野原ひろしの「凡人のロールモデル」が消滅し、無理に成功者を目指す人が増えた 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.653
■特集 野原ひろしの「凡人のロールモデル」が消滅し、無理に成功者を目指す人が増えた
〜〜現代社会における「実力主義」の困難さを考える(第1回)
マイケル・サンデル先生の新著『実力も運のうち 能力主義は正義か?』が話題沸騰です。
この本を読んでわたしが真っ先に思い出したのは、2000年代の自己啓発本ブームでした。2000年から2008年ごろにかけて日本では大量の自己啓発本が出版され、ベストセラーがたくさん出たのです。
ちょっと名前を挙げてみると、『金持ち父さん貧乏父さん』と『チーズはどこへ消えた? 』が2000年。『非常識な成功法則』2002年。『ユダヤ人大富豪の教え』が2003年。『一冊の手帳で夢は必ずかなう』2004年。『夢をかなえるゾウ』『年収10倍アップ勉強法』が2007年。
2000年代というのは和暦にすると、平成12年(2000年)から平成21年(2009年)。失われた30年の真っ最中ですが、この時期は案外にプチバブルでした。後にリーマンショックの原因となるアメリカのサブプライムローンなど金融商品が売れまくっていて、それが日本にも波及していたのです。外貨預金やFX投資などに入れ込む人が増え、主婦や会社員など日本の個人投資家が金融市場に大量に入ってきて「ミセス・ワタナベ」などと総称されるようになったのもこのころです。
2021年のいまは勝間和代さんの『年収10倍アップ』なんて白日夢にしか思えませんが、当時は投資で年収を10倍にというのがわりに現実的な可能性として考えられていたと言うことなのでしょう。
しかしこれら「お金を儲けよう」系自己啓発本ブームは、2008年のリーマンショックで失速します。一気に不況になって株価も暴落したのだから、当然のことです。
リーマンショックで自己啓発本がなくなったわけではありませんでしたが、以降はかなり中身が変わっていきます。端的に言えば、「年収を増やす」から「いまの時代を生き延びる」への変化。「これから生き残る仕事、なくなる仕事」みたいなタイトルの本を書く人が増え、「お金儲けてウェーイ」から、「何とか生き延びるぜこのジャングルで」に転換していったのです。
さて、この自己啓発本ブームとはいったいなぜ生じたのか。わたしはこの時期、ちょうど独立してフリーランスになった直後。当時は雑誌の仕事が中心で、新聞社と比べれば全然違う雑誌ジャーナリズムの空気に触れて、面白さや濃密さを堪能していたころでもありました。そして雑誌ジャーナリズムの中心地と言えたのはなんといっても文藝春秋社で、旗艦誌の『月刊文藝春秋』に初めて長いルポルタージュを書き下ろしたときは、かなり嬉しかった記憶があります。
このころまでの文藝春秋社は小説などの文学もさることながら、ノンフィクションでも硬派の書籍をたくさん送り出していました。「安っぽい本は出さないぞ」みたいな気概が編集者たちにも満ちあふれていたと言えるでしょうか。だからこそフリーの書き手にもやりがいがあったのです。
ところが2008年ごろになると、その文藝春秋社が自己啓発本を刊行するようになる。当時、これには本当に驚きました。「文春よ、お前もか…」と。まあその後の出版不況になると、そんなことを言ってる余裕はどの出版社にもなくなっていって、安っぽい自己啓発本やビジネス書が老舗や正統派の出版社からもバンバン出るようになったわけですが。
話を戻しますと、2000年代というこの時代における自己啓発本ブームはなぜ起きたのでしょうか。それはただただ「ロールモデルの消滅」だったのではないかとわたしは捉えています。
ロールモデルというと「すごい優秀な先輩を見習え」みたいな話だと思う人が多いでしょうが、わたしが言いたいのはそういう優秀な人の話ではありません。どちらかというと「凡人のロールモデル」です。わかりやすく言えば「クレヨンしんちゃん」の野原ひろしであり、『サザエさん』の磯野波平やフグ田マスオです。彼らはエリートというほどではなく、ごくごく平凡な会社員です。
最近のSNSでは野原ひろしやマスオさんの生活ぶりに「もはや上流階級」「羨ましい」という声を聞くようになりました。まあ世田谷の桜新町に一戸建てを持っていたり、専業主婦の妻がいて自家用車もあるような生活は、今となってはたしかにアッパーミドルと言えるでしょう。
しかし1990年代ぐらいまでは、彼らを羨ましいと思う人はそうは多くなかった。逆に「平凡なつまらんサラリーマン」とバカにする人の方が多かったのではないかと思います。戦後の高度成長時代から平成の初めごろまでは、サラリーマン生活というのは総中流社会の中核であって、安定はしているけれども平凡でたいして面白くないと考えられていたのです。実際、1980年代に大学生だったわたしも「このまま大学出たら、一生ねずみ色のスーツを着て通勤電車のつり革にぶら下がる人生かー。つまんねえなあ」と本気で思っていました。
まあわたしの場合は実際には大学を中退してしまい、その後は新聞記者からフリーライターへと浮き沈みの多い人生を送ることになったのですが…。1980年代当時の日本社会の価値観としては「サラリーマンであるよりもアウトサイダーのほうがカッコ良い」と、はぐれ者に憧れる感覚がありました。わたしが大学をドロップアウトしたのも、そういう時代感覚が背後にあったことは否定できません。わたしが通っていた早稲田大学にも「中退一流、留年二流、卒業三流」などとそういう風潮を煽るスローガン(?)もありましたしね。
言い換えれば、当時は「学校を終えて社会に出れば、だれもが野原ひろしやフグ田マスオになるのだ。つまらんけど」という通念があったということです。それは決して羨ましいものではなかったけれども、「凡人のロールモデル」として確立していたのは間違いありません。「凡人のロールモデル」に向かってさえいれば、だれでも専業主婦の奥さんをもらえてマイカーを購入し、住宅を所有できるのだという安心感は確実にあったのです。
しかしこの価値観が1990年代後半以降、一気に衰えていきます。その衰えは徐々に進行していったのですが、大手証券や都市銀行が破たんした1997年の金融危機、1999年の派遣法改正、同時期の就職氷河期などが後押しして、2000年代に一気に進んだのは間違いありません。終身雇用・年功序列は過去のものという感覚になり、非正規雇用が労働人口のかなりの部分を占めるようになって、もはや「凡人のロールモデル」は多くの人にとって現実ではなくなってしまったのです。
そこで代替手段として用意されたのが、自己啓発本だったのではないか。わたしはそう見立てています。
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