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土地神話が終わり、土地を押しつけあう「ババ抜き」時代がやってきた 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol. 688

特集 土地神話が終わり、土地を押しつけあう「ババ抜き」時代がやってきた
〜〜「20世紀の神話」は今こそ終わらせるとき(第9回)

わたしは近年、地方の移住者・多拠点居住者など新しいコミュニティの人たちと交流することが多くなり、そういうところで住宅や土地をめぐる話もよく見聞するようになりました。とくに福井県はわたし自身が拠点を借りており、地元の空き家対策NPOの代表が親しい友人ということもあって、地方における空き家の驚くべき現状に日々触れています。今回のメルマガでは、その一端を紹介してみたいと思います。

最初に軽く結論から言っておきます。人口流出が激しい地方の田園地帯では、土地はもはや資産どころではなく完全に「負の資産」になっており、持っているだけで負担が増えるばかりであり、だから所有する土地をなんとか誰かに手渡してしまいたいという人が増えているということ。つまりは土地をめぐって盛大な「ババ抜き」が進行しているということです。

たとえば、とある漁村にある大きなお屋敷。もとは旅館だったといい、許可をいただいて中に入ると、豪華な欄間をそなえた立派な和室がずらり。縁側に面した雨戸を開けると大きな石灯籠がそびえる日本庭園があり、茶室も見えます。しかし現在は空き家になっており、隣町に住む所有者の男性が月に一度ほど掃除に来ているだけです。

広い宅内は掃除するだけでもたいへんそうです。かといって放置して朽ち果てていくのを見るのも忍びない。さらに言えば空き家対策特別措置法(2014年にできた法律)で、放置されてボロボロになった空き家は行政が強制的に取り壊し、その代金を所有者に請求できるようになりました。普通の戸建てでも取り壊し費用は150〜250万円と言われていますから、この大きなお屋敷になるとおそらく数百万円は下らない。放置したままにして代執行の対象になってしまうと、たいへんな出費です。加えて地方の狭い社会では世間体もあります。

しかしもう70歳代ぐらいにある所有者にとっては、掃除だけでももはや体力の限界。そこで無償でもいいから誰かに引き渡したいと願っているのです。そこで飲食店やホテルを開業するなど新しいビジネスができれば別ですが、交通の便の悪いこの場所ではなかなか引き取り手は見つかりません。目的も見つからないまま誰かが引き取ったとしても、今度はその新所有者が固定資産税を毎年払い、定期的な掃除を含めた建物のメンテナンスをしなければならなくなる。

ちなみにこのお屋敷はその後、とある旅行関係の企業に無事に引き取られたそうです。所有者は「本当にホッとした」と話されていたと後に聞きました。

しかしこういうケースは稀で、たいていは引き取り手がつかない。引き取り手が着かないどころか、どんどん朽ち果てて行っているのに、所有者が手放そうとしないケースも多いのです。「都会からの移住者とかに売ったり貸したりすれば良いのでは?」というのはだれもが思いつくアイデアですが、これがそう容易ではないのです。

どういうことか。ひとつの原因は、所有者が過去の「土地神話」の幻にまだ引きずられてしまっているということ。昭和のころに数千万円ものお金をかけて手に入れた住宅を、町が寂れて建物が老朽化していると言っても、無料に近い金額で譲ったり貸したりするのには心理的な強い抵抗があるのです。

こういう事例がありました。公務員だった高齢の男性が所有していた住宅。古い建物ですが、きれいに住んでいたので状態は悪くありません。あるとき、地元の人の紹介で何人かの若い移住者が見学に来ました。住んでくれるのなら家賃無料でもいいというのが所有者の意向です。見学したひとりが気に入って「借りたい」と申し出たのですが、そうしたら所有者はとたんに態度が豹変し翌日になって「やっぱり月に5万円ぐらいは家賃を払ってほしい」と言い出したのです。

結局、この話はご破算に。あとから関係者に聞いてみると「たくさんの人が見学に来て『いい家ですね』と褒めてくれたので、急に欲が出て『そんなにいい家だったら無料で貸したくない』と言い始めたんだよね。欲にかいてせっかくの話をダメにしちゃう典型的パターン」とこぼしていました。古い住宅なのに貸したくない、売りたくないという理由には、ほかにも「先祖代々からの仏壇がある」「近所の人たちへの世間体が悪い」などが典型的です。

さらには「そこにいない親戚が突然反対しはじめる」というのもあります。古い住宅を引き取るという交渉が所有者とのあいだで無事妥結して、あとは契約書を交わして登記移転するだけ……という段階になって、遠方の都会に住んでいる息子娘や甥姪など親戚が話を聞きつけて「大事な家を手放すなんて!」と怒り出すパターン。地元に残って家を守って頑張ってきた所有者としては「長年やってきたけどもう無理……」という気持ちがあるのに、親戚はそういう気持ちをまったく忖度せず、自分は都会に出て行って実家のことなど一顧だにしてなかったくせに、突然「大事な家なのに」と言い出す。

これはほら、末期の患者の延命治療をもうやめようと家族で話し合ってたら遠い親戚が突然やってきて「お父さんがかわいそう!」と言い出す……というあのシーンとまったく同じ構造ではないでしょうか。

空き家の処分にはこういうハードルがたくさんあるのです。とはいえさすがに人口減が続いていく中で、空き家はもはや処分するしか道がなくなっています。所有者は昔自分が購入したときの金額を思い出し、寂れて行っている地方都市の住宅街なのに「800万円」とか無謀な値付けをするのですが、とうていそれでは売れません。古い住宅の建物は日本では価値を認められないので、「こうなったら更地にして売るしかない」と建物の解体費ぐらいだけはなんとか捻出しようと「土地200万円」で売り出すのですが、これもやはり売れない。最後は「タダでいいので引き取って欲しい」と町役場などに言いに行くのですが、行政も無駄な管理コストが生じるような土地建物は引き取ってくれません。

こういう事態が、日本全国の田園地帯でいっせいに進行しているという状況だと思います。

もちろん東京や大阪など大都市の立地の良いところでは、「売れない」なんてことはまったくありません。それはもちろんそうなのですが、いっぽうで首都圏でも交通の便が悪い住宅街だともはや地方と同じ状況になりつつあります。

わたしは山登りやトレイル歩きが好きなので、東京西部や埼玉あたりの田園地帯をよく歩きます。たとえば八王子市や所沢市の奥のほうに行くと、「駅からバスで15分」といった立地に住宅街が広がっているようなところがあります。多くは1980年代のバブル期、土地が高騰してサラリーマンでは東京23区に家などまったく買えなくなってしまった時代に、山を切りひらいて作られたニュータウンです。世帯主は60歳代ぐらいが多いようです。しかし都心に出る交通の便が悪いので、その子ども世代になると自宅を出て23区などの便利の良い場所に移ってしまっている。そうすると住宅街は高齢化していき、だんだんと歯抜け状態になり、人口が減れば街区内の小規模スーパーは成り立たなくなって消滅し、買い物の便が悪くなるのでさらに人口が減り……という悪循環となって過疎化していく。

これをうまく回避したので有名なのが、千葉県佐倉市のユーカリが丘です。宅地を開発して一気に分譲してしまうのではなく、毎年の開発戸数を抑え、年月をかけて少しずつ分譲していった結果、さまざまな世代が入居した状態が維持されて過疎化を防いでいる。1980年代初頭に生まれたニュータウンですが、あの時代に先を見通していたデベロッパーは素晴らしいと思います。

ここからは歴史を振り返りつつ、土地神話の勃興と崩壊をさらに深掘りしていきたいと思います。

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