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あと何回この大晦日を過ごせるだろう

※31日間チャレンジ31日目。

いよいよ2023年の大晦日である。
毎年必ず、大晦日の日に思うのだけれど、今年も本当に、去年の大晦日にはまさかこうなるとは思っていなかった1年だった。
ほんとに、よくまあ、飽きもせず波瀾万丈な人生を過ごしているものだ。
予想がつかなすぎる自分の生き方に、疲れたり、もっと平穏に過ごしたいと考えたりもする。
自分であることにたまに疲れる、それが私である。

私も夫も、実家の両親が健在で、おのおの2人暮らしをしてくれている。
今年は、私の両親と一緒に過ごす年末年始である。(防犯上、あんまりこういうことをリアルタイムで書くのはよくない、というのは知っているけど書く。)

大晦日の昼過ぎに、お土産などをかかえて電車を乗り継ぎ、私の実家に行く。
父母が料理などを用意してくれている。
布団なども、普段しまってある屋根裏部屋から出してきてくれているので、あとは布団を敷くばかりになっている。
私たちが到着すると、お風呂を入れてくれるので、夫から順番にお風呂に入る。
支度が整うと、夕食が始まる。
今年はしゃぶしゃぶをみんなでいただく。
テーブルの上に電気コンロと鍋のセットを2つ置いて、父母チームと私と夫チームの二手に分かれて鍋をつつく。
紅白歌合戦が始まれば、テレビをつけてみんなで見る。
ゆく年くる年が始まる頃になると、父がそばを茹で始める。
年越しのかけそばをいただきながら、年を越す。
お年始の挨拶をしたら、歯を磨いて寝る。

あと何回、この大晦日の過ごし方ができるだろう、と思う。
あと何回かはわからないから、この時間を、大切にしようと思う。
人はどんどん忘れる。私は特に忘れっぽい気がする。同じ時を過ごした人同士でも、覚えていること、見ているポイントはみんな違う。
思い出話になった時、みんな違うことを言うので面白かったりする。

私がどんなことを思い出すのか、覚えていられるのか、忘れてしまうのか、皆目見当もつかないが、自分の中では当たり前でなんてことない年末の過ごし方が、いつか記憶の中だけのものになり、私がいなくなると誰も覚えていないものになる。
そしてまた、未来を生きる新しい誰かが、大晦日という日を、新たな過ごし方で上書きしていく。

私の今日の大晦日は、誰かが忘れた年末の過ごし方に、上書きされたもの。

#年末の過ごし方

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