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新自由主義とアイデンティティポリティクスの狭間で棄て去られる人たち 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.649


特集 新自由主義とアイデンティティポリティクスの狭間で棄て去られる人たち
〜〜現代の政治とテクノロジーの歴史を俯瞰して学ぶ(第4回完結編)

 現代の欧米リベラル左派は、親・新自由主義とアイデンティティポリティクスという二つの軸を持っています。前回も説明したように、親・新自由主義は戦後のアメリカの基調だった反独占の流れをストップさせてしまいました。これによってアメリカで司法省が独占禁止法違反で大企業を摘発する動きはとてもにぶくなり、1998年のマイクロソフト提訴を最後に「反独占オワコン」となってしまいます。その結果生まれてきたのが、買収でどんどん巨大化していくビッグテック、日本で言うGAFAです。

 独占状態が続くと、イノベーションは阻害されると言われています。なぜかといえば、イノベーションは競争と協働から生まれてくるから。最近翻訳が出た『人類とイノベーション:世界は「自由」と「失敗」で進化する』というたいへん面白い本で、著者のマット・リドレーは「イノベーションは帝国では生まれにくい」と書いています。

★『人類とイノベーション:世界は「自由」と「失敗」で進化する』


”時は流れ、中央の力が保守化するにつれて、テクノロジーは停滞し、エリートは新しいモノに抵抗し、資金は事業ではなく贅沢品、戦争、あるいは贈収賄に流れるようになる。帝国はアイデアが広まるのに適した事実上巨大な「単一市場」なのに、このありさまだ。”

”イタリアの最も創意に溢れた実りある時代はルネッサンス期であり、商人が動かす小さな都市国家だったことが、イノベーションを促進した。ジェノヴァ、フィレンツェ、ヴェニス、ルッカ、シエナ、ミラノがそうだった。分割統治の方が統一統治よりよいことが判明している。古代ギリシアも同じ教訓を教えている。”

 そういえばアメリカの自動車産業も、似たような流れを追っていますね。自動車産業の勃興期だった19世紀末、デトロイトにはさまざまな中小の自動車メーカーが覇を争っていました。自動車は新しいテクノロジーで、当時としては最新の、今で言う情報通信テクノロジーみたいな扱いでしたから、それを面白がって全米からいろんな技術者や起業家、ビジネスマンがわっと集まってきて、そこでみんなで自動車というものを一生懸命考えたのです。

 みんなで議論し、競争し、協働し、わっといろんなことをやったところから、フォードがT型フォードの大量生産モデルをつくり上げて、それが爆発的に売れて、この自動車産業の一大集積地であるデトロイトという都市が生まれた。そういう流れなのです。多様性による相互作用から、イノベーションは生まれるのです。

 ところがデトロイトは、自動車産業がビジネスとして完成形に近づくにつれ、没落していきます。1940年代ぐらいにフォード、GM、クライスラーというビッグ3に集約されて巨大化し、イノベーションの場ではなく、高度に構築された大量生産システムに大量の人員と原材料を集約するという構造に変わったからです。つまり小さな都市国家の群れが帝国化したとたんに、没落がはじまったということ。

 これは現在の情報通信テクノロジーにも当てはまるのでしょうか。最近はアメリカのビッグテックの先には、米国企業ではなくBATなどと呼ばれるアリババやテンセントなど中国IT企業の台頭も予想されています。きわめて中央集権的であり、高度成長時代の日本の護送船団行政をさらに大がかりに展開しているような中国ITは今後も成長し続けるのかどうか。

 これからのITは、最近流行のデジタルトランスフォーメーション(DX)でも説明されているように、AI(人工知能)とデータで駆動されていくようになるのは間違いありません。そしてこの駆動力の源泉となるのが膨大なデータであり、プラットフォーム化した事業者によって膨大なデータを収集する必要がある。

 そうであれば、独占こそがイノベーションの源泉になるという新しい時代がやってきている可能性があります。これは従来の「反独占こそが競争と協働をうみ、イノベーションにつながる」という定理をひっくり返すことになるのかもしれません。そのあたりはまだ不透明ですね。ただ中国政府は、そう考えているのでしょう。中央集権的な独占の力によって経済を成長させ、人工知能やデータの支えによって新たなデジタル版計画経済を遂行させようとしているのは間違いないからです。

 ちょっと脱線しました…少し話を戻します。かりに独占によって経済成長が実現するとしても、いずれにしてもこの方向性は数少ないビッグテックに富を集中させることになり、格差を拡大するのは間違いありません。実際、アメリカではビッグテックが空前の利益を上げ続け、その株主や幹部社員らが富を享受しているのに対し、そこからはじき出された労働者層が中流から転落し、貧困に陥っていくという流れが21世紀に入ってから加速しています。

 1980年代のレーガノミクスとサッチャリズム以降、米英では経済は上向きに転じました。しかし成長の軸になったのは金融とITであり、これらは少数精鋭のビジネスであって、多くの労働者には恩恵は与えられなかったのです。さらにグローバリゼーションが加速して製造業の海外移転が進み、先進国の雇用は空洞化していきます。この結果、90年代以降は格差が開いていくことになったのです。

 本来なら、この流れに抗して分配を強く訴えて社会の不平等を是正していく役割を担うはずだったのは、労働者の保護を訴えてきた左派のはずでした。ところが本シリーズでこれまで書いてきたように、左派はちょうどこの時期に親・新自由主義とアイデンティティポリティクスに舵を切って行ってしまいます。この背景には労働者が豊かになり中流階級となったからだったのですが、まさにそういう総中流社会が完成し、左派が労働者保護から手を切ったとたんに、実は労働者の貧困化がはじまろうとしていたという、なんとも皮肉な歴史の流れが起きてきていたのですね。

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