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参天台五台山記読記032

八日(丁亥)
晴れる一日だった。辰時の一点には、満潮になっていたので、まず水牛二頭で船を陸地に引き上げ、次に牛四頭で大きな曹娥河へ船を移動させた。曹娥河は南から流れてきた川で、川の北側が大海原だった。川を遡って蒿山を経過した。
五十里進んで、午時の四点に、主家會に着いた。そこで少し休憩を取り、薪を買った。
さらに二十五里進んで、酉時の一点に、夏午浦口に着いた。これも同じ川の名称だが、上流と下流では呼び方が異なっていた。
さらに二十五里進んで、蔡家山に宿泊することにした。
七時には勤行を修了した。本日は百里を航行した。

虞公、曹娥廟を立つ(画像出典元:https://ameblo.jp/bukou2007/entry-12520546374.html)


曹娥は、上虞に実在した人物であった。その父は曹と称され、漢安二年(西暦143年)に伍君神(死体を水に流された歴史人物伍子胥が後世に潮の神として崇敬されるようになった)を迎えたが、潮の流れと逆行したため、遂に溺死の憂き目に遭遇した。此の時、十四歳の娘・曹娥は、父への深い思慕の念が募り、川に身を投じて自害の運命を辿った。この川は以降、曹娥江と呼ばれるようになった、とされる。(『会稽典録』)

九日(戊子)

三界鎮謝靈運像(画像出典元:百度)


雨が降る中、卯時に船出した。巳時に、十五里進んで、彎頭に着いた。そこで小舟に乗り換え、荷物の積み直しを行った。水位が低く、大型船では進めなかったため、小舟を借りることにしたのである。

三界鎮剡渓(曹娥江の上流)(画像出典元:百度)


二十里進んで、午時に三界県に着いた。
さらに三十五里進んだら、申時の四点に、黃沙に到着した。ここで順風になったので、帆を上げて進むことにした。
さらに十里進んで、戌時に蔡家浦に宿泊することにした。七時には勤行を修了した。本日は九十里を航行した。


三界鎮剡渓口(画像出典元:百度)


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