MCUスパイダーマン作品の履修日記1/5 シビル・ウォー

過去作品をひとつも観ていなかったけど勢いでスパイダーマン・ノーウェイホームを観たら普通に楽しかったのでMCUのオタクとSpacesで喋っていたら、MCUスパイダーマンの時系列順に観るのがよさそうとなり、シビル・ウォー→ホームカミング→インフィニティー・ウォー→エンドゲーム→ファーフロムホームの順番で観ることにしました。
インフィニティ・ウォーとエンドゲームはみんなで一緒に観て、新鮮な悲鳴を摂取したいらしいです。オタクたちの貪欲な姿勢を感じずにはいられません。

さっそくシビル・ウォーを観たらやっぱり面白かったです。マーベル作品を制作している人たちはすごいですね。せっかくなので、印象に残った面白い点を書きを残していきます。

悪化する治安と銃社会の恐怖

「シビル・ウォー」というタイトルからも不穏な雰囲気しかしませんでしたが、あらゆる意味で治安の悪い作品でした。
武力があるからこそ問題は起きるとでも言わんばかりに、アベンジャーズの周辺できな臭いテロ事件が起きていきます。2016年の映画だそうです。アメリカでは銃の乱射事件が増え続け、銃規制の声が高まっていた時代なので、そうした不安を投影したような作品だと感じました。

全体的に陰鬱な空気が漂っており、ザ・アメリカ!的なビジュアルのキャプテン・アメリカがチームから離反するというショッキングなストーリーに驚いてしまいました。
たしかに、予告編を観たような記憶はありましたが、なんかちょっと悲しくなりました。
初めて映画の中で動いているキャプテン・アメリカを観た私がショックを受けたのだから、ずっと追ってきたファンにとっては気絶するくらいショックだったのではないでしょうか。

ポリコレ棒でしばきあうむなしさ

アベンジャーズは強大な力を持っているからこそ市民から危険視されることになります。ある団体の力が強まると別の団体が彼らを失脚させようとしたりしようとするのは、キリストの時代から繰り返し行われていることです。
多くの場合は力を持つ者に対して批難・扇動して民意を動かしていきます。あらゆる争いはそのようにして起き、または意図的に引き起こされてしまいます。国を揺るがす大きな争いもあれば、個人の問題を課題解釈して炎上させるようなポリティカル・コレクトネス的な問題もあります。
シビル・ウォーにおける問題はと言えば、後者のような印象を受けます。キャプテン・アメリカの古い友人関係をもとに「彼の交友関係には問題がある」と糾弾するような苛烈さすら感じます。
そうして例外なくアベンジャーズも民意によって弱体化させようとする運動に飲み込まれて、チーム内で意見が分断してしまいます。
これこそがタイトルの表す「シビル・ウォー」の正体であり、歴史上幾度となく繰り返されてきた、外的圧力によって内乱状態になってしまったりする出来事に「2016年当時のアメリカが突入している」ということ自体をアベンジャーズに投影しているのだと思いました。
ポリコレ棒でしばきあう人びとの正義の矛先としてのアベンジャーズであり、力を持つ者たちが本来の力を発揮できずにポリコレに振り回される様子が描かれているとも言えます。

スパイダーマンが愛おしくなる

全体的に殺伐とした雰囲気が立ち込めている中、一服の清涼剤とも言えたのがスパイダーマンでした。「そういえばわたし、スパイダーマンを見たくてこの映画を観たんだったわ」と思い出してニヤニヤしてしまいました。蜘蛛の巣のモチーフが部屋にたくさんあったり着ているピザがプリントされたTシャツから、正体を隠さなきゃという感情と、自分がスパイダーマンであるという自己顕示欲が入り混じっていてとても良かったです。
MCU作品は衣装でキャラクターの心理的背景を語る演出があまりにも完成されていてとても勉強になります。
ピーターが画面にいるだけで癒やされたので、トムホのインスタをフォローしました。

2022年から観た答え合わせ

スパイダーマン・ノーウェイホームを観た時に「マーベル=全年齢をターゲットにしたヒーロー映画」という印象とうってかわって、実際には現代社会に向けた強いメッセージ性を感じました。おそらく、MCUという作品群はそうしたメッセージを込めて、未来を生きる若者をエンパワメントするようなものになっているのだと思います。

わたしは後から観ている観客なので、ある種未来からMCUによる解答の答え合わせを観ているともいえます。

銃規制についての議論は何度も盛り上がりながらも2022年現在規制されるには至っていません。それはそうだと思います。隣人がライフルを隠し持っていると分かりながら、自分だけ手放すなんてことはなかなか難しいものです。持っている力を手放すことは非常に難しいので、そうした力を正しく使うための聖書としてのヒーローを求めているのだと思います。
また、シビル・ウォーの公開の翌年にはポリコレを欺瞞と断言するトランプ大統領が就任しました。キャプテン・アメリカの狂おしいまでに真摯な選択が、アメリカ国民を後押ししたのだとしたら、なんだか皮肉な結果だなあとため息が出てしまいました。考えすぎであってほしいと願います。

2作品目はこちらです。


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