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日本に必要なのは空虚な「反権力」ではなく、本当の敵「反空気」である 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.674

日本に必要なのは空虚な「反権力」ではなく、本当の敵「反空気」である
〜〜「20世紀の神話」は今こそ終わらせるとき(第5回)

 前世紀感覚の人はすぐに「権力が暴走する」「権力の乱用に歯止めをかけなければ」といったスローガンを言いたがります。しかしこの「権力の暴走」って、いったい何を指して言っているのでしょうか?

 「権力の暴走」を言う人の根っ子にあるのは、たいていの場合は太平洋戦争でしょう。「軍部が暴走して無意味な戦争を引き起こした」みたいなステレオタイプな説明は、そこらじゅうに溢れてますからね。

 しかしこの「軍部の暴走」って本当でしょうか?

 ひとつわかりやすい例を。伊丹十三さんのお父さんで、同じく映画監督だった伊丹万作が終戦の翌年に書いた有名な文章を引用しましょう。

「みんな、今度の戦争でだまされたと言ってる。みんなが口をそろえてる。でも私の知ってる限り、『おれがだました』って言ってる人はひとりもいないな」

 全文は青空文庫で読めます。


 終戦時、急にみんなが「だまされた!」と言い出したのには、実は理由があります。終戦の年の暮れに出版された『旋風二十年 解禁昭和裏面史』というベストセラーがネタ元なのです。

 『旋風二十年』は、戦中に軍部を取材していた毎日新聞の記者たちが「暴露」したという体裁で、満州事変から日中戦争、開戦前の日米交渉、真珠湾攻撃にいたるまで、すべてが軍部の陰謀だったと決めつけています。しかしいくらなんでも、毎日新聞をはじめとした新聞メディアがあり、国民の世論もある中で、すべてを無視して軍部が戦争を始めたという言い分は無理があるでしょう。

 それなのに、みんなこの適当な説明に納得してしまった。その証拠にこの本、紙不足の終戦直後なのになんと70万部も売れたそうです。

 日本の終戦期の混乱を描いてピューリッツァ賞を受賞した『敗北を抱きしめて』(岩波書店、2001年)という名著があります。

 著者はジョン・ダワーというアメリカの歴史学者ですが、ダワーは『旋風二十年』をこき下ろしています。

「それは、深い考察などに煩わされない、じつに屈託のないアプローチを取っていた。日本の侵略行為の本質や、他民族の犠牲などを白日のもとにさらすことにも、広く『戦争責任』の問題を探ることにも、とくに関心はなかった。既存の資料や、これまで発表されなかった個人的知識だけを主たる材料に、こういう即席の『暴露本』が書けるという事実からは、今自分たちが正義面で糾弾している戦争にメディアが加担していたことについて真剣な自己反省が生まれることはなかった」

 痛烈ですね。新聞は自分たちが戦争を煽ったことをすっかり忘れて、軍部にすべての責任を押しつけてると指摘したのです。「正義面で糾弾」ってまさに……最近のさまざまなメディア報道でもよくみる光景じゃないですか。

 そして新聞に煽られて、国民も戦争に熱狂しました。真珠湾攻撃で戦争が始まったとき、人々はどう感じていたのでしょうか。例を挙げましょう。中国文学研究者の竹内好はこう言っています。

「歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した。われらは目のあたりそれを見た。感動にうちふるえながら、虹のように流れる一すじの光芒のゆくえを見守った」

 作家の伊藤整は日記にこう書いています。

「大東亜戦争直前の重っ苦しさもなくなっている。実にこの戦争はいい、明るい」

 いまならどちらも「ネトウヨ」扱いされて、大炎上していることでしょう。でもこういう感覚が、当時の国民一般で共有されていたのは容易に想像できます。

 現代日本の戦争映画を見ると、最初から終わりまでずっと反戦思想を持っていて「オレはこの戦争には反対だったんだ……」と独白する主人公がよく描かれていますが、そんな人は現実にはほとんどいなかったでしょう(戦争終盤の悲惨な時期にはそう思うようになった人はたくさんいたとは思いますが)。

 しかし日本はあっけなく大敗しました。新聞も国民も自分たちが熱狂したことはすっかり忘れて、誰かに責任を押しつけたくなった。そこに『旋風二十年』というちょうど良いタイミングの本が現れて、軍部に責任をなすりつけることにしたのです。

 そうして「私たちはだまされていた」「私たちはずっと戦争には反対だったのに、みんな軍が悪い」という思い込みだけが膨れ上がって、戦後の日本映画の「オレはずっと戦争には反対だったんだ……」という幻想のセリフを生産し続けたということなのです。

 では、戦争の責任は本当はだれにあったのでしょうか? 枢軸国のお仲間だったドイツやイタリアなら、「それはヒトラーとナチスのせい」「ムッソリーニのせい」と判断できるでしょう。じゃあ日本でも「それは東条英機のせい」と言えるかというと、そうではありません。

 名著『失敗の本質』の著書のひとり戸部良一さんは、『自壊の病理―日本陸軍の組織分析』という最近の本で東条英機がどのようなリーダーだったのかをくわしく分析しています。


 東条英機は太平洋戦争で総理大臣と陸軍大臣、それに陸軍の参謀総長と三つも兼任していたので、すべてをにぎった独裁者のように思われがちですが、実態はまったくそうではなかった。

 戦前の日本には「統帥権の独立」というものがありました。統帥権というのは軍をコントロールする力のことで、これを持っているのは軍だけ。総理大臣や内閣は口出ししちゃいけない、という理念というかルールです。太平洋戦争で軍がどのような作戦をやろうと、それには内閣はまったく口出しできなかったのです。

 さらにややこしいのが、当時の日本軍にもさらにふたつの系統があったということ。ひとつは作戦を練って軍隊を動かす陸軍参謀本部と海軍の軍令部。これをあわせて統帥部と呼ばれました。もうひとつは、軍隊の維持管理や給料の支払いなど行政の部分をになう陸軍省と海軍省。これは「軍政」と呼ばれます。

 つまり戦争中の日本には、内閣と統帥部、軍政という三つのパワーがあって、それぞれが勝手に動いていました。単純化すると、そういうイメージだったのです(正確には陸軍と海軍はまた別なので、さらにややこしくなる)。

 そして東条英機は、内閣・統帥部・軍政のすべてのトップに立っていました。「じゃあやっぱり独裁者じゃないか!」と思われるかもしれませんが、戸部さんによると、実はそうではなかった。

 東条は、内閣と軍を自分自身の中でも「けじめ」をつけてきっちり分けて、仕事しようとしました。いつもは首相官邸にいるけれど、陸軍の仕事をするときは陸相官邸に移って、そちらで仕事した。権力を自分に集中させるのではなく、二つのポストをたくみに使い分けることにたいへんな努力をかたむけたのです。このやりかたを戸部さんは「生真面目ではあったが、きわめて官僚的な方式であった」と説明しています。

 さらに陸軍と海軍、軍政と統帥部のあいだでもめごとがあったりした場合には、自分が判断して決定するのじゃなくて、ひたすら現場の調整にまかせていました。自分自身はなるべくリーダーシップをとらないほうがいい、というのが基本的な考えだったようです。

「陸海軍を分裂させるかもしれないほど重大な問題ならば、トップの指導者たる自分が直接決定し、分裂を抑え、部下にその決定の実行を命じただろう。だが、東條には、そうした発想はなかった。厳しい対立を招きかねない問題は、部下による調整に委ねようとした。自らの決定を押しつけて軋轢を生じさせることは、できるだけ避けようとしたのである」

 まことに日本的な、調整型リーダーですね。いわゆる「独裁者」とはかけ離れた実像だったことがわかります。戸部さんは、ガダルカナル撤退をめぐるこんなエピソードも紹介しています。ガダルカナルはよく知られているように、日本の守備隊がアメリカ軍の猛烈な攻撃を受け、包囲されたまま多くが餓死して凄惨な戦場となりました。

 それでも統帥部は、がむしゃらに作戦の継続を主張しました。しかし東条は軍を撤退させようとした。独裁者なら統帥部に対して「オレが決めたのだから撤退だ!」とぴしゃりと伝えたでしょう。しかしこの時点ではまだ参謀総長に就任していなかった東条は、そんなことはできなかった。作戦にはまったく反対せず、そのかわりに陸軍省をつかってガダルカナルに向かう輸送船の数を減らし、知らず知らずのうちに撤退せざるをえない方向に持っていこうとしたのです。

 当時の秘書官は、東条が「統帥権独立のもとでは戦争指導はできない」とこぼすのをよく聞いたそうです。こういうリーダーシップ不在の状況で、いったい誰が軍部を率いていたのでしょう? 戸部さんは、イギリスのテイラーという歴史学者が1970年代に書いた「戦争指導者」というタイトルの本を紹介しています。この中でアメリカ、イギリス、ソ連、ドイツ、イタリアの戦争指導者としてルーズベルト、チャーチル、スターリン、ヒトラー、ムッソリーニというお馴染みの名前が挙げているのに、日本についてだけは「戦争指導者不明(War Lords Anonymous)」としているのだとか。

 陸軍の軍人だった佐藤賢了は戦後、東条英機についてこのように語ったそうです。

「東條さんは決して独裁者でなく、その素質も備えてはいない。小心よくよくの性格である」

 じゃあ東条英機が独裁者じゃなったのなら、だれが戦争を引き起こし、泥沼になるまで続けさせたのでしょうか? このテーマについて考えるには、山本七平の名著『「空気」の研究』(1977年)がうってつけでしょう。

 この本には、戦艦大和の出撃の話が出てきます。太平洋戦争の末期、連合艦隊も壊滅し、まったく勝ち目がないのはわかっているのに、戦艦大和は米軍が無数に待ち受けている沖縄方面に向けて、海上特攻を命じられました。どうしてそんな無謀な作戦を、頭脳明晰で経験も豊富だった統帥部は命じたのか。

 このときに海軍軍令部の幹部だった小沢治三郎は、後にこう言っています。「全般の空気よりして、その当時も今日も当然と思う。

 空気が決めた、というのですね。山本七平はこう指摘しています。

「大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータないし根拠はまったくなく、その正当性の根拠はもっぱら『空気』なのである」

「あらゆる議論は最後には『空気』できめられる。最終決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない」

 日本は、ドイツのように独裁政権が暴走して戦争への道が開かれたのではありませんでした。リーダーシップ不在であり、なんでもその時の空気に押し流されてしまう政治だったからこそ、日本は暴走してしまったのです。

 片山杜秀さんの素晴らしい著書『未完のファシズム』(2012年)は、日本のリーダーシップがなぜ不在なのかを非常に鮮やかに説明しています。


 そもそも日本では、とくに江戸時代以降は権力を一極集中させない、「権力集中」をふせぐ政治システムがくり返し作られてきました。江戸幕府で将軍を補佐する「老中」という集団指導体制がそうでしたし、明治維新が起きて政治体制が変わってからも、明治政府は同じように「権力集中」を防ごうとしました。

 明治憲法では、内閣のなかでの総理大臣の権限は弱くされ、内閣と対等な「枢密院」も置かれ、そして軍は内閣や枢密院などからは独立させられました。先ほども紹介した「統帥権の独立」です。この「統帥権の独立」は軍部の暴走を招いたことから、「権力集中」の象徴のように言われていることが多いのですが、実はもともとの狙いはそうではなかった。

 どういうことかというと、明治政府が考えたのは、軍を不可侵の権力にすることではなく、軍が政治に口出ししないようにすることだったのです。つまり軍と政治を分離する目的だったのです。しかしこの権力の分散が、結果として日本を泥沼の戦争に引きずりこむことになってしまった。もし軍も政治も統括する独裁的なリーダーがいて、そのリーダーが「空気」を無視して「アメリカに勝てるわけがないじゃろう。この戦争はやらん!」と一喝していいれば、あんなひどいことにはなっていなかったかもしれません。

 片山さんはこう書いています。

「日本はファシズムだったという通念が、戦後の日本に根付いていったように思われます。しかし、ファシズムが資本主義体制における一元的な全体主義のひとつの形態だとすれば、強力政治や総力戦・総動員体制がそれなりに完成してこそ日本がファシズム化したと言えるわけでしょうが、実態はそうでもなかった。むしろ戦時期の日本はファシズム化に失敗したというべきでしょう。日本ファシズムとは、結局のところ、実は未完のファシズムの謂であるとも考えられるのではないでしょうか」

 本のタイトルの「未完のファシズム」ってのは、そういう意味だったのですね。日本はドイツを見習ってファシズムをつくろうとしたけれども、実は失敗してファシズムはできあがらず、ただ「空気」に押し流されるだけだったのです。

 日本人はいまも、強いリーダーシップに拒否感を抱く人が非常に多く、たとえば首相などが少しでも強い行動に出ると、すぐに「権力の暴走だ」「横暴だ」と騒ぎ出します。テレビや新聞の報道なんてまさにそういうものばかりです。そういう人たちやメディアは「反権力」を標榜していることが多いのですが、その「権力」っていったい何なのか?を問い直す作業が必要だと思います。これもまさに、20世紀の神話でしかないということなのです。

 実のところ日本に必要なのは、反権力ではなく「反空気」ではないでしょうか。空気は勝手にさまざまな決定をし、しかし生身の人間ではないから、なんの責任もとらず雲や霧のようにあっという間にどこかに消えて行ってしまう。まさに雲散霧消です。

 一連のコロナ禍でも、自民党政権はロックダウンなどの私権制限に踏み込んだ強い政策はとりませんでした。「強権政治」「権力の横暴」と批判されて支持率を落とすのを恐れたのかもしれません。しかしそのように強いリーダーシップがとられなかった一方で、「自粛」の名のもとに飲食店や観光業が大量倒産に追いやられ、しかもそれらは誰のリーダーシップによって判断されたのでもなく、ただ「空気」の抑圧があっただけだったのではないでしょうか。

 コロナ禍を振り返れば、日本のおける「空気」とリーダーシップの不在は、太平洋戦争から今にいたるまでずっと続いているのだということを改めて感じます。今こそ「反空気」の旗を振っていくことが必要なのではないでしょうか。

 さて、ここからは「権力」というものが21世紀になってどう変化しているのかについて、さらに掘り下げていきましょう。

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