MCUスパイダーマン作品の履修日記2/5 ホームカミング
過去作品をひとつも観ていなかったけど勢いでスパイダーマン・ノーウェイホームを観たら普通に楽しかったのでMCUのオタクとSpacesで喋っていたら、MCUスパイダーマンの時系列順に観るのがよさそうとなり、シビル・ウォー→ホームカミング→インフィニティー・ウォー→エンドゲーム→ファーフロムホームの順番で観ることにしました。
今回は2作品目です。よかったなと思う点を書いていきます。前回の履修日記は以下をごらんください。
ピーターがかわいすぎる
ピーターっていうかトムホってなんなんですかね? 開始5分でVlogを撮り始めたトムホのかわいさにびっくりして、もう一度見ていました。
異なるアングルから映すことによってメタ構造を感じさせる手法自体は珍しいものではないと思います。シビル・ウォーでも唯一深刻さを感じさせない自然体な姿を見せてくれたスパイダーマンがよりリアリティを持って高校生らしいラフさを見せてきました。恐ろしいです。
MCUとしてリブートされる意義
MCU作品は、現代社会の行き詰まり感や、先行き不安な未来を生きる子供や若者へのメッセージを表しているのではないかと思っています。
1作品目にあたるアイアンマンが公開された2008年前後は、サブプライム問題やリーマンショックなど、金融危機から景気がどんどん悪くなった時代です。そんな時代に生きる若者の目標としてのヒーロー像の提示として、強いカリスマ性や個性ひとつではなく、さまざまな才能を持つヒーローたちが力をあわせて悪に立ち向かう姿を描くことがアメリカに必要だったのではないかと思うのです。
そうした中で、一度ソニーピクチャーズによって映画化されたスパイダーマンがMCU作品として改めて描かれることの意義は何なのでしょうか。
カリスマ性があったり、身体的に能力が高かったりする何かのスペシャリストであるヒーローたちですが、スパイダーマンは実生活では普通の高校生であり、個性的な能力は発揮しますが精神面はいたって未熟です。当初は人助けをするのも、その未熟さからきているように見えます。
それがかえってリアルな若者像の投影につながり、ひとりの人間が成長していくストーリーのようなものを付与しているのではないでしょうか。自撮りをすると大人は承認欲求がすごいねと馬鹿にしますが、彼らにとってはそうした感情を通り抜けてあたりまえの自己表現だったりします。息を吸うように自己表現をしていく時代を生きる若者にとって、自分をよく見せたいというのはあたりまえすぎる感情であり、それゆえに無自覚に飲み込まれてしまうこともあると思います。そうした現代の若者が持つ危うさを、謎の覆面ヒーローに投影することがMCUスパイダーマンの目的なのかもしれません。
スパイダーマンになっていく
ピーターはシビル・ウォーの時点でスタークさんから新しいスーツをもらい、アベンジャーズの一角として戦います。今作はその続きとして、そのスーツを着て認められたい一心で独断で敵を追いますが、それによりスタークさんの信頼とスーツを失うことになってしまいました。
失意の中で、意中の女の子から「スターク社と関わっていて、スパイダーマンの友達」という目線から声をかけられます。嬉しくもあり、同時に後ろめたい気持ちになり、さらに彼女の父親こそが追ってきた悪者ということがわかってしまったピーターはヒーローとしての使命に目覚めます。
自前の子供の部屋着のようなスーツを着て、今の彼にできることを最大限に努力します。この時のピーターは意中の女の子にモテたいとか、力を使って困っている人を助けてあげたいといったことは頭になさそうです。ただ、目の前の悪事を阻止しなければいけないという一心で戦います。この働きを認められたピーターは、正式にアベンジャーズとして活動しないかと誘われるも、これを拒否するところでホームカミングはエンドロールに向かっていきます。
ヒーローとしての心持ちが芽生えたピーターが、自分が目指すヒーロー像を体現するためにアベンジャーズという看板を外すラスト、めちゃくちゃかっこいいですね。
ノーウェイホームを観ているだけに、ピーターの選択がとても愛おしくなりました。
3、4作品目は続けて観ました。
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