完全自動運転が普及すれば、駅前シャッター街が息を吹き返す 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.703

特集 完全自動運転が普及すれば、駅前シャッター街が息を吹き返す
〜〜メタバースは人間社会の何を変えるのか(3)

メタバースと自動運転という二つのテクノロジーの登場は、「移動」というものの意味を根底からひっくり返す。その話の3回目です。


イーロン・マスクはこの記事で、自動運転のタクシーの代金はバスや地下鉄よりも安く抑えられると語っています。もしそれが可能になるのなら、これはまさに「ドラえもん」に出てきた「どこでもドア」の実現ではないでしょうか。低コストでだれにでも利用でき、とても民主的なサービスになるのです。もはやわたしたちはグランクラスやグリーン車やファーストクラスやビジネスクラスに高いお金を出さなくても、だれもが快適に遠くへと移動できるようになるのです。

この「移動」の民主化は、さまざまな好影響をもたらすと思います。

たとえば地方の街は、その構造そのものが根底から変化するでしょう。わたしは東京と長野、福井の三か所に家を借りて毎月のように移動する「多拠点生活」を続けていますが、長野や福井で実感したのは生活のあらゆることがクルマをベースに設計されているということです。

地方といっても、地下鉄などが整備されている大きな中核都市と、人口数万人程度の田園地帯では、暮らしかたはずいぶんと違います。わたしの家は長野は軽井沢町、福井は若狭湾沿いにある美浜町で、人口は1〜2万人程度。この規模の田舎町だと、あらゆる移動がクルマです。通勤やショッピングセンターでの買い物どころか、近所のコンビニに行くのもクルマ、さらにはゴミを出しにいくのさえクルマ。居酒屋に飲みに行くのも、もちろんクルマなのです。

居酒屋の駐車場までクルマで行き、帰りは運転代行を呼んで帰宅する。さらに田舎になると運転代行もタクシーもない土地もあり、そういうところでは帰りはシラフの家族にクルマで迎えに来てもらうか、そうでなければ友人宅で「タク飲み」して泊めてもらうのが一般的です。だから地方の人は、歩きません。東京などの大都市の住民は「15分歩く」というと普通の距離だと感じますが、地方の人は「15分も!そんなに歩いたことない」と驚くのです。

地方都市の駅前商店街はいまでは多くがシャッター街になり、買い物などの中心地は巨大ショッピングモールに移りました。モールには何百台もクルマが駐められる巨大な駐車場があり、メイン街道から直接入れるようになっています。買い物だけでなく映画館やボウリング場、ゲームセンター、飲食店街なども併設されていて、外に一歩も出ずに一日じゅう楽しめるのです。

しかし公共交通システムとしての完全自動運転(ドライバーの要らないレベル5)が広まれば、ショッピングモールには巨大な駐車場は要らなくなるでしょう。なぜなら自宅からショッピングモールの入り口まで公共の自動運転車で行き、帰りも同じように帰宅すればいいからです。

自動運転車はお客さんがいないときや夜間などにはどこかに駐車しておく必要がありますが、ショッピングモールに併設させておく必然性はありません。どこか遠くの空いている土地を使えば十分です。AIによって運行を最適化すれば、遠くの駐車場からでもとどこおりなくリアルタイムにお客さんのニーズに応えることができるでしょう。

そうなると、ここで実は不思議な矛盾が生じてきます。それは何かというと、巨大駐車場の併設によって便利なはずだったショッピングモールが、逆に不便なものになってしまうという矛盾です。

どういうことでしょうか。

地方生活をしていると、こういう笑い話をよく耳にします。「ショッピングモールに家族で出かけた時に、モールの入口にできるだけ近くの駐車場所を確保できるかどうかで夫の評価が決まる」「入り口から遠いところにクルマを駐車したら、妻が怒って夫婦ゲンカになった」

駐車場が広大なので、入り口から遠くに駐めてしまうとけっこうな距離を歩くはめになります。これは歩くのに慣れていない地方民にとってはけっこう面倒くさいのです。

そしてモール入り口の近くに運よく駐車スペースを見つけたとしても、モールの中では歩かなくてはなりません。巨大モールだとけっこう歩くのはたいへんです。たとえばわたしの拠点のひとつがある軽井沢の駅前には、軽井沢ショッピングプラザというとんでもなく広大なアウトレットモールがあるのですが、敷地の端から端まで歩くと20分ぐらいはかかります。だからモール内のある店舗から別の店舗に行くときに、駐車場から別の駐車場へとクルマで移動する人もいるほどなのです。

では自動運転が普及した地方都市で、できるだけ歩かなくてすむようにするにはどういう構造が良いのでしょう。答は簡単です。店から店へとクルマで移動できるようにすればいいのです。

そしてこれはまさに、昔の駅前商店街そのものではないでしょうか。駅前大通りの両側に店舗が並んでいて、大きな駐車場がないためすっかり寂れてしまっていますが、歩道にアーケードもあるので大通りでクルマを横付けすれば、濡れずにお店に入ることができる構造です。

自動運転になると、無人タクシーはあなたを店の前まで連れていって姿を消し、買い物が終わったらまたどこからともなくやってきて自宅に連れ帰ってくれる。歩く距離は歩道を横断するわずか十数歩です。そう、自動運転が普及した世界ではショッピングモールよりも駅前商店街のほうがクルマ移動にとって便利になってしまうのです!

俯瞰して見ると、ショッピングモールというのは店舗とクルマとお客さんを一か所に「集中」させるという構造でした。しかし自動運転の世界では、このような「集中」は必要なくなります。それどころか、「集中」しているよりも「分散」しているほうが、移動の面倒さが少なくなり、便利になるという逆説的なことが起きるのです。

つまり自動運転は街の形態を、「集中」から「分散」へ移行させることを促すと言えるでしょう。

そしてメタバースによる「移動」でも、これとまったく同じことが起きます。

ここで一本補助線を引きましょう。アメリカの経済学者エドワード・グレイザーが書いた『都市は人類最高の発明である』(邦訳は山形浩生・NTT出版、2012年)という名著があります。この本でグレイザーは、近代になってからの都市が発展する理由は、単に人がたくさん集まったからだけではなく、さまざまな人々の交流が生み出すイノベーションの効果も大きいと書いています。

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