参天台五台山記読記004

廿二日(壬寅)
天睛(晴字誤)。艮風大吹。唐人為悅。中心思之萬遍呪力也。其由示抄剳了。林皐告云。(字林廿郎〔【考】廿字諸本作少。今據原本〕)昨日未時入唐海了。以繩結鉛入海底時。日本海深五十尋。底有石砂。唐海三十尋。底無石有沼。右(【考】右,雲松閣三本作古。原學兩本作右)昨日量了者。住室內間。不見斤(【考】斤,閣學兩本作何,非也)量者。林皐,但馬唐人林養子也。予見四方無山無際。三人猶醉臥。終日竟夜。飛帆馳船。數萬念誦。敢無間斷。今日濱雀二來船中。如巡禮(【考】禮松本作視)記。(【考】指圖仁入唐求法巡禮記)

ノート:
ようやく東北から風が吹いて、晴れる天気になった。船頭たちは喜んでおり、成尋はこれが真言を何万遍も繰り返した不思議な仏力なのだと密かに思っているようだ。抄剳は謄写を意味し、多分唐船で働いている会計のことを指している。林皐という人物がこの抄剳の役割を果たしているかもしれない。林皐は中国人であり、但馬に住む林さんの養子で、名前は廿郎か少郎になる。林さんによれば、二十二日の未時(午後13時から15時の間)に唐の海域に入ったとのこと。周りに山も島も見えないのに、どうしてそれが分かるのかと尋ねると、縄に鉛を付けて海底まで沈めればその距離を測ることができるという方法があるそう。1尋は8尺で、宋の時代において1尺は約0.312メートルに相当するため、約2.5メートルになる。日本の海域の深さは125メートルで、石の盤岩が底にある一方、唐の海域は75メートルで、石ではなく沼地の海底地形になっていると、古来から日本と中国の海域の違いについての認識があった。昨日、唐の人がその作業を行い、唐の海域に入ったことが分かったが、船室の中で引きこもっていた成尋は当時それを知らなかった。
この記述を見る限り、その時代の人々は海の深さなどの諸元を調べ、現在の位置を究明しようと努力していたことが分かる。航海技術の発達により、渡航の安全性が向上したことは間違いない。
大海原を航行するだけでも、不安や疲労が蓄積されるだろう。他の三人は相変わらず乗り物酔いをしているようだ。彼らが体力や精神的に大丈夫なのか、少し心配だね。彼らも成尋のように心の中で神仏の呪文を苦労を惜しまずに繰り返していた可能性がある。
成尋の場合、終日徹夜して何万遍もの呪文を繰り返す、かなり信心深い方なのだ。彼にとっては呪文が自動的に完成し、苦労も感じないはず。寝る時間も必要ない「寝ずの修行」を何年も積み重ねてきた技術だ。
その結果、二羽の濱雀が船の中に現れる。まさに円仁が書いた『入唐求法巡礼記』に登場するシーンそのもの。これも一種の感応と捉えられるだろう。

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