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時間労働を終わらせタスク労働の復興がわたしたちの人生を変える 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.746

特集 時間労働を終わらせタスク労働の復興がわたしたちの人生を変える〜〜〜産業革命以前の世界にかいま見える「たのしい労働」


中世から近世にいたるまで、労働は時間労働ではなく、タスク労働が中心でした。タスクとは「課された業務」というような意味で、たとえば稲作に携わる農民なら「田植えから稲刈りまで、半年をかけて稲を育てて収穫を得る」というのがタスクです。職人だったら「家を一軒建てる」「木製の柄をもった鍬をこしらえる」などがタスクに当たります。


このようなタスク労働では、現代の企業のように働く時間を強制されることはありません。稲作農民は農繁期は忙しいけれど、農閑期になると暇になります。その期間を、わら細工など別の得意な仕事に宛ててもいいだろうし、余裕があるのなら遊んでいても許されるでしょう。一日のなかの時間の配分も同様で、夏の草むしりのその日の分が終わってしまえば、早めに切り上げることもできます。逆に忙しくなれば、長時間労働を強いられることもあります。


タスク的な労働では、労働とそれ以外の時間は渾然一体となっています。農作業のあいまに食事をつくったり、子育てをしたり、雑談をしたりということが当たり前にできる。秋にちゃんと一定量の米が収穫できるのであれば、時間をどう使いどう配分するかは、農民の裁量に任されていました。


たとえばフリードリッヒ・エンゲルスが20代のころに執筆した『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845年、邦訳は岩波文庫刊)には、イギリスでは産業革命以前、織布工の仕事がきわめてゆったりとしたものだったと描写されています。


「労働者はまったく快適な生活を楽しみながら、のんびりと暮らし、きわめて信心深くかつまじめに、正直で静かな生涯を送った。彼らの物質的な地位は、その後継者の地位よりはるかによかった。彼らは過度に働く必要はなかった。彼らはしたいとおもった以上のことはしなかったが、それでも必要なだけは手に入れていた」


近代以前の農民というと、ひどく貧しく悲惨な生活を送っていたというイメージがありますが、必ずしもそうではなかったということです。近代に入るころには農業技術が進歩し、これによって農民の余暇の時間がかなり増えたということは指摘されています。彼らは時間給ではなかったので、十分な食事や余暇が得られ、納税もできるだけの食糧生産ができれば、それ以上は働く必要がなかったとうことなのでしょう。


これは江戸期の日本でも同じでした。イギリスの農業技術が家畜や大型農機具の導入によって進んだのに対し、労働集約によって農業の生産量を増やしたというのは有名な話です。人口学者の速水融氏が「勤勉革命」という有名な概念を提唱しています。


昨年末に惜しくも亡くなられた歴史家渡辺京二氏に『逝きし世の面影』という素晴らしい著作があります。幕末から明治期に日本を訪れた欧米人たちに、日本と日本人はどう映っていたのかを詳細に調べた内容で、本当に素晴らしい本なので多くの人に読んでほしいものです。


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さまざまな驚くべき証言が出てくるのですが、たとえばイギリスの植物学者ロバート・フォーチュンが日本の田畑を「農園というより庭園に似ている」と感じたという話があります。フォーチュンはこう書いているそうです。


「農民は大土地所有者の農奴にすぎず、重税を課され、まったく劣悪な状態に置かれていると私たちは教えられている。私はこのような言明を否定できる立場にあるわけではないが、この国の多くの地方での個人的観察からして、農民とその家族は快適な外見の、よい家に住んでいるし、いい着物を着、十分な食事をとり、幸せで満ち足りた顔つきをしていると断言することができる」


もちろんすべての農民がこのように豊かだったわけではなく、同書にはイザベラ・バードが東北を旅した際に、山あいの寒村が非常に貧しく、みな不潔な身なりをしていたと書いていることも紹介されています。それにしても、ステレオタイプな「江戸時代の抑圧された農民」という歴史観に反して、なぜ豊かな一般農民たちが江戸期に存在していたのか。


同書には、アメリカの歴史学者トマス・C・スミスが書いた『徳川時代の年貢』(1965年、邦訳は東京大学出版会)という書籍の分析が紹介されています。


ドラマや映画の時代劇で貧しく抑圧された農民の姿をさんざん見せられたわたしたちは、「年貢」ということばの響きから「重税」「苛烈な取り立て」といったイメージをふくらませてしまいます。しかし実際には、年貢は重税ではなかったとスミスは言います。


なぜか。年貢の率を決める根拠となる農地の検地は、実は1700年以降はほとんど行われなかったから。江戸幕府が始まったのが1600年ごろで江戸時代は1868年まで続いたわけですが、後半の170年間は検地はあってなきがごときだったというのです。しかしこの170年の間に、農業生産性は向上し、スミスの資料によれば50年で112パーセント増加という高率だったとか。つまり税率は上がらないまま生産量は増えていったので、その余剰分が農民を豊かにしていったということなのです。


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