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授業の合間を縫ってバイク旅 in ハザン・ベトナム

ベトナム・ハノイから北へ。夜行バスに乗ること7時間、今回の舞台は中国との国境付近の地方省ハザン。ベトナム最後の秘境とも称される、少数民族が数多く暮らす省である。ここ1,2年ほどで少しずつ世に知られ出し、欧米のバックパッカーたちは足を運び出しているが、日本人にはまだほとんど知られていないようだ。

本記事について

この記事は、東京大学物理学科学生有志による五月祭企画「Physics Lab.2023」の企画内企画、理物アドベントカレンダーのために執筆したものです。

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旅に行きたい

運動会の部活に所属しているものとして、最大の悩みは、長期の旅にいけないことだろう。我が東大ア式蹴球部では、冬に長期オフがあるものの、不思議なことにそこには授業がある。しかし、考えようによっては、そこには授業しかないのである。そうだ、旅に出よう。与えられた時間は物理学実験の1クール目終了後から翌週の物理学ゼミナールまでの6日間、こうすれば授業に全く穴は開かない(自分調べ)。

旅の始まり

ハノイのMy Dinhバスターミナルでハザンに行きたいと伝えたら詰め込まれた夜行バスはハザン省の省都ハザンに深夜2時着であった。街はすでに寝静まり、動いているのはそこらをうろつく犬と猫、そして時折通るハノイからのバスだけである。ベトナムは暑いものだと思っていたが、気温は摂氏約10度、剰え雨まで降り出した。夜明けまで4時間半、今日の投宿先は瞳孔を細めたネコの隣、小さな商店の軒先である。なかなか寒い夜、地べたに寝転ぶと、冷たいコンクリート固めの地面が体温を奪う、なるほどこれが統計力学でいうところの熱浴というやつか。学ぶべきは物理、いかようにも日常への応用が可能。体と地面の間に「ゼロからスタート ベトナム語」を挟むことで一時のあたたかさを得る。

初日の睡眠場所(赤いパラソルの下)

すこしまどろんでいると、ベトナム笠を被った人々が街の清掃を始めた。気づけば時刻は午前5時半、あちこちで鶏も鳴き出している。さて、私も活動を開始しよう。
今回の目的はハザン市でバイクを借りて、風光明媚なことで知られるハザンの山道をツーリングすること。目指すは片道8時間、ベトナム最北の村、Lung Cuである。そして明日の夜にはハザン市に戻ってきて、ハノイ行きのバスに乗る予定である。一般的には3泊4日かけるコースであるようだが、何しろこの旅のフィナーレを飾るのは帰国当日の2限に入っている物理学ゼミナールであるのだ、ゆったりまわっていると単位がおさらばしてしまう。

さて、日が昇り、人々が活動を始めたので、道端の食堂でベトナム式蒸し春巻き、バインクオンを頂く。ここの人々は英語がほとんど通じない、飛行機で「ゼロからスタート ベトナム語」を速習してきたかいがあった、とはいえ覚えたのは少しの単語と数字だけである、相手が言っていることは何もわからない。しかしジェスチャーは世界共通、おいしいおいしい言っておけばなんら問題ない。

雨中のツーリング

いつのまにか時間が経ち、レンタルバイク屋を見つけて街を出たのは午前10時のことだった。
バイクでハザンをまわるにあたって、問題は二つであった。一つはベトナムで有効な免許をもってい○○こと、そしてもう一つは原付き以外のバイクに乗ったことがないことである。
一つ目に関しては、ベトナムでは免許という概念がゆるゆるであること、もし公安にとめられても、有り金を全てむしり取られるだけで済むようであることからもはや問題ではない(有り金を少なく見せるように、財布を4つほどにわけるリスク管理は怠っていない)。
そして二つ目は、やってみればなんとかなるの精神である。しかし、レンタルしたバイクはシフト操作付きで初心者フレンドリーでないうえ、フロントブレーキがぶっ壊れているというひどい代物だった。まあしかし、なんとかなるだろう。

ともかく、かくして私のハザンループツーリングが始まった。(※ハザンループとは、今回の旅で通るルートの通称、名前の通り、ルートがループ状をしている)

時折飛び出してくる犬や水牛と、5分に1回は出くわす土砂崩れに注意しつつ進む。シフト操作にも慣れてきた。現地では同じバイクを中学生たちも乗り回しているわけだ、もう22歳にもなった私に乗れないわけがなかった。しかし、調子に乗っているとバチがあたるものである。懸念していた雨が降り出した。しょうがないのでレンタルバイク屋でぶんどっておいたビニールカッパを着て耐え忍ぶ。このカッパが優秀で、日本のそこらで売っているビニールポンチョとは違ってかなりの分厚さ、雨だけでなく風まで防げる優れもの。晴れているよりは流石に寒いが雨対策はバッチリと思いきや、しかし、問題は雨そのものではなかった。舗装面の上に積もった土砂が水を含み、調子に乗ってヘアピンカーブにそこそこの速度で突っ込んだバイクは泥にすくわれ、滑りながら転倒した。幸い、信じられないほどの無傷であった。日本から持参した手袋はビリビリに破けていた代わりに掌を守ってくれていたし、ビニールカッパに関しては、破れてすらいなかった。ビニールカッパにさえ、耐え難きを耐え忍び統一に成功したベトナムの強靭さが現れることに感嘆する次第である。

かく、幸運にも無傷にして、早い段階で調子に乗らないことを学んだ私は(結果としてもう一度転倒したのだが)、それまでよりだいぶ安全に注意して旅を進めていくことになる。それからこの日は終日雨が降っていたため、とても一様な景色、すなわち霧で真っ白、を見ることにはなったが、それでも時折雨が止むと見られる地形の美しさは今まで見たことのないものだった。

一様な景色の一例
晴れ間にのぞく豊かな地形

雨が降っていて、景色については期待できなかったので、予定を変更して洞窟に寄り道をしたりしているうちに、日没の時間になってしまった。次の街までなかなか遠かったので、本日はYen Minhという街に泊まることにする。この街はなかなか栄えており、通ってきた村とは違って、信号も街中にあった。泊まるホテルを探すが、一日雨の中を走ってきたので、凍えて死にそうである、ホットシャワーだけは譲れない。今日はドミトリーではなくワンルームに泊まることにした。目についたモーテルで値段交渉、英語で交渉すると250kVNDだという。少し高いので、ベトナム語を交えて交渉すると150kVNDまで一気に落ちた。やはり現地語を覚えておくと役に立つものである。ワンルームとしての相場ならそこまで悪くない。ホットシャワーもついているよう。今夜はここに投宿。

部屋に入るとめちゃめちゃ汚い、南京虫のフンみたいなのが散乱しているベッドだったが、まあ大丈夫だろう、代わりにバスタオルも歯ブラシも付いてきたので、全体的には大満足である。近くで夕食を食べて、明日の予定を立てる。ベトナム最北の村を目指し、折り返して景色を楽しみつつハザン市に向かい、そのまま夜のバスでハノイに向かいたい。今日はなかなかもたついてしまったので、明日はなかなかハイペースで走らないと間に合わない。夕方5時に日が暮れることを考えると、朝の7時には宿を出ないと行けなさそうだ。

しかし、問題は今夜26:00からサッカーW杯の日本対スペインの試合があることである。東京大学運動会ア式蹴球部に属するものとして、リアルタイムで見ないという選択肢はない。なにせ、Abemaは国外から視聴できないことを知って、このためだけにUTokyo VPNを導入したくらいである。現在23:00から3時間、試合が終わって2時間、まあハードだが5時間眠れれば大丈夫でしょう。おやすみなさい。

試合、素晴らしかったですね。

怒涛の二日目

おはようございます。朝10:00です。決勝トーナメントに進出が決定した試合が終了した瞬間に眠れるはずなんてありませんでした。それにしても眠りすぎですが。このまま行くと今夜、暗闇の中1時間ほど山道を走ることになりそうです。よろしくお願いします。

とりあえず最北の村Lung Cuに向かいます。

今日は時折霧雨が降るものの、昨日とは打って変わってかなり良い天気。見える景色が壮大で、とてもいい気分、心なしかバイクのスピードも上がりそうなので、念には念を入れて下り坂ではガンガンエンジンブレーキをかけていく。

途中豚を斧で屠殺していたり、野犬が道のど真ん中で交尾していたりと、日本ではなかなか見られない景色を楽しみつつ、お昼になったので、ちょうど店主と目があった食堂に入る。ここでフォーとベトナムコーヒーをいただく。この店主もベトナム語しか喋れなかったが、カタコトのベトナム語とGoogle翻訳を駆使して、結局1時間くらい話し込んでいた。バイクで冷えているところに焚き火までたいてくれた。Google mapのクチコミで星5をつける代わりに安くしてもらうという、私がこの世でもっとも嫌う行為の一つに数えられるステレスマーケティングに手を出したことは言わないでおこう(実際に星5に値するサービスだったが)。

道端で豚を屠殺

美味しいご飯と暖かい焚き火で英気を養ったあとは、ひたすら走るだけ、Yen Minhから2時間半ほどでLung Cuに到着、ここには巨大なベトナム国旗が掲げられているスポット(フラッグポイント)があり、多くのベトナム人で賑わっている。

Lung Cu Flag Point

昨日の荒天が信じられないほどの晴天で、非常に眺めが素晴らしい。近くの山には中国との国境を示すフェンスがあった、本当にベトナムの最北部まで来たことを実感。

ベトナム-中国国境

しかし、このフラッグポイントは実際には最北ではなく、ここからさらにバイクで30分くらいのところに最北点があるようだ、ここまできたからには行かない手はない。

しかし道がわからない。とりあえず北に向かうと、少数民族しか通らない道に出た。Googleマップを片手に道を探すが、ここに来てモバイルデータ通信が刺さらない。3Gがささらず謎の記号Eしか出ていない(圏外ではない)。困っていると、少数民族の美少女が話しかけてきてくれた。が、ベトナム語なので何言ってるかわからない。その子にGoogle翻訳に入力してもらうと、奇跡的に通信がつながり翻訳された。しかし、出てきた翻訳はまさかの"I love you." なるほどベトナムでは一目惚れされてしまうのか。
流石に誤訳が酷いのでもう一度入れてもらうと「私はあなたとレースをします」とのことだった。なるほど道案内をするからついてこいということだろう。しかし、こういう場合、金をせびってくるのは目に見えている。いくらか聞くとhai(2)だという。交渉してmot(1)で案内してもらうことに。ちなみに2kVNDは約12円なので、12円を6円に値切ったわけである。ベトナムにいるときはわざわざ日本円換算せず、現地の物価で物を考えているから気づかなかったが、日本円に直すとなかなかな交渉をしていたわけだった(ちなみに、ベトナムの農村部の最低賃金は100円ほどらしい)。

彼女のおかげで、もしハンドル操作を誤れば奈落の底に落ちてしまいそうな山道を爆走すること15分、ついにベトナム最北端にたどり着くことができた。

ベトナム最北端

お礼に彼女に1kVNDを払おうとしたところ、彼女は10kVNDだという。そんなの聞いていないというと、彼女は怒って帰ってしまった(最後に握手もしたし、写真も撮ったので、許してくれているはず)。
実際のところ、街でATMに辿り着くまでは、ガソリン代と宿代とを考えると、現金化してある手持ちがなかなか厳しかったので、こんなところで使っている余裕はなかった。

というところで気がついたが、ガソリンである。昨日の夜に給油したから余裕だと考えていたが、いまガソリンメーターを見たところ、給油ランプはすでに点灯、ラストの一目盛の1/10くらいのところにある。よく考えたら、今日はエンジンブレーキをガンガンかけて降り道を下ってきていたのだった。最寄りのガソリンスタンドまでは1時間半、アップダウンが激しい山道である。それに、いつのまにか時刻は15:00、ハザン市まで5時間かかるのに、日暮れはあと2時間と迫っていた。途中でガス欠になったら見るも無惨、10時間くらいかけて暗闇を最寄りの街までバイクを押していかなければいけなさそうだ。

無駄な燃料を使わないよう、空ぶかししないように全集中しながら、下り坂でも一番大きなギアで、なおかつフロントブレーキがイカれているので、リアブレーキに全幅の信頼を置いて、ミスったら即死の山道を走っていく羽目になった。ここでリアブレーキがフェード現象を起こしたら死ぬかもなあと考えつつ(すでにフロントブレーキはいかれていたことに注意)、なるべく山側を走り続けて1時間半、なんとか最寄りのガソリンスタンドにたどり着いた。なんとか無事街に戻ってこれた、安堵の後にどっと疲労が襲ってきた。

しかしながら、まだ問題は残っている。日暮れまであと1時間、ハザン市までの所要時間は日中だと4時間、しかし、夜道だとそこまで速くは走れないだろう。日が出ているうちになるべく距離を稼ぎたい。街での観光もそこそこに(というより全くせず)、すぐにハザン市へ向けて走り出す。

ここから隣町への道路はなかなかに走りやすく、今回の最高速度を記録する。およそ時速70km、これでもなかなか速いと感じたのだが、日本の高速を走るライダーたちの速度、道が整備されているとはいえ、信じられないものである。

日もだいぶ落ちてきた、周りを見ると村人たちも帰宅の時間、多くのバイクの荷台には何か見慣れぬ大きな物体が。よく見るとそれらはみんな豚なのだった。豚、それも生きたままで荷台に縛られ、時おり脚をばたつかせている。時おり通る集落では、その豚を今夜の晩餐へと加工している最中。それにしてもどのバイクにも豚が積まれている、この豚たちは昼間はどこにいたのだろう。豚を横目、前目にそして後ろ目に、ハザンへ向けて私のバイクのスピードも増していく。しかし、日暮れと共に周りのバイクwith豚たちは姿を消していく。ああ無情、日が暮れた時には私のバイクだけが残っていた。

ハザンまで約100km

GoogleマップはベトナムでもGoogleマップだった。もちろん大部分では非常に役に立つこのアプリだが、少なくない頻度で訳のわからないくらい細い道を案内してくるのは日本でも周知の通りであろう。しかし、日本でやられるのと日が暮れたベトナムの山中でやられるのとは話が違う。気がついたら少し進めば滑落と隣り合わせの極細道に案内されていたのであった。

10km戻る。

太い道に戻った頃には完全にあたりは真っ暗で、見える灯りは自分のヘッドランプだけ。時おり土砂崩れで道がなくなっているので、暗くなった今、速くは走れない。明るかった時の1/2くらいのスピードで進む羽目になってしまった。こうなったのも甘美な睡眠に囚われてしまった朝の自分のせい、恨みながら目を凝らして闇の中を進む。とりあえず次の街であったかい夜飯を食べたい。

進めど進めど山の中、5kmおきに数軒の集落があるほかはひたすら山と森である。

すれ違うバイクは20分に1台ほど。全員が地元の村人である。1時間半ほど暗闇を進んだところで、思い出したベトナムの記事「北部では夜は山賊が出る」。ここでももしかしたら出たりするかも。ちょうどその時対向から二人乗りのバイクが、私の顔を見るなり道端に止まった。道の先が見えない恐怖よりも山賊への恐怖が上回り、バイクのスロットルを全開にする。まあそこから次の村まではあっという間であった。

出会い

やっとのことでたどり着いた村、ここで小休憩を入れればハザンまでは50km、暗闇でも2時間くらいだろう、もう少し頑張れば、なんとか夜行バスにも間に合いそうだ。どの食堂に入ろうか迷っていると、ひときわ盛り上がっている食堂を見つけた。ここにしよう。
店に入るなり、外国人が迷い込んできたことに気づいた村人たちは小さな女の子を呼び寄せた。村人たちはみんなベトナム語しか喋れなかったが、この女の子だけは唯一英語がペラペラだった。コミュニケーションには困らない天才ガールの予期せぬ登場であった。
その子によると今日は親戚の誕生日で、親戚一同(大人10人子供8人くらい)で誕生会をしていたのであった。
女の子の名前はサム、なんと御年10歳である。まずは彼女ら子供たちと食卓を囲み、タコさんウインナーとエビをおかずにひたすらご飯を食べた。おいしい。

食べ終わったら今度は大人卓に呼ばれ、飲み会に混ぜられた。彼らはベトナム語しか話せない。しかし、出来上がった人々のなかで言葉など大して重要でない。私が彼らのベトナム語を真似するとその場がどっと湧くので永遠にそれを繰り返していればいいのだ。ベトナム式飲み会は、何か話にオチがつくと、みんなで日本酒的なサムシングのショットを一気飲みするというなかなかハードなものだった。
私が彼らのベトナム語を真似して、それを聞いて彼らが笑い、オチがつくので一気飲みをするというののループである。人々はこれをもってハザンループと称するのである。


ベトナム人との宴会

客人であるということで、私のことを非常にもてなしてくれ、ベトナム随一のご馳走である、Trứng Vịt Lộnをいただくことができた。Trứng Vịt Lộnというのは、孵化しかけの鶏ないしアヒルのゆで卵である。ゆで卵よりは少し硬めで、タンパク質感強めといった風合いであるが、この代物、グロテスクな見た目に反してなかなかに美味しい。ナンプラーをかけて三つもいただいてしまった。

Trung vit lon

宴も酣、数人がタバコを吸い出した。タバコといっても口にくわえる巻きタバコではなく、大きな木製のどでかいパイプを使って吸うタイプだ。私は日本でもタバコを吸ったことがなかったが、せっかくの機会、吸ってみることにした。怪しい薬物である可能性もよぎったが、タバコの葉が入っているパッケージが市販品ぽかったので大丈夫だろうと踏んだ。吸ってみたはいいものの、こちらはタバコ初心者、ベトナム語とジェスチャーでの説明では吸い方がよくわからず、肺に煙が少し入ったところでむせてしまった。吸ってる彼らは、非常に気持ちよさそうに吸うのだが、目のイキ方がまるでアヘン窟であった。

トゥックラオ

後から他のベトナム人に聞いたところ、吸っていたのはトゥックラオというタバコの品種で、初心者が吸うと飛ぶこともあるような代物だったらしく、運よくもしくは運悪く、私はむせてしまったので効かなかったが、相当強いタバコだったらしい。タバコに懲りた私は、子供達とポコペンをしたり、YouTube Shortsに合わせて一緒に踊ったりして、気づけば夜の10時前。会はお開きになった。そんなこんなで、地元民とすっかり仲良くなった私は、お酒も飲んだことであるし、今夜はこの村に泊まることにした。村唯一のゲストハウスに泊まることになった。サムが明日の朝食を一緒に食べたいというので、朝7時に待ち合わせをする約束をする。あっという間に眠りについた。

翌朝、サムと一緒に朝食を食べる。食堂にいる人のほとんどがサムの知り合いで、いろんな人と話すことができた。そして、サムの家やその周りの市場を案内してくれることに。
Do you have pets?と聞かれたので、No, and you?と聞いたら、I have eight chickens.と言われたが、それは果たしてペットというのだろうか。
しかしながら、サムは鶏全てに名前をつけて、全員をちゃんと判別していた。確かにこれはペットなのかもしれない。
サムの家はワンルームの平屋建てで、かなり小さいもの、言葉を選ばずいえば、貧しい家だった。こんな貧しい地方の山村でも英語がペラペラな人材を輩出できるとは、ベトナムの教育が他のアジア諸国に比べて高いレベルにあることも窺い知れた。

サムの家の鶏小屋

昨日あんなに急いでいたのはどこへやら、結局昼までかくれんぼや凧揚げや鬼ごっこをしてサムやその友達、そして鶏たちと遊んでいた。旅には計画変更がつきものである。しかし、流石に今日中にハノイに辿り着かなくてはいけない。名残惜しかったが、ハザンまで帰ることになった。サム、お元気で。
昨日は暗闇だったから長い道のりに感じた50kmも、日がでていればあっという間。14時過ぎにはハノイに戻るバスの中で寛ぐことができていた。

数年後にはもっと知られた観光地になるであろうハザンにこのタイミングでいけたことは幸運だなと思う。このまま無名な秘境として残っていてほしい気持ちがある一方、小さな地方の村にいるサムのような優秀な人材が、観光の発展で報われるようになってほしいとも思う。

ハザン、万歳。

都会に戻って

ハノイに戻った後は、ベトナム戦争関連の博物館を巡ったり、ホーチミン廟を訪れたりと、社会主義国の香りを楽しみつつ、普通に観光をした。

街のほとんど至る所でみられる看板
843式戦車@ベトナム軍事歴史博物館

特記すべきことといえば、北朝鮮の外貨獲得レストラン、通称北レスこと高麗レストランに訪れたことくらいであるが、こちらは、店を訪れたときに北朝鮮の本国のお偉いさんと思われる人が来店しており、店員が全てそこに駆り出されていたので、店員とのコミュニケーションをあまり取れなかったため、話のネタにはならないです。
店内にモランボン楽団のプロパガンダ楽曲が流れていたのは面白かったが、しかし、ただのぼったくりレストランにすぎないのであった。

北朝鮮レストラン@ハノイ

ハノイもなかなか賑やかで楽しい街であったが、やはり、小中と野山を駆けずり回っていた私には、都会よりも農村が性に合うようで。

ぜひ数年内に再訪したいものです。

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