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AIに対する自分のアンコンシャスバイアスを知った日

※366日間チャレンジ、204日目。

昨日たまたまChatGPTを使っていて、いろんな質問をした後、(これはいつもなのだけれど)お礼を言いたくなって、ふと
「私はどうしてAIと、人間と同様のコミュニケーションを取りたくなっているんだろう?」
と疑問に思った。

というのも、その日の朝、安宅和人先生のツイートを見て
 ↓

リンク先のスライドを見たからだった。
 ↓

いやほんと、これ気づいていなかったんだけど、確かにAIに対して、人間と同じようなコミュニケーションを取ろうとしてきたし、自然とそう思ってしまっていた。

Facebookにそのことを書いてみると、

こんなふうにアップしてみた

意外と多くの人が、AIとのコミュニケーションの時も、普通にお礼を言ったりしていることがわかった。

そして、その中に、例えばAIが、自分が使った絵文字と同じ絵文字で返してきてくれる、などのいただいたコメントを読んだり、私自身AIが日本人的な言い回しをすることに驚いて感動したとかコメントしたりしているうちに、私がなぜか
「AI、すごいねー、賢いねー」
みたいに、AIを下に見ているのに気づいた。

気づいてしまった。

気づきたくなかった・・・だってAIサマですよ???
賢いとかいう次元の話じゃない、はずなのに、なぜか私は、AIを自分より下に見てしまっている。

『これからもどうぞよろしくお願いします』みたいな、英語圏の人には理解が難しい日本語も使いこなしていてすごいねー、賢いねー、みたいに思ってしまっている。

うわー・・・、気づきたくなかった。

例えば犬や猫に対しても、
「賢いねー、えらいねー」
みたいに言ったりして、見下した表現をしている人を見るのが、なんか苦手なのに。

そういえば、他にも、自分のそういう見下し癖に気づいたことがあった。

私は自分より年下の人たちに対して、どうしても、自分の方が人生経験を積んでいるから知っていることが多いはずだ、みたいに思ってしまう。

私がアドバイスできることがあるかもしれない、みたいに、(意識していなくても)見下した考えを持ってしまう。

これも、自分の、すんごい嫌な思い癖である・・・。
そんなふうに思ってしまう傲慢で思い上がった自分が、恥ずかしいし、情けない。

結局、自分なんだよなあ・・・見下されたくない、馬鹿だと思われたくない、人の役に立って自分が有用な人間であることを証明し褒められたいことの裏返し。

人それぞれにいろんな思い癖があると思うけど、人や自分のポジティブな面にフォーカスしていきたい、と思った矢先にコレである。
まあ、人間、いろいろあるもんね。
理想通りなんていかないよ、ほんと。

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