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2020年お世話になった皆さまへ

いよいよ2020が最後の日を迎えました。

この20年、夏と冬2年おきに、すべてを忘れて楽しみ伝えようとした大切なモチーフであるパラリンピックが、疫病のために延期になってしまい、私にも新たな時間が流れています。

現地観戦を通じて「スポーツの楽しさ」を知り、「社会モデル」の課題に触れ、世界中の選手の挑戦や障害と繋がる豊かな時間があることを知ることができました。最高の取材活動だと思っています。

私はシドニーではリモートで写真をアップロードしていましたが、冬のソルトレークからは現地取材を計画、初めての夏の取材はアテネでした。

そのアテネ取材班のジャーナリストとして電動車椅子サッカー選手だった平野誠樹さん、横浜のバリアフリーの旗印となって活動していた服部和弘さんが加わってくれ、それぞれの障害のある立場から取材をしてくれたことは、とても大事なことだったといつも思い返します。

(パラフォトの特設サイトは度重なるサーバートラブルや管理者の逃亡などにより多くのコンテンツが閲覧できなくなっていますが、アテネのサイトはまだ閲覧できます。よろしかったらご覧になってください)https://www.paraphoto.org/index/athens2004/

「ファンのメディアをつくろう!」と始めたパラフォトの活動は、カメラマンやライター以外に大学生や会社員なども一緒でしたが、現地集合、現地解散で日常生活ではパラリンピックに関わる人は多くはありません。しかし、パラリンピックが終われば、日常生活に戻らなくてはなりません。ーーーあたり前じゃないか?そう思いますか?
私は、そう思いませんでした。大会が終わったら、選手たちは次はいつから新しい挑戦を始めるのか?少しは休むのか?どんな学びを得て、どう展開するのか?気になりますし、終わったと同時に、つぎの開催地に向けて取材も4年間が始まっています。

自国開催の東京に向けては、開催が決まって(2013年)多くのメディアにも注目され、強化された選手たちにとって、目標へ直行するジェットコースターに乗せられたような時期を過したと思います。

そもそもパラリンピックの世界的競技レベルが急速に高まったのが東京2016年招致の始まった2008年・北京大会であり、オリパラが正式に同一組織になった。出場選手、競技運営のレベルアップの必要性も招致、自国開催に向けて関係者の意識から機運が醸成されていった。リオが終わり、いよいよ東京への秒読みが始まると、一般の人々の注目が高まる機会とあって、普及と発掘、強化が一斉に、オンパレードで行われ、メダルを意識した高い目標設定に戸惑い、悩んだ選手も多かったことと思います。

私にできることはほとんどありませんでしたが・・。

パラリンピックを現地で観戦して、スポーツと障害の豊かな世界に驚き胸に刻みました。ことあるごとに自分自身の日常生活、あらゆる時間と照らし、次は何を質問したらいいか?常に考えてきました。

予想できなかった展開に驚きながら時間がすぎていきますが、積み重ねた時間はとても価値があると思います。

安倍元首相は好きじゃないけど、完璧な形がこの国に起きていたらと思います。

その形とは、この国の多くの人が、みたことのない、新たな世界だと思うから。

つねに理想的な状況が得られるわけでなないなかで、どう生きるか。
パラの遺伝子みたいなものがどこかに宿ってくれている気がします。

そして、これからも、そこに、明日を変える力があることを信じていますし、証明したい。

2021年が、美しい年になりますように。祈っています。

(写真は、森下友紀さんと。2020年12月18日 撮影・山下元気)

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