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参天台五台山記読記039

寒山は天台県西側七十里離れたところにあり、寒巖とも呼ばれている。国清寺の大門前から一町ほど松林を抜けると、東側に拾得巌がある。
そして普明禪師が錫杖を突き立て泉を沸かせたというお井戸を拝見した。その普明泉は、大仏殿の艮角(東北隅)、また深沙大將堂内の乾角(西北隅)に有った。そこで焼香した。
次に、豊干禅師が生きていた時代の斎堂(食堂)を拝見した。その斎堂の中には、数体の小仏像が祀られていた。斎堂の後ろの二隅には、其々木像三賢があった。その場所で、お香を焚いて供養した。

天台山国清寺 三賢殿


そして地主山王元弼真君を参拝した。真君は、周霊王の御曹司であり、王子晋のことをさしている。このお寺は元々、王子様のお宅だったところを、その王子様が仙道に成就した後、数百年経って智者大師に謁して受戒し、この地を譲渡したとされている。日本天台山王(大山咋神・大物主神)みたいな感じだ。

三才圖繪 王子喬


天台記によると、真人の本名は周霊王の太子喬、字は子晉だった。真人は笙を吹くのが好きで、鳳凰のような鳴き方をしていた。伊水と水の間で遊んでいた真人は、道人の浮丘公に導かれて嵩山を上り、そこで三十年以上を過ごした。その後、真人の姿を求めて見えなくなり、時折白い鶴に乗って当時の人々と別れて去っていったと伝えられている。また、真人は桐柏真人、右弼王、領五岳司として仙官の任を授かり、帝を助けて花山の治理に携わったと記されている。
その次、定惠院を礼した。『智證大師伝』によると、智證大師が右大臣から道かてとして砂金三十両を受け取り、それで材木を購入して国清寺の止觀院に長いご講が行われる場所として止觀堂を立てさせたと記されている。また、祖師の願いを叶うよう三つの部屋を造らせたという。そして、僧の清觀を主持人として請い、お香を焚いて礼拝した。
また、明心院を参拝した。智者様が在世中に使用していた経蔵で、数十の經筥が伝承されてきた。住持僧の咸寧は年八十二と高齢で、法華経を念持している方だ。彼は参拝者にお茶を立てて、ヤマモモを氷盤に並べて振る舞ってくれた。

宋代の人々がお茶を楽しんでいる様子


その後、転輪蔵一切経を礼した。お経を八方からまわるように配置されているのを、下から人が潜り入って回しているというところで、それが転輪蔵と呼ばれている。二階の楼内に、二丈程の大きさの転輪蔵が塔のように佇んでいた。そこで焼香した。

河北省正定縣隆興寺 宋代轉輪藏


酉時に宿房に戻った。寺主の弟子禹珪が切々に乞っていたため、無患子青琉璃裝束念珠を一つ寄贈した。
七時には勤行を修了した。

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