48 思い出すあの頃

ハルキはいつも突然何かに誘ってくる。
「パンケーキを食べに行こう。男一人じゃ入りにくいだろう」
どこか得意げに言ったハルキだったが、フォルクハルトには、何故得意げなのか皆目見当がつかなかった。
「いや別に。食べたかったら一人でも入るが」
フォルクハルトが当たり前のように言うと、ハルキは恐ろしいものを見る顔になる。
「店員がビビるから、やめてあげろ」
「なぜ…?そういえば、あの手の店は一人で入るとたまに怯えた顔で接客してくる店員がいるな」
「あまり男一人で行く客はいないからな…」
「何かマズイのか?」
フォルクハルトに聞かれてハルキは答えに窮する。別に不味くはない。ただの「男が一人で来るわけないだろう」という偏見だ。
「別に不味くはないが…どうせ行くなら誘ってくれ。一緒に行こう」
フォルクハルトはハルキの答えに釈然としなかったが「…わかった」と言った。

パンケーキを食べた帰り道。街路樹の下の低木の前でハルキが立ち止まった。
「お、こんなところに珍しいな」
「何だ?」
ハルキが指差した方を見ると、ドット模様の触角の長い甲虫がいた。
「ゴマダラカミキリだ」
昆虫の名前をさらりと言ったハルキに、フォルクハルトは目を瞬いた。
「虫、詳しいのか?」
「いや、よくいる虫ならわかる程度だ。子供の頃はよく捕まえていた」
ハルキは屈んで虫を観察する。フォルクハルトはハルキの実家を思い返して、あの辺りなら確かに虫もそれなりにいそうだなと思った。ハルキが虫を追いかけてる姿はなんとなく想像もついたが、子供の頃というのがいまいち想像できない。
「ハルキの子供の頃の写真はないのか?」
フォルクハルトの突然の質問にハルキはキョトンとしてフォルクハルトを見た。
「え?親に言えば出てくると思うが。見たいのか?」
フォルクハルトが頷いたので、ハルキは両親に子供の頃の写真データを送ってくれと依頼した。

「うわ…思ったより大量に送ってきたな…」
家に帰り着く頃には、かなりの量のデータが両親から届いており、ハルキはあまりの枚数に少し驚いた。
「見せてくれ」
フォルクハルトが覗き込んできたので、少し気恥ずかしくはあったが、一緒に見始める。
産まれたばかりの赤ちゃんの写真から、少しずつ成長していく姿を順に見ていく。初めての子という事もあって、かなりの量の写真と動画があった。フォルクハルトが黙々と熱心に見ているので、ハルキはなんとなく照れ臭くなった。
「フォルクハルトも子供かわいいとか思うんだな」
なんとなく、そういう事は思わなさそうだと思っていたのでこんなに熱心に見るとは意外だ。
「いや、子供をかわいいと思った事はない。」
「え?」
「ハルキ以外にかわいいという感情を持った事もない。」
真顔で答えたフォルクハルトにハルキは唖然とした。
「…え…猫とか仔犬とか、ウサギとかもか?」
「ない」
ハッキリとさも当然とばかりに言うと、フォルクハルトはハルキの写真に目を戻す。
三歳の七五三の写真を見てフォルクハルトは目を丸くした。
「なんだこれは、天使か」
「いや、大袈裟すぎるだろ」
照れて少し笑ったハルキに真剣な眼差しを向ける。
「ハルキが子供を産んだら、こんな子が産まれてくるのか?」
急に子供の話をされて、ハルキは戸惑った。
「…それはどうだろう。フォルクハルトのも半分混ざるからな」
フォルクハルトは眉間に皺を寄せて写真を見つめる。
「ハルキに似たらいいが、俺に似たらやっぱり無理だな…完全にハルキの遺伝子だけの方がいい」
「私は自分のコピーなら子供なぞいらんぞ」
訳のわからない事を言うフォルクハルトにハルキは呆れた。
小学生の頃になると、さすがに写真の枚数も減ってきた。
「小さいハルキだ。かわいい」
フォルクハルトは、見るたびに「かわいい」ばかり言っているので、ハルキはちょっと面白くなって「んふふ」と笑った。
「これはカワトか?」
「うん。ミドリも可愛いだろ?」
夏祭りに二人で浴衣を着て行った時のものだ。
ハルキの問いかけに、フォルクハルトは首を傾げただけだった。
中学になると入学式や部活の試合など行事の写真がメインになってくる。
「…バスケやってたのか」
「…うん。事故で最後の大会出られなかったんだよな」
少し寂しげなハルキの様子に、フォルクハルトは少し胸が痛んだ。三年の夏以降の写真は卒業式のものだけだった。まだ慣れていない無骨なサイバネアームを隠すようにして撮られた写真は、口元は笑ってはいたものの、目はなんとなく寂しそうだった。
高校も入学式と部活の写真がほとんどだった。
「この頃は、まだ馴染んでないな」
「サイバネが?まあ、リハビリしながら成長に合わせて交換したりしてたしな。あと、まだ、ミドリのじゃないし」
柔道部の大会の写真には男子と女子の両方が写っていた。
「こいつらに寝技かけてたのか?」
フォルクハルトは鼻の頭に皺を寄せ、やや不機嫌な顔になる。
「そうだな」
「…」
すんなり肯定されて、口をへの字に曲げる。恨めしい。
不意にハルキが「あ」と声を漏らした。
「どうした?」
フォルクハルトに聞かれたが、ハルキは「いや…なんでもない」と答えた。
フォルクハルトは声を上げた時のハルキの視線で写真のどこを見ていたか判断する。
「こいつか?」
男子生徒を指すとハルキは明らかに動揺した顔をした。
「こいつと何かあったのか?」
「ないない!…何もなかった…」
ハルキは必死に首を横に振るが、目は泳いでいる。
「その割には動揺しているようだが?」
「いや…フォルクハルトが聞いて楽しい話じゃないし」
フォルクハルトはハルキを疑いの眼差しで睨む。
「なんだその言い方は、むしろ気になるだろ。言え。」
フォルクハルトに凄まれて、ハルキは恥ずかしそうに白状した。
「あ…えと、その…当時好きだった人…」
「…………」
フォルクハルトは想像していなかった答えに愕然とした。考えてみれば、大抵のティーンエイジャーは一つや二つは恋をするものだ。自分になかっただけで、それは割と多数派なのだろうとは思っていた。出会う前のハルキが誰かに恋をしていたとしても、何もおかしくはない。
おかしくはないが、目の前に形をもって現れると、こんなに複雑な気持ちになるものだとは思わなかった。
うまく表情を作れずに試行錯誤しているフォルクハルトにハルキは慌てて付け加える。
「片想いだ!告白とかもしてないし、本当に何も…何もなくて…」
最後は少し残念そうにも聞こえた。
何かあって欲しかったのだろうと思うと、少し妬ましい気持ちになる。
「ハルキが何もしなかったというのは信じられんな」
自分にあれだけ積極的に働きかけていたハルキが、何もしない訳はない。
「高校生だぞ!まだサイバネのことでも悩んでた時期だし、怖くてとても…」
ハルキは否定したが、フォルクハルトはそれでもどうも信じられなかった。
「だが、ハルキなら何かやるだろ」
フォルクハルトに真っ直ぐに見つめられ、ハルキは困り果てた。ため息をついて、頭を振る。
「そりゃまあ、考えたし、告白しようともしたが…男子同士で「あいつはないだろ」と言ってるのを聞いてしまって……結局言い出せなかった」
こんな格好の悪い話は、フォルクハルトにしたくなかった。苦い思い出だ。
「その男どもの目は節穴か?」
フォルクハルトは信じられないといった顔をした後、少し考えて「…いや、節穴でよかったのか。それで今があるとも言える」とぶつぶつと呟いた。
それから、今のハルキを見る。
鍛えられた体躯は彫刻のように均整でありながら、しなやか。対して半身に接合されたサイバネティクスは無駄のない剛健な機能美を備えている。アシンメトリーでありながら、ひとつの個体としての美しさを損なう事なく、ハルキのために設られたものだ。長い睫毛に縁取られた黒い瞳は、トパーズのような虹彩に光を受けてこの室内でも輝きを放っている。眉根を寄せてやや困惑したようにこちらを見ている彼女の頬に、フォルクハルトはそっと手を添えた。
「ハルキは美しい。完璧だ。」
フォルクハルトの色素の薄いグリーンの双眸に熱く見つめられ、ハルキは恥ずかしげに視線を逸らした。
「…もう…」
唇を寄せてきた彼と軽い口付けを交わす。
「フォルクハルトの子供の時の写真はないのか?」
急に自分の話になって、フォルクハルトは少し不機嫌な顔になった。
「家族と絶縁した時に、全部置いてきたからない。だいたいアルベルトと一緒に写ってるから不快だ」
ハルキが少し残念そうな顔をしたので、頭を掻いて少し考える。
「日本に来た時の証明写真ならある。」
18の頃のものだ。端末を操作して当時の写真を表示する。
「うん、まあ、若いな。もっと少年時代のが見たい」
ハルキは少し笑って、難しい要求をする。
フォルクハルトは、またしばらく考え込んだ。手元にはない。インターネット上に上がっている物があるとすれば、あれしかない。
「地元の少年サッカーの大会で優勝した時のなら、探せばあるかもしれない」
確か毎年サッカー大会に優勝したチームの写真を掲載していたはずだ。そんな昔の物が掲載されたままかどうかはわからないが、検索してみる。ハルキが体を寄せて、こちらの端末を覗き込んできた。
少し探してみると、意外な事に20年と少し前の優勝チームの写真が出てきた。
少年達が横に並んで笑顔で写っている。中央で満面の笑みを浮かべる赤毛の少年と、よく似ているが端に立ってカメラとは違う方を見ている少年がいる。
「これだろ?」
ハルキはニヤッと笑って端に立っている少年を指した。
「正解だ」
フォルクハルトが頷く。
「美少年じゃないか。かわいい」
ハルキは嬉しそうに無愛想な少年を見つめる。
「そうか?まあ、アルベルトはモテてたな」
ハルキに言われても、いまいち「かわいい」という言葉が紐づかない。
「サッカーうまかったのか?」
「どうだろう。普通だったと思う」
そもそも、親に言われてアルベルトと一緒に連れて行かれていただけで、あまり興味もなかった。
ハルキは「ふーん」と言って、その写真をしばらくの間愛おしそうに眺めていた。


アルベルト/フォルクハルト10才
ハルキ10才


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