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「不利な子供」に寄り添うこと(2/22)

もうすぐ春です。
4月になると、新しい学級がスタートします。始業式、子供たちはどのような心境なのでしょうか。

(友達と一緒のクラスかな・・・先生は誰かな・・・どんな先生かな・・・いやだな・・・不安だな・・・)

ほとんどの子供はこんな心境でしょうか。僕も子供の頃、そんな心境で始業式を迎えるのが当たり前でした。僕の場合は少しわくわくしていたかもしれません。教師になった今も、毎年当然のようにその日を迎えています。

最近、こう考えるようにしています。

子供たちは不利である。望んでもいない人と同年代で、望んでもいない人と同じ学級に属し、望んでもいない先生を前に、望んでもいない教室の中で、望んでもいないのに1年間生活をする。子供たちは、圧倒的に不利だ。

それが学校だ、みんなが通る道だと言ってしまうのは簡単です。でもその考えは改めなければなりません。学校は子供のためにあるのですから。

4月の始業式、子供たちがその日を笑顔で過ごし、ほっとした気持ちで帰路につくことができるだろうか。そのために「望んでいもいない・・・・」という子供たちの心にどれだけ共感し、寄り添うことができるだろうか。こう考えることが大事なのではないないでしょうか。

「黄金の3日間」というフレーズが当たり前になりました。一日目にするべきこと、二日目にするべきこと、三日目にするべきことなど、よいスタートを切るためのノウハウが溢れています。学級が崩壊しにくくなるらしいのです。大変よいことです。集団をうまくまとめるには欠かせない、とのこと。

しかしどれだけの教師が、「子供は不利」なのだということに目を向けてるでしょう。人はそう簡単には人や環境をを受け入れられません。子供ならなおさらです。「集団をうまくまとめること」に一喜一憂してはいけないと思うのです。それはただの自己満です。

子供たちはどんな心境で前夜眠りにつくだろうか、眠れるのだろうか、どんな心境で朝起きて、朝食を食べながら何を考えているのだろう、どんな表情で家を出るのだろう、登校しながら何を考えるのだろう、学校へ着き学級名簿を見て何を思うだろう、担任がわかった瞬間何を考えるのだろう・・・・・と極限まで想像することにしています。そして学級開き、一言目に何を発そうか、どんな話をしようか、と極限まで考えたいと思います。

不利な子供の心に寄り添う力、1年間寄り添い続ける力

この力なくして教師は務まらない。と、今は思います。

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