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週末弾丸韓国旅行 軍事境界線ギリギリの街に行って双眼鏡越しに北朝鮮人を見てきた話

1ヶ月余りにわたる冬オフが終わり、ついに我が部活もシーズンイン。週6でサッカー漬けになる日々が戻ってきた。
冬オフ中にあともう一回くらい海外に行きたかったものだが、行こうと思ったティモールは、陸路でもアライバルビザがもらえるのか情報が得られず、現地の大使館が空いている曜日などの兼ね合いで行くのを断念してしまった。
そんなこんなで、一抹の不完全燃焼感を抱えたまま入ったシーズン。しかしながらやはりサッカーとは楽しいもので、またサッカーにフルコミットする生活が始まった。

と思いきや。シーズン頭で強度が上がりすぎるのを防ぐため、世にも珍しい日曜オフが降ってきた。
我々はもともと月曜オフ。そして火曜は夜から練習である。なんと2日半の連休。そうだ旅に行こう。

帰国翌日から始まる怒涛の期末試験ラッシュには目を瞑ろう。東大理学部相手の戦いである、正攻法でやっても凡人には太刀打ちできまい。目眩し作戦だ。

日曜日の未明に羽田を経ち、仁川国際空港に降り立ったのは早朝6時のことだった。
空港鉄道に乗ってひとまずソウル市内に向かう。

空港鉄道の車内TVで独島と東海のプロパガンダcmが流れていることにはびっくりした。主張の如何はおいておいて、こういうあたりお上手である。日本も見習うべきかもしれぬ。

空港鉄道を流れるプロパガンダcm

乗車すること1時間。

弘大入口駅に到着し、朝食に韓国料理を頂こうとしたのだが、街に歩いている人の姿はほとんどない。なんと到着したのは旧正月当日。新年が来たばかりの早朝から開いているお店など、ブラックな日本でも限られているのだから、況んや韓国をや。ちゃんとしたご飯を食べるのは諦める。

さすがはブラックな日本企業。ここ韓国の地においても24時間営業。某セブンイレブンでおにぎりを買って朝食にする。せっかくだからキムチとピリ辛ツナというやつにした。

食べてみたらしっかり辛い。ピリ辛と言ってはいるが、中には丸ごと唐辛子。意地でも「辛い」と言わないと噂のタイ人にしろなんにしろ、辛い物好き民族は辛さに対する表現が不正確である。

旧正月で人がいない街。東京に比べて強烈な寒さに精神を削られる。ソウルにとどまっていてもやることはない。私は北に向かうことにした。


北。

北朝鮮。日本が国家承認していない唯一の国連加盟国である。
国交がなく、在外公館などもないことから、日本政府は北朝鮮への渡航の自粛を要請しており、それなりの覚悟を持たないと入国できない国。

しかし、そんな北朝鮮に合法に入国する方法が一つある。板門店である。

朝鮮戦争の休戦に伴って韓国と北朝鮮の間に置かれた軍事境界線。そのちょうど真上に板門店は存在する。数年前に文在寅と金正恩がその上で握手を交わしていたのは記憶に新しい。

そう、韓国には板門店ツアーなる観光ツアーが存在し、参加すれば板門店の軍事境界線を跨ぐことが可能なのである。

しかし、感染症の影響はここにも影を落としており、残念ながら現在、板門店は閉じている。

そこで申し込んだのがDMZツアー。民間人がDMZ(非武装地帯)に立ち入ることができる唯一の方法である。

申し込んだツアーは臨津閣からDMZに入境し、都羅山展望台や第三トンネルを見学するものだった。

しかし、運の悪いことに出発前日になってツアーの催行中止が決定。ちょうど私が韓国にいる間、韓国軍の要請により中止が決まったそうだ。

韓国軍から要請が来るくらい情勢が逼迫しているのかと思ったが、よく考えてみたらおそらく旧正月だからだろう。もしかしたら、元日にミサイルを発射していたことを踏まえて警戒レベルを上げているのかもしれないが。

ともかく、出鼻をくじかれた私は、民間人が無許可で訪れることができるギリギリを攻めることにする。

目指すはソウルから北西に40km、烏頭山統一展望台である。

Google先生によると旧正月当日も朝10:00から営業。統一を目指す気持ちに休日などないようだ。

弘大入口から2200番の路線バスに乗り(2900ウォン)、맛고을.국립민속박물관で下車する。

昨夜は飛行機で1時間ほど寝ただけだったので、暖房の吹き出し口の下で夢の中へ。

危うく乗り過ごすところだった。運転手のおっちゃんに行き先を伝えておいてよかった。最低限の韓国語しか使えないけどgoodサインは万国共通。
暖かい空調と温かい口調に身も心も温まった。

しかし、着いたは極寒の田舎町。
車は走っているが歩いている人はどこにもいない。乾いた雪がちらつく中、烏頭山展望台までは徒歩でおよそ30分。慌ててリュックからダウンを取り出し中に重ね着。

ど田舎のラブホテル群を抜けると、展望台行きのシャトルバスの発着所に着いた。しかし、シャトルバスの姿はどこにもない。
もしや展望台も旧正月の休暇中か。嫌な想像が頭をめぐる。
しかし、時刻はまだ10時手前。始発がまだだと思って展望台まで残る15分を歩こう。

Naverマップが指し示すのは、この分岐。看板には烏頭山(오두산)の文字。確かに先ほどから数台の車が入っていく。

展望台への分岐


しかし気になるのが白い標識である。

赤文字で「민간인 출입통제구역」と書いてあるのが非常に気になる。韓国語の授業の記憶を呼び覚ましハングルを読んでみると「民間人立入統制区域」と非常に似た音がする。

そして先ほどから携帯に何やら警告が鳴り響く。


スマホに鳴り響く安全警報

まあしかし、少しの怖さはあるものの、本当に統制してるなら韓国語以外でも警告を書くだろう。見張りの軍人の姿も見えない。先ほどから民間人を乗せた車はたくさん入っていく。いきなり射殺されることは流石にないだろう。

怒られたら謝ろう。

スパイにだけ間違えられないよう気をつけながら[どのように?]、展望台までの坂道を上がっていく。

展望台、意外と遠いな。心なしか雪も強さを増してきた。歩くペースが速まっていく。

そのとき後ろから一台のバンが。クラクションを鳴らされる。

まずい、怒られたか。でも撃たれはしなかったな。

私の真横に止まった車の窓が開くと、中には優しそうな顔のおじちゃん。

「Unification?」

と声をかけられる。なんだunificationって。
国連の何かだと勘違いされたか?

展望台に向かっている旨を伝えると、助手席に乗って行けとのありがたいお言葉。

韓国語で「私は日本の大学生です」と自己紹介。距離が縮まるのはいつも現地語での自己紹介から。

おじちゃんは、今通ってきた統一展望台への道が自動車専用で、歩行者用の道路は別にあることを教えてくれた。

よく考えたら今から向かうのは統一展望台って名前だった。「unification?」って統一展望台に行くのかって聞いてくれてたのね。

5分ほど助手席で揺られるとあっという間に展望台に着いた。

ありがとう、おじちゃん。硬い握手をかわす。

展望台は開いていた。よかった。

館内に入ると民族統一を願う展示があった。

南北離散家族の写真や歴代韓国大統領の統一を願う色紙などなど。

展示もなかなか面白いが、ここに来たのは北朝鮮を覗くため。

さあ3階に上がって望遠鏡を覗こう。

しかし雪の影響で靄がかかり、北朝鮮の様子はほとんどわからない、なんとも残念である。

しょうがないので、韓国語に加えて日中英の吹き替え付きの展望台紹介pvを見て晴れ間を待つことにする。

よく晴れた日には金日成史蹟館をはじめ、北朝鮮の建物や、自転車に乗った農民たちをみることができるらしい。

中立地帯の北限と南限の距離は短いところでわずか460m。

ポール・ビーダーマンだったら5分足らずで泳ぎきってしまうような目と鼻の先に北朝鮮は広がっている。

本当に泳いでみようものなら両岸から集中砲火に遭うだろうが。


時間を潰すこと1時間半。雪はまだまだ降っているものの、時おり晴れ間がのぞくようになってきた。私も好機とみて双眼鏡のレンズを覗く。

なるほど北朝鮮が見える。北朝鮮軍の物見やぐらやら田畑やらは肉眼でも一応確認できるくらいにはなった。


漢江の向こうに広がる北朝鮮

さらに、レンズを覗くと一気に増す解像度。
ただの雪原だと思われた真っ白の台地の上には、ボールを追いかけ走る農民たちの姿が。

まあなんと、韓国のプロサッカーリーグ、Kリーグがオフシーズンであることにがっかりしていた私を、サッカーの神様がこんな形で慰めてくれるとは思わなかった。


サッカーをする北朝鮮の人民(写真にするとかなり見辛い)


人民の人民による(私のための)サッカーをしばし堪能し、満足した私は帰途に着くことにした。

さすがに射殺はされるまいかなどと考えていた往路と違って、復路は安心安全の歩行者道路を歩いてバス停までの道を降りていく。歩行者道路の存在を教えてくれてありがとう、行きの車のおじちゃん。

途中、韓国軍の見張り小屋もあった。が軍人の姿は見えず。


韓国軍の見張り小屋、看板には民間人統制との文字が

ふと横をみると軍事境界線のフェンスがある。前回のベトナム旅でも中国との国境のフェンスは少し離れた山の上に見えるだけだったので、厳重に封鎖されたフェンスを目の前に立って眺めるのは初めての体験である。

フェンスには、韓国語、英語、中国語、そして日本語で警告のおどろおどろしい文字が。

曰く、

「この地域は軍事作戦地域につき民間人の出入りや写真撮影が規制されています。不正なアクセスをした場合、または不純分子と誤認された場合は射撃を受けることがあります」

まあ周りに誰もいない道、写真を撮ってもバレることなどないだろうと思ったのはさすがに平和ボケしすぎていたようだ。

フェンスの写真を撮ってからバス停へとまた歩き始めておよそ50m。

後ろから駆け寄ってくる韓国軍人の姿が。
写真の削除を求められる。

不純分子と誤認まではされなかったようで、射殺こそされなかったものの、射殺されても文句は言えなかったわけだし、射殺されないとしても、一歩間違えればスパイ行為などと間違えられ拘束されるリスクなどもあったわけである。もちろん、これらのリスクは写真を撮る前から頭の中にはあったわけで、危険中毒になりかけているなと自戒する。

少し指笛奏者のnoteの読みすぎかもしれぬ。

バス停への徘徊を再開。フェンスの端についている扉をくぐって大通りに出る。行きはここを通らなくてはいけなかったのか、何とも素人泣かせな入り口である。


展望台への歩行者道路入口

気づけばもうお昼時、朝におにぎり二つしか食べていない私の腹はぺこぺこである。朝とは違って数軒のレストランは開き出しているようだ。ここらで昼飯にしよう。

平壌食堂というお店にはかなり心惹かれたが、北朝鮮名物と言ったら冷麺。ベトナム旅でも北朝鮮レストランで食べているし(こう考えるとどんだけ北朝鮮めぐりしてるんだという感じである)、何しろこの極寒である。冷たい麺など食べてはいられない。

選ばれたのは隣のチーズタッカルビのお店でした。

気さくな店主が知ってる日本語をたくさん披露してくれる。さすがは隣国だけある、他の国だったらオハヨウコニチハアリガトくらいで終わる披露がなかなか終わらない。

さらには話に加わった隣のテーブルの二人組、日本語がペラペラだった。

チーズタッカルビに限らず肉料理は二人前からだけど、しょうがないから一人前で出してやるよとの店主の言葉に、一人旅の寂しさ少々とそれを幾分か上回る温かさを感じる。

韓国の中でも行くところも行くところだし、複雑な日韓関係に一抹の不安を感じていたが、今まで出会った人々はみんな優しく迎えてくれる気持ちのいい人ばかりである。やはり会って話して見ないとわからないものはわからない。

しかし、なぜ韓国に、しかもこの街に来たんだとの店主の問いに、北朝鮮を見てみたかったと答えたら、不意に、優しい声色がひりついたトーンに変わった。


「絶対に北朝鮮にだけは入国しようとするなよ。」
「帰れなくなるぞ。」

店主にお礼を言ってバス停に向かう。맛고을.국립민속박물관から今度は7300番バスに揺られること30分。

次の目的地は臨津閣。これまた南北境界線ギリギリの板門店に程近い町である。
DMZツアーに参加できていたら、この街からDMZに鉄道で入るはずであった。

臨津閣に敷かれた線路は北朝鮮までつながっており、モニュメントとなっている駅標には、ソウル53km、開城22kmとの文字が。あの開城工業団地の方がソウルよりも近いのである。


境界線のフェンスを背にする臨津閣駅標

臨津閣には、朝鮮戦争で使われた塹壕、地雷や、運転中に爆撃にあった機関車などが展示されていた。

ここにも慰安婦像があったのには驚いたが。


対戦車地雷
弾痕の残る橋脚
慰安婦像@臨津閣

また、近くにあった国立6・25戦争拉北者記念館には、北朝鮮が南侵してきた際の乱暴狼藉の描写がたくさんあった。人気がなく薄暗い館内で、北朝鮮軍を模した多数の人形が恐怖を催させる。

拉致されたのは韓国人だけにとどまらず。横田めぐみさんはじめ多くの日本人、それに中国や欧米人の名前も展示されていた。


「帰れなくなるぞ。」


今もまだ多くの人々が帰れていない。


世界各国の拉北者


気づけば辺りは薄暗く。


心も体も寒々。ソウルに戻ろう。

ソウルまでは電車と地下鉄で1時間半。最寄駅臨津江임진강の終電はもうまもなく17:45(平日はさらに早いので注意)。


ソウルに着いた頃には辺りは真っ暗。今夜は明洞の健康ランドに投宿。

昨日の部活からノンストップで北朝鮮を見に来た疲れをチムジルバンで癒します。お疲れ様でした。


2日目はソウル市内観光。景福宮や昌徳宮、そして尹錫悦によって一般公開されるようになった旧大統領府の青瓦台など少しお堅めの観光と、サムギョプサルなど韓国料理の堪能と。


青瓦台内部
青瓦台の階段には南北両方収まった地図が


弾丸旅行の割にはだいぶ満喫できたのでは。

ちなみに、烏頭山展望台の近くでスマホに鳴り響いていた警告は、今日は冷えるから路面凍結に注意するようにとの内容でした。なんやねん。


青瓦台への入場レポートがまだあまり出回っていないので、気が向いたら書こうかなと思います。

今回はこの辺で。




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