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参天台五台山記読記033

十日(己丑)
晴れ渡る一日だった。卯時に船出し、帆をあげながら船を駆けさせた。五里進んだら、県に到着した。
巳時に、張九郎家に着いた。そこで錢小八郎が印香一両を寄贈し、また百回にわたって礼拝をしてくれた。それを止めるよう促したが、なかなか承知してくれなかった。
そこにいた一人の者が、値段二十文のお香を寄贈し、さらに一人ひとりに十文ずつのお志を渡した。大家の母親は85歳になっていたが、それでも部屋を出て成尋を礼拝し、二文を喜捨した。大家はお香を焚いてくれた。夕暮れや子時に、一本ずつお酒を贈与した。亥時や後夜の儀式にそれを使った。(浴酒供が行われたものと思われる。)
七時には勤行を修了した。

十一日(庚寅)
本日は晴れ渡る好天気だった。大家の張九郎に依頼し、九人の人夫と二人の輿丁を雇ってもらった。彼に三貫三百文のお金を渡した。その十一人の賃金は各三百文だった。国清寺までの3日分の手当や食料として、さらに二百二十文を支給した。内訳は、百文が大家の負担、五十文が宿泊代、七十文が輿の賃金だった。

新昌県(画像出典元:Sogou)


頼縁供奉(案内役)を六百七十文の自費で二人を雇い、輿に乗せたが、他のメンバーは徒歩で行った。三十五里進んで新昌県に到着した。
雇った十三人分の飲酒代として九十八文を支払った。さらに十五里進んで王婆亭陳公店に着き、そこで宿泊することにした。
七時には勤行を終えた。輿に乗っている間、お経六巻を読誦した。大家に宿泊代五十文を支払った。


新昌県大仏寺(画像出典元:Wikipedia)


新昌県大仏寺(画像出典元:Wikipedia)


新昌穿岩十九峰(画像出典元:Sogou)

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