35 アイスクリームとトラウマ

フォルクハルトはダイニングテーブルに頬杖をついて、風呂上がりにニコニコしながらアイスを食べている向かいに座ったハルキを眺めていた。
「ハルキは、アイスだけは拘るよな」
他の食べ物にはさして興味を示さないが、アイスだけは別格らしい。冷蔵庫や棚に入ってる食べ物の中で、フォルクハルトがハルキの分まで食べてしまって怒られたのは風呂上がりのアイスだけで、他の物はなくなっても「仕方ないなあ」で済む。
「アイスは美味しいからな」
至福の瞬間といった様子でアイスを食べるハルキをかわいいなと思いながら、フォルクハルトはふと思い出す。
「でも昔は食べなかったよな?」
言われて、ハルキは手を止めた。
「あ…あー…食べられなかった時期はあるが、よくそんな事覚えてたな」
「ここに入った当初、所長が何かの土産でアイスをくれたのに、「食べられない」と言っていただろう。その時はアレルギーか何かだと思っていたんだが」
そういえば、そんな事もあった。ハルキは思い出して、少し胸が苦しくなった。
「あれは…トラウマだったから…」
「トラウマ?」
ハルキは話すかどうか少し悩んだ。聞いて楽しい話でもない。でも、知っておいて欲しい気もする。そういえば、フォルクハルトにサイバネになった経緯を話していなかったなと気づく。大抵の人は向こうから聞いてくるが、フォルクハルトは一度も聞いてこなかったからだ。サイバネには興味があるが、サイバネになった経緯には興味がないのだろう。こちらから話さなければ、おそらく永遠に聞かれることもなさそうだ。
「子供の時に、アイス買いに行こうって弟を誘ってさ、コンビニに行ったんだ」
ハルキは視線を落としてアイスを見つめながら話し始めた。
「信号待ちでさ、弟と二人で突っ立ってるところにトラックが突っ込んできて、私はこの体になったわけだが…」
言葉が詰まる。どう表現するのがいいのか悩む。
「弟は助からなかった」
どんな顔をしているかとフォルクハルトを見ると、いつもの特に表情のない無愛想な顔だった。真剣に聞いてはいるのだろうが、同情も憐憫もない。ハルキは安心して話を続ける。
「だからさ、私がアイス買いに行こうなんて言わなきゃ弟は生きてたかもしれないし、なんかそれでアイスも食べられなくなってしまって…」
フォルクハルトはここで「よくわからんな」という顔をした。
「で、トラウマは克服したわけだ。よかったな」
「え?うん…まあ…そうだが」
話を打ち切られて、ハルキは戸惑ってしまった。
「早く食べないと溶けるぞ」
言われて、「そちらを気にした訳か」と納得する。
「…そうだな」
とりあえずアイスを食べる。
「今もまだ責任を感じてるのか?」
馬鹿げた事だとでも言いたげなフォルクハルトに、ハルキは少し笑って首を横に振る。
「フォルクハルトのおかげだ」
「俺の?」
ハルキはフォルクハルトの額の傷に触れる。
「あの時に、フォルクハルトが言ってくれた事に救われた」
フォルクハルトは何か言っただろうかと記憶をたどったが、特に何も思い出せなかった。
「思い出せんな。ハルキがやたら自分のせいだと言うのに腹が立ったのは覚えているが…」
「そうだろうな。フォルクハルトにとっては当たり前のことだっただろうし。」
ハルキは静かに、あの時を思い出す。

アルゴスを神の遣いであると崇拝してる新興宗教があるのは知っていたし、たまに街で「人類はアルゴスに滅ぼされるべきだ」と喧伝している姿も見た事はあった。
当然、アルゴスの駆除を生業としている業者は憎まれていたし、たまに妨害される事があるとは聞いていた。実際に妨害されたのは、その時が初めてで、まさか刃物を持ってこちらに襲いかかってくるとは思ってもいなかった。だから、反応が遅れた。
ハルキがアルゴスを狙っている所に、避難を終えていないはずの一般人が襲いかかってきた。一瞬早く気付いたフォルクハルトが間に入る。
「撃て!」
一瞬の逡巡ののちハルキはアルゴスにとどめをさした。
フォルクハルトは警棒で対応したが、防ぎきれず額を切られたようだった。警棒でナイフを弾いて、相手をねじ伏せる。
「クソが!人間は拘束しなきゃいけねえのが面倒だな」
悪態を吐きながら制圧したフォルクハルトの額からは血が流れていた。
(私のせいだ)
ハルキの心はトラックが突っ込んできたあの瞬間に戻っていた。
「この程度で狼狽えるな!クリアリング!」
フォルクハルトの声で我に帰り、周囲を警戒して見渡す。
フォルクハルトは血に濡れた右目を閉じていて視界が狭い。自分が安全を確保しなければならない。
「クリア!」
「警察に通報してくれ。こいつを連れてって貰わんとな」
警察への通報と、事務所への報告を終えたハルキはオロオロするばかりだった。
「止血すれば問題ない。視力にも影響しない。」
「でも…私が気づかなかったから…」
「違う。勝手に責任の所在を変えるな。お前は自分の仕事をキッチリこなした。防ぎきれずに傷を負ったのは、俺の問題だ。俺の責任範疇のものを勝手に奪うな」
オフィスに戻って医療班による治療中もハルキは泣きそうな顔で「私のせいだ」と繰り返しフォルクハルトに謝っていた。
「あの状況では、俺が多少傷を負ってもハルキが動いてアルゴスを仕留めるのが最適解だっただけだ。そもそも、怪我を負ったのは防ぎきれなかった俺のミスだ、そんな事を気に病むな。バカバカしい。」
ハルキを気遣った訳でもなく、フォルクハルトはそのままその意味で言っていた。仕舞いには
「しつこいぞ!それはお前の傲りだ。幼稚な万能感だ。俺の範疇に首を突っ込むなと言っている!」と怒られて、ハルキは呆然とした。
幼稚な万能感。
その言葉は、ハルキの心に引っかかって、真ん中に居座った。ハルキは心の中でその言葉を繰り返した。何日も何度も何度も繰り返した。
そうだ。ずっと、私のせいだと思っていた。私が「アイスを買いに行こう」と言わなければ、私が信号待ちの時に注意していれば、私が弟を守ってあげられれば、弟は死ななくて済んだかもしれないのに。と。まだ15だった私に出来たことなんて、たかが知れていた。できる訳のない事を、「できたはずだ」と思い込み自分で背負い込んでいた。
私も弟も事故に巻き込まれただけだ。あの時にできたことなんて無かった。ただの無力な子供だった。何とかできたはずだと思いたかっただけだ。
自分の無力さを受け入れると、ずっと抱えていた重荷を手放すことができた。これは、私の荷物ではない。
私は、私を責めなくていい。

「ありがとう」
ハルキがそう言うと、フォルクハルトは怪訝な顔をした。
「意味がわからん」
ハルキは小さく笑った。同情も憐憫もなく、愛想もない。そんな男だからこそ、馬鹿馬鹿しいと一蹴してくれた。誰よりも真っ直ぐに私を見てくれた。
「愛してる」
強いとか、惚れ惚れする筋肉だとか、笑顔が可愛いとか、そんなのは全部後付けの理由だ。
「ん?うん」
フォルクハルトは少し照れたように視線を逸らすと、ただ頷いた。
愛想がないので、こんな時も「俺も」などとは言わない。愛してくれたら嬉しいなとは思うが、愛して欲しいとは思わない。傍にいてくれれば十分だ。その上、こちらの気持ちを受け入れてくれている。十分過ぎるほどだ。
だからこの男は━━フォルクハルトは最っっっっっ高なのだ。

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