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「インターネット暗黒森林理論」という恐ろしくも面白い話 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.676

特集「インターネット暗黒森林理論」という恐ろしくも面白い話
〜〜「冷たい言葉」がネットにあふれているのはなぜかを考える

 中国の作家劉慈欣が書いた壮大なSF文学『三体』。ついに完結編の邦訳が刊行されて、「うぉぉ」とうなりつつ茫然としながらも読破した人は多いでしょう。わたしもそのひとりです。こんなすごいSF、久しぶりに読んだ。

 ごく簡単なあらすじを言っておくと、宇宙のどこかにあるという三体世界の宇宙人たちが、地球を襲撃しにくるという話です。三体は地球から遠く離れているところにあるので、三体艦隊が地球に到着するのには450年もかかる。このあいだに人類はどうやって地球を防衛するのかというお話です。

 おもしろいエピソードや科学的な説明がてんこ盛りに出てきて圧倒されるのですが、そのなかでもとびきりの面白い設定が「暗黒森林」理論。恐ろしげな響きですが、どのような理論なのでしょうか。

 宇宙は広大で、星は無数にあります。われわれの住むこの銀河だけでも、恒星の数は数千億。さらに宇宙全体では銀河が数千億もあり、恒星の総数は数千億の2乗という数字になります。想像を絶する数字です。惑星の数は恒星よりもさらに多いわけですから、この中に知的生命体がたくさんあっても不思議ではありません。

 なのに、なぜわれわれ人類は宇宙人と遭遇しないのか。

 「時間の長さ」の問題ではないかという指摘もあります。宇宙が誕生してから138億年も経っており、仮にどこかの惑星で知的文明が生まれたとしても、せいぜい数万年か数十万年ぐらいしか続かないのなら、宇宙のスケールから言えばほんの一瞬でしかない。だとすれば、いろんな星で次々に知的生命が生まれていたとしても、それが偶然にも同じ時間帯に出会う確率はかなり低くなってしまうのではないか、ということです。けっこう説得力ある。

 いっぽう『三体』では、すごく面白い仮説が提示されています。それが「暗黒森林」理論。

 もし他の星に知的生命体がいたとしても、われわれ人類と同じような姿をして同じような思考をしている可能性はすごく低いでしょう。おたがいに理解しあうのも難しいかもしれない。われわれが他の星の文明と出会ったとしても、彼らがなにを考えてるのかさっぱりわからないとなる可能性が高い。そもそも善意を持っているのか、悪意を持っているのかさえ皆目わからないのです。

 だとすれば、他の文明に出会ったなら「すぐに相手を殲滅させてしまえ」というのが最善の策ということになる。どうせ話し合いなどできないのだから、襲われる前に襲ってしまえということです。われわれが森林の奥で見知らぬ虎に出会っても「まず話し合おう」とは考えず、「殺される前に殺せ」と猟銃を手に取るのと同じというわけです。

 つまりこの宇宙は、見知らぬ猛獣がウヨウヨしている密林のジャングルのようなものであるというのが、「暗黒森林」理論です。そうであれば、ひとつの文明は他の星の文明に見つからないように隠れているしかない。自分の存在を知られると、即座に他の文明から攻撃される恐れがあるからです。そして他の文明を見つけたら、すぐに銃の引き金を引いて相手をさきに殲滅するのです。
 
 身も蓋もない恐ろしい「暗黒森林」理論ですが、宇宙をこのような世界であると仮定した著者の想像力にはひれ伏すしかありません。

 さて、今回のメルマガのテーマは宇宙でもSFでもありません。現代のインターネットというのは、まさに「暗黒森林」ではないかというお話です。これを言い出したのは、クラウドファンディング大手として有名なキックスターター創業者のひとりヤンシー・ストリックラーです。しばらく前に「インターネットの暗黒森林理論」という記事を発表したのです。


 この記事でストリックラーはこう書いています。「広告や追跡、荒らし、誇大広告などさまざまな捕食行為に対抗して、私たちはインターネットの暗い森に引きこもり、メインストリームから距離を置いている」

 最近はターゲティング広告などプライバシーへの過剰な干渉も大きな問題になっていますね。この問題を真正面から取りあげた「監視資本主義」という書籍は、世界的なベストセラーになっています。

 それと同じぐらい問題なのがストリックラーの言う荒らし(trolling)、つまり中傷や罵声の嵐でしょう。私たちが何かを書くと、激しい反応が返ってきてうんざりさせられたり、嫌な思いをしたり、時には実害を被ることさえあります。捕食者(プレデター)ならぬクソリプを送ってくる罵倒者(クソリパー)が待ち構えていて、声を発した者に襲いかかってくるのです。「暗黒森林」を無事に生き延びる最良の方法は、声を出さずに黙り込んで身を隠していること。そうすればたしかにクソリパーには見つかりません。

 ふりかえれば1990年代、インターネットが普及しはじめたころには、こんな「暗黒森林」がやってくるとは思いもしていませんでした。さまざまなアングラなウェブサイトが出現し、多くの人の目に触れる新聞やテレビ、雑誌のようなマスメディアとは異なる「隠れ家」的な印象がインターネットにはたしかにあったのです。当時もネットは「森」でしたが、それは猛獣がそこかしこに潜む密林ではなく、人びとを外の敵から隠してくれる優しい日本の森のようなものだったのです。

 2000年代になってSNSが広まるようになり、さらにだれもが発信できるようになって、当時これは「ウェブ2.0」とユートピア的に呼ばれました。かつてはテレビの出演者や新聞記者、著名な書き手にしか発信が許されていなかったのが、だれもが発信できるようになった。「総発信者社会」と肯定的に呼ばれたのです。

 ウェブ2.0はたしかにメディア空間をフラット化し、大きなメリットをわれわれの社会にもたらしました。テレビのコメンテーターや新聞記者が発する的外れな分析に対して、専門家やその分野の知識を持っている人が「何言ってるの?それ全然違うよ」とツッコミを入れられるようになったのは、大きな進歩です。考えてみれば、昔はそういうツッコミを部外者は知らないまま、コメンテーターの的外れな意見を「そういうものなのか〜」と信じたりしていたわけですから、今となっては恐ろしい話です。

 しかしウェブ2.0はそのようなフラット化のメリットと同時に、二つの大きな副反応もありました。ひとつは隠れ家の機能を失わせたことであり、ふたつめは「優しい森」を「猛獣の潜む密林」に変えたことです。

 隠れ家だったインターネットが、すべて透明でたちどころに白昼のもとに出されてしまう世界に変わったのは、ブログやSNS、各種のクチコミのサービスが普及してからのことです。たとえば食べログが広まって、「知る人ぞ知る」だった隠れ家的名店がアクセス方法や店内での流儀までをも含めて広く共有されてしまい、誰でも行けるようになってしまったのは典型的なケースです。

 考えてみれば、オープンなウェブ世界はURLさえあれば誰でも行き着けるのですから、すべてが透明になりだれもがどこにでも行けるようになってしまうのは当然のことです。

 加えて、ネットの利用者が激増したことでさまざまな人がネットを使うようになりました。今となっては死語になりつつありますが、この事態は「衆愚化」とも言われていました(たいへんイヤな言い回しではありますが)。なにかのコミュニティやコミュニケーションのサービスがあったとして、当初は感度の高い人、面白い人、知識教養のある人が集まっていたのが、そういう人たちに惹かれてその他大勢の人たちが集まってくる。だんだんと玉石混淆になり、そういう「その他大勢」のなかには荒らし行為に走る人も出始める。

 この「衆愚化」は1990年代のパソコン通信でもすでに起きていたことですし、ウェブ2.0以降でも「はてなブックマーク」や、最近ではNewsPicksなどでも見られる現象です。ちなみにこの現象を、団塊の世代が一斉退職した「2007年問題」に関連付ける指摘も存在します。大量退職したこの世代の人たちがネットに大挙して流入したのが2010年代……という説ですね。なんの証拠もありませんし、わたしも同意するわけではありませんが、符合する点があるのはたしかに否定できません。

 この結果、隠れ家のような「優しい森」はだんだんと姿を変え、だれもが存在を知られてしまう透明な密林に変わり、さらに猛獣もたくさんやってきて、声を出せばたちどころに襲われ食われてしまう、震え上がるようなメディア空間になってしまったのです。

 この「暗黒森林」には政治も影響を与え、逆に「暗黒森林」が政治にも影響を与えるという相互作用も起きていると、わたしは捉えています。

 ストリックラーはこう書いています。「ウェブ2.0のユートピアという幸福の泡の中でみんなが暮らしていた。しかし2016年の大統領選挙で、そのツールが武器にもなりうることを知り、ユートピアは終わった。私たちが自分のアイデンティティを成長させ、共同体をはぐくみ、知識を得る場所だったインターネットという公共空間が、政治や市場、社会などさまざまな種類の権力を手に入れるために利用する勢力に奪取されてしまったのである」

 2016年の大統領選挙というのはトランプの当選のことを指していますが、日本でも同じことがこの10年で起きました。2011年の原発事故、そして2012年の第二次安倍政権以降に、ツイッターが恐ろしいほどに政治化していったことを思い出しましょう。そしてそれ以前のツイッターが、どれだけ牧歌的で「ランチなう」の楽園だったことも。

 小説の『三体』では、宇宙の「暗黒森林」に対抗するため、人類はさまざまな防衛策を考えます。太陽が破壊されても大丈夫なように木星の影になる場所に人類全員が移住するプロジェクトとか、太陽系を脱出する高速宇宙船プロジェクトとか、さらには太陽系周辺で光を低速にしてしまい、太陽系全域をみずから封鎖してしまう「暗黒領域計画(ブラックドメインプロジェクト)」なんていうすごいものも。

 ストリックラーは、「暗黒森林」になってしまった今のインターネットにも「暗黒領域計画」が必要なのでは、と言っています。つまり猛獣のいる密林から離れたところで、「隠れ家の優しい森」になれる場所が必要だというのです。具体的には、選んだ人だけに送るメールマガジンだったり、クローズドなフェイスブックのグループだったり、スラックのチャンネルだったり。

 さらにはポッドキャストのような音声メディアも、炎上されないように文章表現に神経質に気を使わなくても、しゃべりのイントネーションや聞き手とのやりとりなどでニュアンスが伝わり、聞き手の側もどういう人が発信しているのかを承知した上で、きわどいジョークなども引き受けてくれる。まあポッドキャストでも書き起こしされて広められれば炎上しちゃうのですが、少なくとも「暗黒領域計画」のように音声と文字の変換の面倒さが「壁」にはなりますね。

 ストリックラーは言及していませんが、いま盛り上がりつつあるVRによるメタバース空間も「隠れ家の優しい森」になり得るのかもしれません。

 しかしこのように「隠れ家の優しい森」に引きこもってしまうと、さまざまな世論が作られる公共圏としてのネットの力が衰えてしまうのでは?という心配も出てきます。せっかくテレビや新聞に抗して新しいフラットなメディア空間が出てきたのに、それでいいのでしょうか。

 ストリックラーは書いています。「インターネットがメインストリームから『隠れ家の優しい森』に移行すると、影響力が永久に削がれてしまうという可能性はある。ネットの出現でテレビの影響力が削がれたのと同じように。しかし考えてもみてほしい、いまだテレビは手強い。『優しい森』をつくったとしても、メインストリームのネットの世界は今後も強力であることを過小評価しないほうがいい」

 わたしたちが個人として、ネットの大きな世界から逃れて「隠れ家の優しい森」に引きこもる。それと同時に、ネットの大きな世界は影響力を持って今後も拡大し続ける。それは「個人の戦略」と「社会の方向性」の両輪として、併存しうるものなのでしょう。
 
 ちなみに小説『三体』では、われわれ地球人類が三体世界からの襲撃に対抗するため、「襲撃をやめないと、三体世界の場所を全宇宙に送信するぞ」と脅しをかけるという話が出てきます。強大な三体世界といえども、居場所を「暗黒森林」の猛獣たちに知られてしまったら、どこかの未知の文明にたちどころに破壊される可能性があるってことを、逆手にとったわけです。

 まるで米ソ冷戦時代の相互確証破壊みたいですね。相互確証破壊というのは、「相手から先に核攻撃を受けても、相手を報復して叩きつぶすことができる核戦力を持っていれば、相手は攻めてこないと双方が考える」という概念です。

 この相互確証破壊って、最近の日本のツイッター界でも見かけます。相手に炎上されそうになったら、逆に相手を炎上させてしまう。そういう能力を双方が持つと、怖くて相手を炎上させられなくなる。その結果、ツイッターは平和になる。つまりは「冷戦時代の平和」が最近のツイッターの一部にもやってきているのかもしれません。

 さて、ここからはネットが「暗黒森林」になってしまった理由について、「パラソーシャル」や「プライベート/パブリック境界」などの視点からさらに深掘りしていきます。

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