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阪神のアレ、稗田のアレ

※21日間チャレンジ、14日目。

今年かなり話題になった
『阪神のアレ』
直接的に表現しない時の代名詞ですね。
さて、
『アレ』
といえば、日本では大変に有名な人がいます。

そうです、表題にも書きました、
稗田阿礼(ひえだのあれ)
さんですね。ググればいろいろとアレさんのことが出てきますので、ご興味のある方は調べていただければよろしいかと思いますが、ポイントとしては

◎日本人が日本人たる所以を記した超重要文書『古事記』の編纂に携わったと伝わる
◎アレさんが覚えていた文章を太安万侶が書き取ったのが古事記とされている
◎つまりアレさんは日本の天皇が神と血縁である(天照大御神の子孫だとする)という、日本の皇室の威厳の根拠となる大事な役目を負わされている

という3点です。

とはいえ、ウィキペディアなどをご覧いただけますとわかります通り、アレさんが実在したという証拠がないんですね。未だにないんです。さらにこの時代の畿内の人で、しかも古事記みたいな重要な書物の編纂に携わっていたにもかかわらず氏姓が不明なんて人、このアレさん以外にいないらしいんですよ。

・670年に施行された庚午年籍や、その20年後の庚寅年籍に記載がある畿内の人々は、極僅かな割合の奴婢を除き、全ての者が「姓付きの氏」を持っていること。しかし稗田阿礼は姓が不記載であり、その非実在性の問題へとつながる。姓の不記載は阿礼が非実在か、姓を序文の作者が知らなかったということになる。また序文から、氏と姓の違いが曖昧になった後世のものであると見ることができる。
・「稗田阿礼」と「太朝臣安万侶」とが現実に『古事記』の編纂で接触していたのであれば、安万侶が阿礼の姓を知らないことはまずありえないこと。また自らは序文のおわりに「正五位上勳五等 太朝臣安萬侶」と書いていることからも不自然である。
・阿礼に如何なる学問の素養があって、それがどのような環境で鍛えられたのかが不明であること。「姓稗田、名阿礼」と言う書き方は漢文での名前表記のやり方であるから構わないという見解もあるが、姓のある日本においてこうした書き方はそぐわない。
・日本の重要文献の編纂関係者で、このような氏名表示をしている例は他にない。

 ウィキペディア『稗田阿礼』より引用

『古事記』は大和言葉で書かれた、日本国民向けの「あなたが日本国民として大切である理由」「うちの日本が国としてちゃんとしてる理由」「だからあなたが海外に行っても卑屈にならなくていい理由」みたいな大事な内容の書物です。なんたって、天皇や皇族が
「おれの先祖、神だからな!だからおれを敬えよな!」
と言うための根拠なのですから。
でもそれを書いた人が
『稗の田んぼのアレ』
扱いですよ、いいんでしょうかね、これ。

でもね、むしろ、畏れ多くも神さまの伝説を語った人が、ほんとの自分の名前を書いてしまったら、色々とヤバいことにもなるかもしれないじゃないですか。反対勢力の恨みを買うかもしれないし。しかもその人個人だけじゃなくて、一族郎党みんな恨まれたりして。この時代の政は、神さまや信仰と密接に繋がっているし、実際、古事記編纂を指示したのは、かの血塗られたクーデター乙巳の変(大化の改新、の方が馴染み深い人も多いかな)に関わった天武天皇ですからね。まだまだ天皇の地位は不安定だったわけです。(完成したのは、天武天皇の後を継いだ、天智天皇の娘の元明天皇の時代。)

天武天皇、自分も結局は壬申の乱で自分の甥っ子の大友皇子(兄である天智天皇の息子)を殺して天皇になってるし。だから自分の血筋の正当性を書いた書物が、一刻も早く必要だった。しかもラッキーなことに、それまでの歴史を書いた書物、火事で全部焼けちゃってたっていうんだから、自分に都合のいい内容の新しい書物をでっち上げるのには、めっちゃ好都合だったわけじゃないですか。せっかくだからこの機会に全部新しくしてしまおう、って、誰だって考えそうですよね。

なので、もしかしたら、稗の田んぼのアレちゃんというのは、ほんとに架空の人物で、実際には天武天皇の周りにいた人たちが、いろいろと書いた・・・のかもしれないですよ。とはいえ、真実は闇の中。死人に口無し、もはや誰も知る人はいません。

歴史はいつも、勝者が上書きしていく。そして、真実は時の風の中に消え去っていく。

『阪神のアレ』から稗田阿礼を思い出して、そんなことを思った2023年だったのでした。



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