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天国 (ショートショート)

やけに日差しが強い日の午後、私は少し遅めの休憩をもらっていた。

六畳一間にテレビが一台。

休憩室と呼ぶには少々立派さに欠けるが、それでも小休憩を取るには申し分なかった。

ドアを開けると重く気怠げな空気が顔をつき抜きた。

『全く、この澱みがなければ快適なのだが…』

飯の入ったビニール袋を畳に広げ、冷たくなりかけていた弁当のビニールを剥がした。

『・・・あまりに静かだ。』

騒がしいのは好きではないが、静かすぎるのもなんだか気が立ってしまう。

私はほぼ無意識にテレビの電源を付けた。

『ーー調査で、ーーが地球の底に存在する事が判明しました。今、世界各国が総出で掘削を進めています。』

テレビではなんらかのニュースが放映されていた。

どうやら、何か物凄いものが存在することが判明したらしい。そしてそれが地下にあると。

リーマンとして働く私には縁が無いと思いつつ、ここで聞くのを止める後味の悪さを天秤に掛けた挙句、ゴマのついた俵のご飯を頬張りながら続きを聞いた。

『現在、深さ1万2262mに到達しました。見てください!!予想以上に地熱が高く掘削機が溶けてしまっています。これ以降の掘削はより耐熱性の高い素材に切り替える必要があるとのことです。ーー果たして、“天国”は見つかるのでしょうか。』

『天国だって!?』

期待と結果のあまりの落差に私は思わず声を荒げてしまった。

馬鹿馬鹿しいにも程がある。まだ沈没船の財宝の在処や埋蔵金の在処が判明したという方が現実的でロマンがある。

遥か上空、一定条件のもとある領域に存在する。であれば多少は頷けるが、ましてや地底にあるとは。

“天”とついているのはどういうことなのか、全く、考えてみてほしいものだ。

仮に天国が地底に存在するとして、地獄はどこにあるのだろう。

地獄が上空にあるとしたら大変なことになる。本当にそうだとしたら、太古の時代から現在まで、豊作、必勝、極楽浄土、あらゆる願いを天に捧げてきた我々人類の行為とは一体なんだったのか。地獄に向けて祈りを送っていたなんて分かったら、どんな聖人君子でさえも堪らず卒倒することだろう。

結果的に後味が悪くなってしまった。

次第に嫌気が込み上げてきたので、テレビの電源を切り、僅かに残っていた烏龍茶を飲み干し部屋を出た。

その日の仕事はあまり集中できなかったのを覚えている。

ただ、そんな出来事でさえも2.3日経ってしまえば記憶の隅に追いやられる。今は非現実的な話より、近々行われる商談の方が私にとっては重要なのだ。

少年の頃であれば、1ヶ月くらいは自分の中で最高の話題であり、ことの顛末を固唾を飲んで見守っていたことだろう。

今は違う。確かな未来こそ目指す価値がある。本件を必ず成功させて私は出世への扉を開かねばならない。

綿密に準備をしたから、成功はほぼ間違いないと言っても良いだろう。プレゼンの練習も終電ギリギリまで行ってきた。何を話せば良いか、心地良い間はどれくらいか、相手との握手を交わす姿が手にとるように想像できた。

もはや祈るまでもない。天にあろうと、万一"底"にあろうとも…



・・・やってしまった!!

まさか資料にミスがあったなんて!このまま発表していたらどうなっていたか・・・考えただけで恐ろしくて堪らない。

しかし自分はツイている。いや、堅実に現実と向き合ってきた結果だろう。何せ商談前に気づくことができたのだから。明日朝一番が商談なので、今から直せばギリギリ間に合う。

同僚は気にするほどの誤りでは無いと言うが、そんなことは聞く耳を持たなかった。もしこの小さなミスが失敗を招いたら、誰が責任を取ってくれるのか。お前はしらを切るつもりであろう。勿論、この際責任を取るのは私である。


『完成した!!』

見直しも済み満足のいく出来になった頃には、外が赤や黄色を帯び始めていた。

この上ない達成感を味わうとともに、強烈な睡魔に襲われた。

『まだ少し時間がある。目覚ましをかけて少し眠るとしよう』




『ーーはっ!』

えも言われぬ恐怖を感じ、ベッドから飛び起きた。

時計に目を向けると、針は予想以上に過ぎていた。

『電池を取り替えたばかりなのに!!クソ!!』

もはや目覚ましすら信じられない。取り敢えず今は早急に自分の足で会社に向かうことだけを考えなければ。

最低限の身だしなみを整え家を出る。鍵を掛けるのすら惜しまれる。今はそんなことすらしている時間はない。

『良かった。ギリギリ間に合うぞ』

今までやってきたことが功を奏したのか、なんとか間に合いそうだ。

胸を撫で下ろし、早くなる鼓動を抑えつつ曲がり角を曲がる。

”ここを進めば到着だ。ーー"


”?!”

ーー不意に視界が暗くなった。

今思えば周りをよく見るべきだったと思う。腕時計だけ見て歩いていたから、道路脇にある“工事中”の看板にすら気づかなかったのだ。

どうやら私はマンホールに落ちたらしい。

一層暗さを増す空間で、腕時計の光だけが仄かに光っていた。

商談の時間はとっくに過ぎてしまっていた。

マンホールとしてはやけに長く落ち続けている。まさか、この穴には終わりが無いのだろうか・・・

電池切れか、腕時計の光も段々に弱くなってくる。それとは対照的に私の意識は鋭敏になっていく。

言い表せない恐怖が体全体を包み込んだとき、私は願わざるを得なかった。


『あぁ!!どうか天国であってくれ!!』

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