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近代と現代で、書籍のテクノロジー変化は何が異なるのか?という視点 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.722

特集 近代と現代で、書籍のテクノロジー変化は何が異なるのか?という視点

〜〜〜世界観を「四次元化」していくという考え方(7)


今年出したわたしの新著『読む力 最新スキル大全』を補足し、どのようにして世界観を構築していくのかを深掘りしていくシリーズの第7回です。


これまで、情報の「三次元化」と「四次元化」を説明してきました。あるテーマについて単一の視点だけでなく、さまざまな視点で見ることによって立体的なイメージが描けるようになる。これが三次元化。さらに加えて過去の経緯などを学ぶことで、さらに立体はふくらみをもった「四次元」のイメージに変わる。


ではこの「四次元化」は未来予測にも使えるのだろうか?というのが、前回の主題でした。題材は「電子書籍が普及することは、人間社会に何をもたらすのだろうか?」


これを考えるためにまず、羊皮紙の写本から紙の本への変化が、近代のヨーロッパ社会にどのような影響を与えたのかという過去の経緯を学びました。それまで修道院の図書室に閉じ込められていた「知」が、安価で大量生産できる紙の本によってオープンになり、「知」の流通を招いたということです。


ではこの過去の話は、どのようにしたら未来に当てはめられるでしょうか。そこで電子書籍の登場となります。15世紀に獣皮の写本から紙の本に変わったということを、21世紀に紙の本から電子書籍に変わるということに重ね合わせてみるのです。


獣皮の写本と紙の本の違いについては前回も書きました。写本は一冊一冊は災害に強く丈夫でした、コピーが少ない。だから戦争などで消失してしまう危険性がつねにあったのです。古代エジプトにあったアレキサンドリア図書館には数十万ものパピルスの本がありましたが、ユリウス・カエサルが焼き討ちにするなど何度も破壊や略奪にあい、ほとんどの本が消失してしまっています。


いっぽう紙の本はペラペラで火にも水にも弱いのですが、コピーがたくさん作られるので、すべてが失われる危険性は写本よりも小さいのです。


これが電子書籍に変わるとどうなるでしょうか?


電子書籍は単なるデジタルデータです。データはとても小さく、漫画のような画像中心の電子書籍データでもせいぜい100メガバイトぐらい、ふつうの長さの小説だと10メガバイトぐらいしかありません。ビッグデータの現代においては、ミジンコかオキアミぐらいの小さな存在です。


しかし紙の本と違って、電子書籍はほとんど原価ゼロで無数にコピーすることができます。電子書籍サービスのサーバーがある堅牢なデータセンターが破壊されたとしても、世界じゅうにコピーがあるからたちどころに復元することができるでしょう。紙の本だと印刷し保管するのにコストがかかるから、刊行から年月が経って売れなくなった本は絶版にされてしまいます。世界にはこれまで数百億冊の本が作られましたが、そのうちいまも市場で流通しているのはわずか10パーセントしかないと言われています。


しかし電子書籍だと、保管のコストが限界まで小さいので、わざわざ絶版にする必要がありません。何十年も前の、ほんの少部数しか売れなかった無名の本だって、いつでも誰かが電子書籍ストアから掘り起こしさえすれば読めるのです。


一方で、電子書籍のストアが閉鎖されたり、ストア側の一方的な都合で絶版されてしまえば、端末の電子書籍リーダーで読めなくなってしまうという問題もあります。


これは音楽でもよく問題になっていますが、日本では作家やミュージシャンが不祥事を起こしたり犯罪を冒したりすると、いきなり手元のリーダーから本や楽曲が消えてしまいます。紙の本や音楽CDだったらこういう問題は起きません。


また電子書籍ストアは、アマゾンなど特定の大企業の独占になりがちという傾向も指摘されています。これはインターネットのプラットフォームビジネスに特有で、サービスが一か所にまとまっている方が読者にとっても使いやすいからです。小さな出版社が群雄割拠している紙の本とは、そこが違うのです。


電子書籍の二つ目のポイントとして、文章を検索できるということがあります。紙の本ではこれはできませんでした。シェイクスピアの文学の中には「愛」という言葉がどれだけ出現するだろう?というようなテーマは、それを調べるだけで昔はひとつの研究として成り立ったと思いますが、今だったらキンドルの検索機能で一瞬にして調べられてしまいます。


電子書籍の三つ目のポイントとして、他の書籍やウェブページにリンクを張れるということがあります。書籍の「知」がいったいどこからどこにつながっているのかを、マウスのクリックだけでたどることができるのです。これは情報の体系化にはとても便利だといえるでしょう。紙の本では、巻末の参考文献リストなどで手探りでたどらなければなりませんでした。


リンクで相互につながる書籍というのは、つまりはインターネットのようなものです。インターネットでは、記事や動画などがSNSで縦横無尽に接続され、それらがひとつの大きな世界をつくっています。単体の記事Aが読まれるだけでなく、Aが参照した記事Bや、記事Aへの反論Cや賛同D、Aに触発されて書かれた書籍E、Aを紹介する動画F、さまざまなリンクをたどってさまざまな文章や動画や音声に行き着くことができるのです。そういう体験は、紙の本の時代には困難でした。


アマゾンでキンドルの開発者だったジェイソン・マコースキーという人は、『本は死なない』(講談社、2014年)という本で面白いことを言っています。書籍やウェブの記事や動画が相互につながっていけば、究極的には世界には「たった一冊の本」しか存在しなくなるというのです。彼はこう書いています。


「電子書籍も紙の本も、あらゆる本がリンクで繋がり、世界中のすべての本が巨大な一冊を構成する一要素となる。ジャンルの区別もなく、複雑に絡み合うハイパーリンクですべての本がつながるのである」


そういう未来は、たしかに垣間見えるでしょう。このような電子書籍による変化を、ヨーロッパ近代の写本から紙の本への変化と重ね合わせてみたら、どうなるでしょうか。


紙の本になって知のオープン化が進んだことで、ヨーロッパ社会には宗教改革がもたらされ、ルネサンスがさらに盛り上がり、法治国家のいしずえができました。そこから類推できるのは、紙の本が電子書籍になれば、知のオープン化はさらに加速するはずということです。


それは新たな知識階級を生み出すかもしれません。すでにインターネットの中では古いマスコミの世界とは別に、さまざまな専門家の議論が行われるようになっていて、さかんに知の共有が行われているのは皆さんご承知の通りです。


ただし電子書籍のストアは独占されがちなので、プラットフォーム企業と呼ばれるアマゾンのような大企業に知は支配され、そこから逸脱することは許されなくなるという面もあるでしょう。そもそもそこから逸脱した本は、紙の本と違って存在さえ許されないので、わたしたちの気づかないうちに精神的な支配が進むということも起きるかもしれません。


そのようなことを考えると、電子書籍の未来というのはこういうイメージで予測することができます。


「さらなる知のオープン化がすすむが、それはプラットフォームによる支配の下のオープン化である」


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