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コンパクトシティとウォーカブルシティから地方の未来を考える 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.805


特集 コンパクトシティとウォーカブルシティから地方の未来を考える〜〜〜「歩ける街」の楽しさから観光立国の未来は始まる(3)



歩ける街「ウォーカブルシティ」について2回にわたって論考してきましたが、読者の方から以下のようなメッセージをいただきました。紹介いたします。


「私は横浜から12年前に岡山に移住した者ですが、地方都市の人にとっての移動は100%自動車であって、間違っても徒歩は選択肢に入りません。そのため、本稿で述べているようなウォーカブルという概念を理解しづらいのだと思います。

歩いて楽しい町を作ろう!→は?わざわざなんで歩かないといけないの?そんなの誰も嬉しくないでしょ。

で思考が止まってしまうんでしょう。

徒歩で5分のところでもクルマで移動するのが地方の人なので、移住当初はかなり驚きました。逆に彼らも、かなりの距離でも徒歩で移動する私たち夫婦を、「歩いて来るのはあんたらだけじゃ」と驚いています。

地方を車で走ると分かりますが、日中に道路を歩いているのは、クルマの免許を持っていない学生(それでも自転車ですね)だけで、オトナが歩いているとつい顔を見てしまいますからね。

この歩くことの楽しさをどうやって理解してもらうのか・・・ここがキーだと思います」


この地方の人の感覚は、まったくもってその通りだと思います。わたしは東京と長野県軽井沢町、福井県敦賀市の三か所を移動しながら暮らしていますが、軽井沢も敦賀も完全なるクルマ社会。コンビニに行くのもゴミを出しに行くのも、すべてクルマです。買い物は日常的には郊外のスーパーや「しまむら」で、週末には買い物や食事、映画などの娯楽もあわせて国道沿いの巨大ショッピングモールに出かける。


こうしたショッピングモールには広大な駐車場が設置されていて、「モールの入口そばに駐車スペースを見つけられなかった夫のふがいなさに腹が立つ」というのが夫婦ゲンカの種になると言われているほど(笑)。そういえば前に地方都市で知り合った20代の若者はロードバイクが趣味だったのですが、自転車に乗って街を走っていると友人たちから「おまえ何で高校生みたいに自転車なんか乗ってんねん。そんなにお金ないのか」とバカにされると苦笑していました。


かつては街の中心部だった駅前商店街は、シャッター街になって空洞化しているところが今や大半です。こうなってしまった理由はいくつもありますが、駅前商店街が高度消費社会の欲望にキャッチアップできないまま流行遅れの商品ラインナップで古びてしまったことや、駅前に大規模な駐車場を整備するのが遅れたことなどが挙げられるでしょう。


もうひとつの理由として商店街では二階が住居になっていることが多く、ここに引退した商店主一家が住んでいる。なのでお店を閉店しても第三者が借りにくいという問題があります。だから店が閉店したままで新たな借り手に移ることもなくシャッター街になってしまう。


とはいえ最近はさすがに世代交代が進んできて、空き店舗を積極的に貸す流れも出てきました。まだ点と点……という状況で面としての賑やかな商店街の回復というところまで進んでいるところは少ないのですが、徐々に面白い動きが各地で起きてきているのは喜ばしいことです。たとえば東京近郊で言うと、新幹線の駅がある熱海市の商店街はかなり賑やかになってきましたし、三浦半島の先端にある三崎港も若い人たちのお店が驚くほど増えて活況を呈しています。


ゴールデンウィークの初日にわたしは三崎港に足を運んでみました。三崎と東京で二拠点居住をしている友人家族に会いに行くためだったのですが、雨模様の空だったのにもかかわらず、そぞろ歩く観光客で驚くほど賑わっている。三崎に行くには京浜急行の終点三崎口駅まで、1時間15分ぐらい。そこからさらにバスに乗り換える必要があり、15分ほどで三崎港です。私鉄とバスだけで気軽に行けるという手軽さも人気の理由なのでしょう。東京から往復の乗車券とまぐろ料理店の食事券をセットにした「みさきまぐろきっぷ」というのもあって、こちらもたいへん人気だそうです。


とはいえ、熱海や三崎のようなウォーカブルシティはあくまでも外部から来た観光客のためのものです。冒頭に紹介した読者の方のメッセージにあるように、ウォーカブルという概念は地元に住んでいる人にも当てはまるのか?という問題があります。歩きたくないクルマ社会の人たちに、無理矢理歩かせようというのは無理がないだろうか?


これは昨今またも話題になっているコンパクトシティの議論にもつながる話です。


★「コンパクトシティー」推進10年、見えぬ効果…郊外住民「中心部に住むメリット感じない」


コンパクトシティというのは、地方都市の機能を中心部に集めて効率化しようという考えかた。高度成長時代にできた橋や道路、水道などのインフラが老朽化していますが、地方自治体の財政が厳しくなり、また工事をできる人材や企業も少なくなって、過疎地などのインフラを維持するのが難しくなってきている。そこで思いきって過疎地のインフラはなくす方向に進め、そのかわりに中心部に集まって住んでもらうことにしようというものです。


とはいえそれぞれの土地にはそれぞれの歴史があり思いがある。そう簡単に「移住せよ」と命ずることはできません。しかし財源や人手のリソース不足はもはや待ったなしです。「インフラはもう更新できないかもしれないけど、それでも住みますか」という二者択一を迫られる時期が迫ってきているのです。


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