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参天台五台山記読記016

十五日(甲子)
巳時,李思愷買作飯與志日本,味如餠淡,大如茄,頂頗細,以小麥粉、小豆、甘葛并糖作果子也。林皐志與櫻子,大如棗,味似鶯實,色又似鶯實。未時,梢工陳從志與甘蔗一枝,長四尺,口徑一寸,節三寸五分,皆齊在之,寸切吃汁,如未煎,極甘美也。吸取汁後吐舍差。一船頭曾聚送糖餠十枚。今日依都督酒宴,不上船,雜物徒然在小船。終日雨下。

ノート:
巳時に、李思愷が作飯を買い、またお布施の包みを与えてくれた。(一応、疑わしきを闕 (か)いておく)その味は日本のお餅の如く淡い。その大きさは茄子のようで、頂きのところがちょっと細い。大体、このお菓子は小麦粉、小豆(あずき)、甘葛(アマチャヅルの葉かな)や糖(サトウキビを原料にした液体の沙糖)で作られただろう。

古法製糖(書籍《一門手藝度春秋》より)


林皐は櫻子を贈ってくれた。それは棗の大きさで、鶯實に似た味や色艶がある。櫻子とは、桜桃(さくらんぼ)のことを指している。鶯實は、ウグイスカグラ(鶯神楽)の実であり、確かにさくらんぼとよく似ているね。
未時に、梢工の陳從志はサトウキビ1本を贈ってくれた。宋代の有名な『清明上河図』には、サトウキビを扱う屋台を出している市井の様子が描かれている。サトウキビは元々太平洋の島々が原産地で、遠い昔の中国周宣王時代(紀元前12世紀頃)に南中国に伝来されたと言われる。漢の時代には、サトウキビを表す「蔗」という漢字が定着した。また、時代が下って、宋の時代には、長江以南の各地でサトウキビの栽培が一般的に行われるようになった。梢工は舵取りのこと。つまり、一般人でも気軽に買えるような嗜好品にまでサトウキビが広まったのだ。

清明上河図の局部


そのサトウキビは日本人にとって多分珍しいものだったので、成尋がここで筆墨を惜しまずに綴ったのだ。それは長さ4尺、径1寸で、節は3.5寸になる。それを同じ長さに寸断して、そのジュースだけを吸う。お汁を吸い取ったあと、その滓を吐き出すのはみんなご存知の通り。その味は?と言うと、未煎のようにすごく甘くて味の良いものだったと。ここで未煎と書かれたのは、甘葛の葉やつるの汁を煮詰めた甘味料・甘葛煎のことを指している。味煎とも書く。

清明上河図の局部


また、船頭の一人、曾聚は糖餅を10枚贈ってくれた。美味しいお菓子に恵まれた1日だった。
本日は、都督様が酒宴に行かれたので、船には乗らなかった。雑物は小舟に置いたまま。終日雨が降っていた。日課の修行はどうなっているのだろうか。

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