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参天台五台山記読記023

廿五日(甲戌)
早旦,從金剛寶乘寺金剛般若會々主計(許),送迎船,即出乘船。一時計,著寺,先拜大佛殿燒香,中尊丈六金色彌勒佛,左右有丈六釋迦、彌陀佛,彌勒脅侍有比丘形二菩薩,無著、世親歟。堂莊嚴甚妙也。黃金佛具燈台等有其數,毎柱卷赤色縫物練絹,以色々練絹結幡花鬘代。禮堂立寄子、食床,僧俗并居佛面左右,賜紫大師寺等為首各座。次禮五百羅漢院。次禮觀音院。次順(須)菩提院,人燒香為事,佛前敷絹,有一僧執香爐白,次諸僧并立,打十口計。次著食座,諸僧先以坐具敷寄子坐,乍帖置之,先食果子,子、梅子、松子,龍眼味如乾棗,似子,頗少去上皮吃之。胡桃子實極大,皮薄易吃破。又作菓五六種,不知名。甘蔗、生蓮根、紫苔為菓子,有櫻子。先乳粥,次汁三度,最後飯極少盛之。申時,乘船還宿。七時行法了。

ノート:
朝、金剛宝乗寺の金剛般若会の会主さんの手配で、お寺への送迎船に乗った。一時(現代で言うと2時間)ほどで、お寺に到着した。
まず、大仏殿に詣でて、お香を焚いた。中央には丈六の金色弥勒仏が鎮座し、その左右には同じ大きさの釈迦仏と阿弥陀仏が奉られていた。(丈六とは、一丈六尺で約4.85メートルのことで、弥勒仏が坐像であることが多いため、その半分の高さである約2.5メートルの像でも非常に大きなものだ。)弥勒仏の脇には、比丘の姿をした二体の菩薩が侍っていた。これは無着菩薩と世親菩薩のことだろうか。

無着菩薩、世親菩薩像(興福寺)


お堂は本当に美しく装飾されていた。黄金で作られた仏具や灯台が数多くあり、各柱には赤い練絹の縫い物が巻かれている。色とりどりの練絹で作られた彩幡や花鬘などの荘厳具が華やかに飾られていた。(「寄子」と書かれていたのは、椅子のことを指しているのだろうか。)礼堂には椅子や食卓が並べられ、出家者や在家信者が仏前で左右に席を分けて座っていた。(礼堂は、おそらく食堂のことだろう。中国では、食前に五観の偈を唱える習慣があるため、食堂のことを「五観堂」と呼んでいる。)尊いとされる上位の席は、賜紫大師寺などの格の高い寺院から派遣された僧侶たちに与えられていた。

奈良時代 須菩提像(法相宗大本山興福寺国宝館)


その次に、五百羅漢堂、観音院、そして須菩提院の順序で礼拝した。(須菩提は、無諍第一、解空第一と称される釈迦の高弟の一人である。)皆がお香を捧げ、御仏の御前には絹が敷かれた。一人の僧侶が香炉を手にしながら、御仏に表文を読み上げ、他の僧侶たちは立ち並んで十数の銅を一斉に鳴らした。それは、お供えの儀式の一環だったのだろう。
その後、皆が食座に着いた。諸僧は椅子に座具を敷いて座り、準備はたちまち整った。ライチ、梅の実、松の実などのお菓子が振る舞われた。竜眼は干し棗の味に似ていて、食べる際にはライチのように上皮を少し剥がして食べる必要があった。クルミは大きくて皮も破りやすく、食べやすいものだった。また、名の知られていない菓子が五、六種類もあった。
甘蔗、レンコン、紫海苔も菓子の中に含まれ、さくらんぼもあった。まず乳粥を飲み、続いてお汁を三度進められ、最後に少しお飯が盛られた。(乳粥とは、牛乳や馬乳などにお米や粟を加えて煮詰めたお粥のことである。さすが千僧供養、アイデア満載のメニューで目を奪われてしまうね。でも、衆生の御恩を忘れずに頂こう。ご馳走様。)
申時に、船に乗ってお宿に帰った。
勤行は七時に修了した。

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