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無理を”する”ということ

無理を”する”とは

人は何かをしている呼吸や、ピントを合わせたり、姿勢を保ったり、椅子に座って、皮膚と椅子が触れ合っていると感じていたり、光が暗いとか明るいとか感じたり。

他にも紙ストローはザラザラしていると感じていたものが、いつの間にか愛着が湧いていたり、「あいつ、友達に似ているなー」とか思ったり、些細なことで被害妄想を抱いたり、少しのミスで皮膚から血が出たり。

まぁ様々だ。これらの行為はどこでしているのか?それはスターバックスだ。変に略さないあたり意識高いのか?わからないけど、スターバックスの呼び方がスタバよりしっくり来ただけの話だ。文字数の短さなんか関係ないのかもしれない。

話は脱線するが、スターバックスに最も合わない言葉は「納豆巻」だと思う。異論は認めない。

スターバックスにはネバネバしたイメージが合わない。もっとサラサラしていて食物繊維を定期的に摂取している胃の中みたいだ。

だが、そもそも納豆巻という言葉が合う状況や場所は限られるんじゃないか。と思ってきた。スターバックスに合わない言葉という言葉で、何にでも合わなそうな納豆巻が出てきたということは、逆に納豆巻とスターバックスは親和性があるのではないか。

とまぁ、そんなことは置いておいて。みなさんは無理、しているだろうか。

無理を”する”というのは表現としてあっているのだろうか。一度立ち止まるのは大事だ。無理という言葉がよく使われるシチュエーションを思い出してみよう。

「そんなの無理だよ」

「やべー無理すぎー」

「無理やりすぎるだろ!笑」

「無理ゲー」

無理という言葉は概ね「キャパシティを超えていますよ」という意味があるっぽいな。なるほど。

では無理を”する”はできるのだろうか。無理は”させられる”ものではないか。

夢を追いかけること

夢を追いかけるとき、人は無理だといわれる。例えばテレビに出て億万長者になるとか、プロ〇〇になるとか。

これは意味が少し違うのかもしれない。先程で言えば、「キャパシティを超えていますよ」だったが、むしろ違うのかもしれない。

キャパシティも超えているが、そもそもそんなキャパシティないでしょという意味が込められている。その地位にふさわしい体力、精神が搭載されていないよねという。

自分には、無理

自分にとって無理なことがあると思う。

例えば、僕は道を覚えることがとても苦手だ。いき慣れた場所でも少し違う場所から入ろうとすればすぐに別の場所に行ってしまう。

では、これに対して無理を”する”というのは何なのだろうか。

一回で覚えようとする?んーーそもそもこれ自体考えることが無理すぎてまともに頭に浮かばない。

これは自分の適性によって無理をさせられているんだ。だって道は無理だ。多少努力すればできるかもしれないが、無意識に覚えられる人に敵うはずがない。

だからといって「うわー!めちゃくちゃそれ道覚えられる能力欲しい!」ともならない。

大体僕の車に乗る人は道がわかる人だし、一人ならGoogle先生にお世話になればよいだけの話だ。これで僕の道苦手は大した問題にならなくて住むのである。めでたしめでたし。

絶望

でも、どうにもならない無理もあるのかもしれない。

具体的に書くのはここでは伏せる。でも、どうやっても無理な部分はあるだろう。何かで代替できないことが。そんなことが絶望を生む。俺はできるはずだと、期待したのにできない、なんでできないのかと。

絶望のその先と見据える高み

ただ、その絶望も意外となくなるかもしれない。

その方法は公式LINEまで!とかいうことはしない。安心してくれ。

見据える高み

人は○○○

このライムがわかったら分かることだ(ヒント:FORK)。

つまり、人と話すんだ。

僕の絶望は相手にとっては何も感じない。感じたとしても、光の明るい暗い程度のことかもしれない。

話して刺されて、そして割と絶望して割と前を向いて自分の無意識を掘り起こしてもらう。これが良いかもしれない。無理は、しなくてもよい。

本当にできる、無理

無理できるのは無理じゃない領域だからだ。根本が無理なら枝葉も無理だ。

根本がいいなら枝葉に多少無理させれる。少し炎で燃やしてみたり、水をずっとかけてみたり。方法はいろいろだが、根がしっかりしていると枝葉が死んでもあまり影響はない。むしろそれを見ている他の枝葉がいい感じに成長してくれる。

自分で自分を見る

自分で自分を評価すること、これが最近のテーマだ。

これを読んだ人は「また他者評価から逃げて、何か言ってるよ」って思っただろ?俺は知っている。

仮説だが、僕は何もない人間なのでは?という問が上がってきた。

あくまでも今までの自分は軸が他人にあった。あの人はどう思うか、そこの友人はどう思うか、それをしたら、その人はついてこなくなるんじゃないか。

だから僕はファッションに興味があった。だってかっこいい服を着れば自分もかっこよくなった気がした。かっこいい音楽を聴けば自分もかっこよくなると思ってた、なんだか”あえて”なことをすればかっこよくなると思ってた。

でもどれも違う。自分は自分だ。なにがあろうとそこにいる自分は変わらない。何一つ。

自分自身の感性とはなにか?と本当に思う。大体、最初からオリジナルな人間なんかいなくて、誰かのパクリから大きくなっていく。

そもそも僕はパクれてもいなかったものか。わからないが。

なんだ伸びしろありすぎてウケるー!ですよね!

まだまだ土壌耕されていないんだ。

自分のやったことが結果的に人に認められればいいってかっこいいことは言えないけども。暗いトンネルどうなってるんだろうな〜。

このnoteは無理を”して”書きました。ここまでで2300文字くらい書いてるんだぜ?えらいだろ

普段なら多分これ、書きもせずに本読んでいたところだ。たまにの無理も本当に良い旅ができる。

無理は容量・用法を正しく守って。

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