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なんであんなに、テストで満点取れる人が褒められ、点数が低い人がけなされていたんだろう

※366日間チャレンジ、191日目。

ふと思ったんですよ。
公立の学校の先生たちって、
「児童生徒にテストで満点を取らせること」
が目標なのかな、あるいはかつての先生方ってそうだったのかな、って。

そう思ったのは、MCD(ミライフ・キャリア・デザイン)の参加者の中で、学歴社会を変えたい、いい大学に行かないといけないみたいな圧力のある世の中をなんとかしたい、ということを考えている人がいたのがきっかけで。

よく考えたら、先生方が何を目指して子供達を教育していたのか、考えたことなかったなって。

私立の学校の先生方は、それぞれの学校の方針に従っていたと思います。

でも、それじゃあ、国公立の学校の先生方は?

私たちが子供の頃の、国の指針って、なんだったの?

国は、学校教育を通して、どんな子供を育てたかったの?

そういれば、テストの点数が高い子が偉い、低い子はダメだ、みたいな風潮があった。
よく考えたら、それ自体、おかしなことだ。

というのも、テストでの点数が、あたかも人間性の評価に繋がるようなことを言っていた人も多かったんですよね、私の子供時代。

でも本当はそうじゃない。

満点取ると褒められるのは、頑張ったからだ、とか、テストで点数が取れないのは怠けたからだ、みたいに言う人もいたけど、

実際には、

何にも努力しないで高得点取れる子もいたし、点数はそんなに取れなくてもすごくお勉強を頑張っていた子だっていた。

テストの点数と、その子の人間性、全然関係ない。なかった。

まあ、私は団塊ジュニア世代で、子供が多すぎて、1クラス50人以上いたりしたから、先生方も十把一絡げにするしかなかったですよね(爆)。

だから、安直にテストの点数でその子に対する評価や対応を分けたりとかも、ぶっちゃけあったかもしれない。

米沢市に住んでいた頃、近隣の過疎地の小学校で、1学年1人とかだったりして、うおー贅沢なことだなあ・・・なんて思ったりしたこともありました(もちろん逆に大変なことも多かったそうですが)。

とはいえ・・・時代が移り変わって、先生方も、まさかこんなにも、ひとりひとりが個性を出して、これまでにないものを作るようなクリエイティブな人材が求められるようになるなんて、想像もつかなかったでしょうし・・・

今の時代なら、テストの点数の凸凹より、それぞれの個性を大事に考えて・・・みたいな方が大事だよなあ、って思うんですけど、それは今だから言えることで、40年前はまさか社会がこうなるなんて誰も想像つかなかったですものね。

だから、今これから、テストの点数が良いのが偉いとか全然違ったなー、自分の個性って何かなーって、自分に対する評価を見直して、自分というものを捉え直してみたらいいんじゃないかな、って思いました。

特に、自己評価が低い人、自己卑下で苦しい気持ちでいる人は。

トップ画像は、武蔵境駅で植えられているホップ。
ホップの苗木すら、しっかりと丁寧に見守られている・・・そんな時代になったのかあー。

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