるバーの店内。ステージの上には「end of the world」の文字。
第二次世界大戦後の占領下、駐日米兵を客層とするバーのオーナー、ジーナ(梅沢さん)、その店のステージに立つ男声ボーカルグループ「スリーハーツ」のメンバー三人、リーダーであるロッキー(浅野さん)、ファッティー(櫻井さん)、ハッピー(大鶴さん)。そこにジーナの甥で韓国から逃れてきたゴールド(尾上さん)が加わり、フォーハーツとなる。それぞれ個性的でありながら何となくバランスが取れた?四人組だったが、朝鮮戦争の勃発により、五人の人生も否応なく変わっていく。

※歴史的背景
 第二次世界大戦 西暦1939年~1945年
 朝鮮戦争勃発  西暦1950年~1953年(現在は休戦中とされる)

一応、自分でも書いてみましたが、劇団さんの公式HPもありますので
そちらも参考にどうぞ。→ 公式HP


初日の幕が上がる前、この「end of the world」という文字を見上げながら考えていた。直訳すると「世界の終わり」なのかな?と思うけれど、芝居を拝見している内に何となく「世界の果て」みたいな意味にも感じられた。それぞれに口にしたくないような事情を抱えて、それでも生きていくことに向き合う中で、この「世界の果て」のようなバーで出会った5人。

「ハッピー」はハワイ生まれの日系人。それまで地元で働いていたが、第二次世界大戦時、日本軍によるパールハーバー攻撃により差別を受け仕事を失う。アメリカで生まれてアメリカ人として生きてきたのに、日系人というだけで敵性外国人とされる、その理不尽さ。自分はアメリカ人だというアイデンティティーを守る為、彼は軍隊に入る。アメリカ人として国を守る為に命を捧げる決意をすることで、自分はアメリカ人だと証明するかのように。

「ロッキー」は元特攻の生き残りであり、朝鮮人。日本での偏見や差別から逃れる為に日本軍に入り、空軍のパイロットとなる。彼に憧れジーナの息子(ゴールドのいとこでもある)も日本軍に入り、戦死する。その発端となってしまった自分という存在を許せず、心に十字架を背負う。

「ファッティー」はこのメンバーの中で唯一の日本人。自ら「先祖は足軽?」と冗談で言うくらい口は軽いけれど(^^; 自分の気持ちに正直というか、表裏が無い人であり、戦後の混乱期でも所謂、人種差別的な発言だけは一切しない。ただ、彼の好み(男性が好き)から想像すると、当時の日本では彼も生き辛い人生を歩んできたのかな?と思う。所々だけれど、作品の中で彼の存在(台詞)は観ている私達の代弁者でもあったように感じた。

「ゴールド」は祖国朝鮮から日本に渡ったけれど、祖国に残った家族は離散、生死さえわからず、祖国に帰ることも出来ない。そんな中、叔母であるジーナを頼り身を寄せ、スリーハーツのメンバーと出会った。祖国を攻撃するアメリカや日本や諸外国(国連軍)に対しての怒りや疑問を抱き、自分でもどうにも出来ない時がある。「国や国境なんてものがあるから俺達は苦しむんだ」という言葉の重さを客席でどう受け止めたらいいのか、心が痛む。そんな彼にとって、4人で歌を歌う時が、そうした怒りや苦しみを忘れ楽しく時を過ごせる時間だったのだと思う。

「ジーナ」はバーのオーナーであり、ロッキーやゴールドと同じ朝鮮人。彼女もまた人には言いたくない苦しみを抱えて生きてきたのだと思う。ロッキーが彼自身を責め続ける姿に、どうか息子の事は忘れて欲しいと願う。でなければ先に進めないから。それはロッキーへの優しさであると同時に、彼女もまた過去に区切りをつけ先に進まなければ生きていけなくなってしまう、そんな予感があったのかも?しれない。冷静で、強く、優しい、皆の母親のような存在にも思える。


初日に拝見した時の第一印象は
「人が生きる」って、こういうことなんだろうな・・・
そう感じている自分が居ました。

私自身は戦争の実体験がありませんし、日本に日本人として生まれ、国や国境について深く考えたこともない、典型的な戦後の日本人です。
でも、生きてきた中で、社会における理不尽な差別は受けたことがあるし、見ず知らずな人の匿名による無責任な中傷に追い詰められたことがある。だから、劇中でファッティ―が言うように、ロッキーの本当の痛みは解らない(解ると思うことが驕りでもある)けれど、ロッキーの痛みを感じることは出来る。それは、ハッピーが日系人という差別に苦しみ米軍に志願したことや、ゴールドが祖国に残された家族や祖国の人々の想う気持ち、ジーナさんが息子を想う気持ちも同等に。
劇場の中で、同じ時と空間を共有している状態だからこそ、自分の目の前で心から苦しんでいる人達の心の痛みを感じることが出来たんだと思います。

今、芝居を観ているこの瞬間も、世界の色々な場所で、同じような被害を受けている人達がいますよね。戦争や内紛で一番傷付くのは非武装の民間人で、それこそ理不尽の最たるものだと思います。そうしたことが、有史以来、ずっと起こり続けてる。

理不尽なことに声を上げることも勿論大切。でも、一個人の出来ることには限界もあって、戦争だけでなく、人種だったり性別だったり多くの差別が残念ながら残っている社会の中で、今、私達は生きていかなければならない。

悲しかったり、悔しかったり、怒りを感じたり、色々ありますよね。誰にも理解されないと思って自分の心の中に抱え込んでしまいがちにもなる。
でも、そんな時に、口に出すのも辛いかもしれないけれど、信頼できる人に話を聞いてもらったり、一緒に歌ったり踊ったり笑い合ったり、そうした他愛もない時間を共に過ごすことで人は救われることがあるんですよね。そして、そうした想い出や、共にそうした時を過ごした人たちの温かさが、その後の人生を支えてくれる時がある。たとえ現実の中で遠く離れることになったとしても、互いに交わしたそうした想いを信じられれば、生きていけるのかもしれない。
この芝居を御覧になった方々の心の中にも、戦争や差別などの理不尽な事に人がどれだけ傷付くのか、そして傷付いた人を支え癒すのもまた同じ人であることが、温かく、それこそ劇団名のような人肌の温もりをもって伝わってくる作品だったように私は感じました。


冒頭、スリーハーツの稽古シーンから始まるのですが、ロッキー・ファッティ―・ハッピー御三方のフィフティーズっぽいミニスカ姿での御登場がインパクト大で(笑)、この御時世でなければヒューヒューしたかったくらい楽しかったし、後半は泣きながらも時折クスッと笑ったり感情がジェットコースター並みに忙しくて2時間没頭して拝見していると終演後に直ぐ立てないくらいに疲弊していましたが、それはとても幸せな疲れでした。
今でも、ラストのフォーハーツの歌声と姿が脳裏に残っています。そしてジーナさんのグンナイも・・・。芝居を観ていて、余韻がこれほど幸せだった作品も久しぶりでした。それは鄭さんが劇団が立ち上がった由来のところで書かれていたことが実を結ばれたからかな・・・とも思います。

「大好きなものを真正面から抱きしめたい」
「血が通った温もりある芝居を届けたい」

劇団ヒトハダ 劇場配布チラシ内 鄭さんの御挨拶文より抜粋

本当に、演劇が大好きで大好きで仕方がないという、そうした想いが熱く熱~く伝わってくる2時間でした。
演劇が立ち上がる為の最後の1ピースである観客の一人として、作品を、皆様が作品の中に込めた想いを、少しでも受け取れていたらいいなと思っています。
冒頭に書かせて頂きましたように、感じたことを言葉に落とすことが苦手ですが、言葉に落とさないと皆様に(こう感じた人もいましたよ~)と御伝え出来ないので、こうして書かせて頂きました。

近い将来、旗揚げ公演に続く、第2、第3の作品が上演されることを楽しみに御待ちしております。
旗揚げ公演の御成功、まことに、おめでとうございました!(^^)