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オウム真理教事件の取材で考えた「なぜ人は宗教にはまるのか」問題 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.793


特集 オウム真理教事件の取材で考えた「なぜ人は宗教にはまるのか」問題〜〜〜宗教と社会の関係を考える(1)



宗教と社会の関わり合いという、かなり難しい問題について論考しましょう。なお事前に伝えておくと、わたし自身は既存の宗教を信仰はしておらず、宗教団体にも所属していません。とはいえ、長く登山を続けてきた体験もあって、「あらゆる自然に神は宿っている」というような日本的な素朴な信仰心は持っています。


わたしが「宗教とは何か。なぜ人は宗教に帰依するのか」という問題に関心を持ったきっかけは、1995年のオウム真理教事件でした。当時の私は毎日新聞東京社会部記者で、警視庁記者クラブに所属し、殺人や強盗、テロなどを担当する捜査一課担当としてオウム事件を追っていました。この事件の最中、オウム真理教という教団に対して日本社会がどれほどまでに震え上がったのかは、同時代の人でないとなかなか理解できないかもしれません。


前年の夏に松本サリン事件が起きて、どうもオウム真理教が関与しているのではないかという情報が警察からマスコミへと流れ、1995年は読売新聞の「オウムの本拠地のある山梨県上九一色村で、警察がサリンを検出」という驚異的な元旦スクープで幕を開けました。そして3月20日月曜日の朝、地下鉄サリン事件が勃発。


実はこの事件の直前、警視庁は秘密裏にオウム教団への強制捜査の準備を進めていました。早ければ21日か22日にも着手という極秘情報がマスコミの一部にも流れていたのです。この情報が教団側に漏れ、それが地下鉄サリン事件勃発の引き金になったとも言われています。


いずれにせよ地下鉄サリン事件で、日本社会は恐怖の底へと叩きつけられました。まだ教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫、2018年に死刑執行)をはじめ事件の実行犯などが逮捕されていない段階で、大量の武器を保有していたことなどが報じられ、次のテロを引き起こすのではないかといった不安が渦巻いていたのです。


地下鉄サリン事件の一週間後には、教団がロシア発でラジオ番組を放送し、「さあ一緒に救済計画を行おう。そして悔いのない死を迎えようではないか」と潜伏中の麻原彰晃が呼びかけました。変に雑音の混じった恐ろしい音声に、これは日本社会への宣戦布告ではないかと人々は震撼したのです。


この不安と狂気の日々は、5月に麻原が逮捕されるまで2か月近くも続きました。上九一色村の教団施設の隠し部屋にいるところを警察に見つかったのですが、多額の現金が入った袋を抱えて寝袋にもぐり込み、連行しようとした警察官に「重くてすみません……」などと発言したと報じられ、「なんだ、普通の男だったんじゃないか」とようやく日本人は肩をなで下ろしたのです。


わたしにも恐怖に満ちた体験がありました。それは地下鉄サリン事件が起きた3月20日の前夜のことです。


警察の強制捜査が迫っている状況の中で、上司から「オウムにサツの情報が漏れてるって話もある。佐々木、ちょっと様子をうかがってこい。何か変な動きがあったらすぐに連絡くれ」と命じられ、ハイヤーに乗り込んで南青山にあった教団の東京総本部を目指したのです。青山といっても、オウム総本部のある常陸宮邸前のあたりはお店も少なく静かな住宅街で、夜になれば人通りもほとんどありません。その中で煌々と光を灯しているオウム総本部に近づいていくと、驚くべきことにただならぬ事態が起きていました。建物から煙が上がり、白い服を着た信者たちが騒いでいたのです。


どうして良いかわからず、とりあえずハイヤーを横付けしてはまずいだろうと判断し、運転手さんに遠くに駐めて待っているように頼み、少し離れた場所で下車し、ネクタイを外して歩きながら総本部に近寄ってみました。信者のひとりに「何があったんですか?」と聞いてみると、「火炎ビンみたいなものが投げ込まれて……」と。これはたいへんなできごとだ、とさらに取材しようとすると「あんた、何者?」と不審がられ、気がつけば信者たちに取り囲まれて、施設内に連れ込まれそうになっていたのです。


まだ教団の実態や内部事情などまだ何もわかっていない段階です。連れ込まれていったい何をされるのか想像するだに恐ろしく、思わず信者のひとりを突き飛ばして輪から逃れ、そのまま全速力で走りました。運動不足の新聞記者にはきついランニングでしたが、ハアハア言いながら青山トンネルまで来たところで後ろを振り返り、誰も追いかけていないのを確認し、地面に倒れ込むように脱力したのを覚えています。


いま思えば信者の人々にとっても迷惑で気持ち悪い余所者だったと思いますが、あの当時はそんなことに思いを至らせる余裕さえありませんでした。なお教団総本部から上がっていた白煙は、その後の警察の捜査で教団の自作自演だったことが判明しています。捜査を攪乱するため、陸自隊員だったオウム信者が井上嘉浩(地下鉄サリン事件実行犯、2018年に死刑執行)に命じられて火炎ビンを投擲していたのです。


このようなオウム教団の恐ろしいイメージは、しかしその後の取材を経る中でわたしの中でどんどん変化していきます。在家信者を中心に多くのオウム信者を取材していくと、彼らは決して不気味で恐ろしい人たちなどではなかったからです。不気味どころか、どちらかといえば誠実で真面目で、信仰心がただ篤いだけの人たちという印象だったのです。


これは私が取材した在家信者のみならず、凶悪事件に連座しその後逮捕された出家信者たちも同様だったようです。彼らに接触することは事件の渦中では不可能でしたが、私は警察担当の事件記者として、殺人などの容疑で逮捕された信者たちを尋問した刑事たちの何人かからひそかにその様子を聴くことができました。刑事たちは一様に「あいつらは本当にいい奴だ。真面目な奴ばかりだ」と口にしたのです。


たとえば実行犯のひとりの林泰男(2018年に死刑執行)。彼の人間像はいくつもの記事になっており、ウィキペディアの「林泰男」の項目には以下のような記述があります。


「オウムへの忠誠心が厚くダーティーワークを厭わずに実行する『殺人マシーン』との認識が一般に広まった。だが(中略)井上嘉浩は『実行メンバーの中でもっとも人間的で優しい人なのでいやがることを引き受けた』と語り、他の実行犯も『みんながいやがる仕事を引き受けるのが彼だった』と口を揃えた」「逃亡中、自らが殺害した犠牲者の祷りのために小さな位牌を常に持ち歩いていたという」


林泰男については、刑事からこんな話を聞いたこともあります。彼は教団が付き添わせた女性信者と逃亡生活を続けていましたが、事件翌年の1996年暮れに沖縄・石垣島に姿を現し、逮捕されました。なぜ危険な航空便をつかって石垣にまで行ったのか? そう問うた刑事に対して、林はこう述べたそうです。「ずっと一緒に逃げてくれたあの女に、最後にオレが大好きな石垣島の真っ青な空を見せてやりたかったんです」


さて、ここまで書いてきたところで誤解を解いておきたいのですが、わたしはオウムの凶悪犯にも人間の心があったとか、彼らが凶悪事件に手を染めたのは社会のせいだとか、良くありがちなステレオタイプな論を展開したいのではありません。昨今は安倍元首相暗殺事件でも見られたように、テロ犯を物語として描き、結果として神格化してしまうような風潮が横行し、これはきわめて危険であるとわたしが考えていることは念を押しておきたいと思います。

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