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テクノロジーは社会にとって脅威か福音かという議論が再燃している 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.778


特集 テクノロジーは社会にとって脅威か福音かという議論が再燃している〜〜〜「テクノオプティミスト宣言」を読み解く(1)


インターネット初期を経験した人ならだれもが知っている往年のウェブブラウザ「ネットスケープ・ナビゲーター」。これを開発したことで知られ、現在はシリコンバレーの最も著名なベンチャーキャピタル「アンドリーセン・ホロウィッツ(a16z)」の共同創業者であるマーク・アンドリーセン。彼の言動はつねに大きな注目を集めますが、先週の10月16日に「テクノオプティミスト宣言」という記事をa16zのブログで発表しました。「テクノロジー楽観主義者」という、かなり物議を醸しそうな内容です。



文書は「嘘」と「真実」という、何やら陰謀論的なにおいのする見出しから始まります。「嘘」は次のようなものだとか。


「テクノロジーは私たちの仕事を奪い、賃金を下げ、不平等を拡大し、健康を脅かし、環境を破壊し、社会を劣化させ、子供たちを堕落させ、人間性を損ない、未来を脅かし、すべてを破滅させようとしていると言われる」


そして「私たちは騙されている」と言います。まさに陰謀論的な書き出しですが、「真実」は、テクノロジーこそが文明を推進してきたのだとアンドリーセンは言います。


「私たちの文明はテクノロジーの上に成り立っている。テクノロジーは人間の野心がもたらした栄光と達成であり、進歩の現れであり、ポテンシャルの実現である」


「私たちは、今よりもはるかに優れた生活へと、優れた存在へと進んでいくことができる。そのためのツールもシステムもアイデアも持っている。私たちには意思もある。いま一度、テクノロジーの旗を揚げるべき時に来ているのだ。今こそテクノオプティミストになる時なのだ」


ではアンドリーセンは、テクノオプティミストをどのように定義しているのでしょうか。経済成長こそが重要であると考える人がテクノオプティミストである、と明確に言い放っています。「経済成長は万能ではないが、成長が欠如するのは致命的である」と。成長せず停滞することは、ゼロサム思考に陥り、最終的には内部抗争や劣化につながるものであるというのですね。


「脱成長論」などがまさにそうですが、成長できなければパイは増えず、限られたパイを皆で奪いあうしかないというゼロサム思考に陥りがちであるというのは、本当にその通りだと思います。そしてアンドリーセンは、成長するためには「人口増加」「天然資源」「テクノロジー」のどれかが必要だが、先進国では人口減が進んでおり、天然資源にも限りがある。だから今後も経済成長を力強く牽引していくためには、テクノロジーに頼るしかないのだと指摘します。


「私たちは飢餓の問題を抱えていたので、緑の革命を発明した」

「私たちは暗闇の問題を抱えていたので、電気照明を発明した」

「私たちは寒さに困っていたので、室内暖房を発明した」

「暑さを克服するため、私たちはエアコンを発明した」

「私たちは孤立という問題を抱えていたので、インターネットを発明した」

「私たちはパンデミックの問題を抱えていたので、ワクチンを発明した」


多くの社会問題は、テクノロジーの進化で解決できるというのはたしかにその通りでしょう。現代の世界にも貧困や格差はありますが、少なくとも電化され物流が進んでいる地域では、中世には王侯貴族にしかできなかったような生活を貧困層でも享受できているのは間違いありません。


日本のメディアでは、社会を改善するためにと称して「悪さをした人、ミスをした人の責任を問う」という報道手法が良く採られますが、悪人を成敗すれば社会がよくなるというのは非常に短絡的な思考です。実際にはそれで社会が良くなることなどほとんどない。なぜなら悪人を成敗しただけでは、その悪人が登場してきた社会背景まで踏み込めないからです。


ドナルド・トランプ元大統領はたいへん良くない政治家だとわたしも思いますが、トランプを批判し大統領職から追い落としただけでは、アメリカ社会は良くはなりません。トランプ大統領が誕生した背景にある白人貧困層の問題がまったく解決していないからです。


だから社会問題を根本的に解決するためには、その土台を変える必要がある。そのためにテクノロジーは非常に強力なツールです。


アメリカの法学者ローレンス・レッシグが2000年に書いた『CODE インターネットの合法・違法・プライバシー』(山形浩生・柏木亮二訳、翔泳社。邦訳は2001年)という本があります。


この本では、タバコをどうやめさせるかという話を例にして、人々の行動を規制するものには「法」「社会の規範」「市場」「アーキテクチャー(構造)」という四つの制約があると指摘しています。


まずタバコには、「未成年が吸ってはいけない」「指定された公共の場所では吸ってはならない」という「法」による制約があります。しかしアメリカ人はこうした法の制約よりも、「他人の車に乗っているときはタバコは吸うべきではない」「食事中はタバコを吸ってはならない」といった「社会の規範」による制約を受けることの方が多いそうです。


またタバコには、値段という「市場」の制約もあります。値段が上がれば吸えなくなる人が出てくるし、逆に種類を増やすなどして選択肢を増やせば、制約は減ります。


たばこのテクノロジーによる制約があります。ニコチンの多いタバコは中毒性が強いから制約が大きくなるし、においのきついタバコは吸える場所が限られているから制約が大きい。逆に無煙タバコは吸える場所が多いので、制約が減ることになります。たばこの作られかたや設計など、つまり「アーキテクチャー」が制約を大きく変えることになるわけです。


レッシグは他にもいくつかの例を挙げていて、たとえばカーステレオの盗難問題。カーステレオが盗まれないようにするための方策として、法を厳しくするという方法があるでしょう。カーステレオ盗難は終身刑、ということにすれば泥棒は減るかもしれません。しかしそこまで極端なことをしなくとも、アーキテクチャーを変更することで盗難を防止することも可能です。たとえば特定のカーステレオは特定の車でしか使えなくするようなセキュリティを施せば、盗む意味がなくなって泥棒は減る可能性があります。


つまり法や市場原理、モラルといった伝統的な制約だけでなく、ソフトウェアやシステムなどのアーキテクチャーによっても人々の行動を制約し、規制することは可能なのだというのが、レッシグの主張です。社会の改善には、テクノロジーがとても有効なのです。


とはいえ、アーキテクチャーによる制限は人々に認識されにくく、不可視化されやすいということも留意しておく必要があります。規範や法という目に見えるかたちで支配する権力ではなく、環境を変えることによって支配する「環境管理型権力」という用語があります。ウィキペディアから説明を引くと、「相手を従わせるのではなく、相手が自ら望む行動を取ることが、社会にとっても優れている行動になるように、人間を創り変えることで、誰もが支配されているとは思わず、皆、自ら楽しんで生きていると思いながら、その実は権力に全て操作された人々として、人々が生きる社会」。


これは進化し普及するAIについても大きな課題となっています。たとえばSNSで配信される情報は、FacebookやTwitterでは「人から人へ」でした。フォロー/フォロワーという関係があり、フォローされている人からフォロワーへと情報が流れていく。誰をフォローするのかはユーザーに任されているので、自律的に情報の流れをユーザーはコントロールできます。


しかしTikTokや最近のTwitterでは、フォロー/フォロワー関係で情報を流すことよりも、AIによって情報の流れを最適化することが優先されています。「あなたが読みたい・見たいと思っている情報はこれでしょ?」とAIがあなたの好みや視聴動向を解析してプッシュしてくれる。たしかに自分好みの情報が流れてきて気持ちは良いのですが、どのようなアルゴリズムで選択が決められているのかはユーザーの側は知るよしもありません。


これを「監視資本主義だ!けしからん」ととるか、それとも「AIが自分を理解してくれているんだから良いじゃん」と好意的にとるかは、その人次第でしょう。前者の人が多くなればテクノロジーには歯止めがかけられる可能性が高いし、後者が大多数になればテクノロジーはさらに加速する。そしてこの加速は、人間社会そのもののありようを変えていく可能性もあります。

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